70.パーティ後日談
クリスマス・パーティ翌日の早朝、サプライズがあった。
部屋の表のドアノブにプレゼントが釣り下がっていたのだ。入れ物の黒いブーツは本物の革製のもの。本格的だ。
新品っぽいが一応匂いを嗅いでみた。だって臭かったら嫌だもの。
良かった。真新しい革の匂いだ。もらい物だから、あとで返しに来て欲しいとメモがあった。ジャザナイア隊長からの伝言だ。
じゃあ、これは隊長から? プレゼント交換を逃して、ちょっとばかり落ち込んでいた私のテンションが一気に回復した。包装紙まで大事に思えて、丁寧に包みを解いた。
赤いマフラーだ。肌触りも良くて温かそう。
ジャズ隊長以下、隊員皆からの気持ちだとカードが添えられていた。
じんと熱いものが胸にこみ上げてくる。私を認めてくれる人たちがいることを心強く思った。同時にこれからも頑張らなければと気合も高まる。
部屋に戻ってマフラーを大切にしまう。
さあ、仕事だ。仕事。朝ご飯の支度をしなければ。いつも以上に気持ちが入る。
静まり返った廊下に、変わらない景色。
昨日のことなのに、クリスマスパーティがあったことさえ夢のようだ。毎日の仕事が果てしなく続いていくような錯覚。
年の終わりにつきものである慌しさもマスティマには無縁のもの。元々、曜日なんて関係ないし、カレンダーもあってないようなものなのだから。
ちなみにクリスマス休暇なんてのもない。
アビゲイルに尋ねたら、新入りは日を改めて取ることになっているという答えだった。イタリアに里帰りできる日はいつになるのやら。
私はワゴンを押して歩いていた。ボスの食堂の掃除と空気の入れ替え、朝食の食器を取りに行くいつもの作業だ。
窓の外はまだ暗い。イタリアもそうだが、イギリスもまたこの時期は日の出が遅い。
廊下は静けさに包まれている。響いているのはワゴンの車輪の音と私の足音だけ。まるで深夜と変わらない。
と、突然、静寂を打ち破る一発の銃声。聞こえてきたのは目の前の扉。ボスの部屋からだ。
お馴染みの衝撃銃の音ではない。これはボスの愛用するリボルバーの音だ。
私は後先も考えないまま、扉を開け、ボスの部屋に飛び込んだ。
起こしに行った隊員に向って撃ったのだろうか。その考えもすぐに違うことが分かる。
手前のリビングにはひと気がなかった。寝室へ続く扉は閉じられたままだ。起こし役の人がいるなら扉は開いているはずだ。最低限の逃げ口の確保は基本中の基本。
だとしたら、ボスの寝込みを狙って入り込んだ人間がいるのか。
私は覚悟した。侵入者と鉢合わせになるか、あるいはその死体を目にすることになるのか。どっちにしても、あまりありがたい展開とは言えない。
ニ発目の銃声や物音を聞き逃すまいと神経を集中して、ノブに手をかける。
「失礼します」
そう言いながら、身構えつつ、素早くボスの寝室の扉を開けた。
目に飛び込んできたのは、ベッドの中で体を起こしている彼の姿。布団の上に置かれたその手には、もちろん拳銃が握られていた。
「何があったんですか、ボス?」
部屋の中には他に誰かいるような気配もない。
踏み出した私の足元で、何かが割れる高い音がした。硬い感触に足を上げて床を見る。
これって……。
私は何も言うことができず、顔を上げて再びボスを見やった。
ボスはそっぽをむいている。微妙な空気が流れる。
私の足元にあるのは、目覚ましである標的のなれの果てだった。砕けたプラスチックの欠片が散らばっている。対のオモチャの銃ではなく、本物の拳銃で打ち抜いてしまったらしい。
「間違えたんですね」
私は息を吐きながら言う。安堵と呆れの混じった溜め息だ。
人騒がせなことだ。おそらく寝ぼけでもして銃を取り違えたのだろう。
ボスは私に眼を向けた。鋭い視線が飛んでくる。やばいと思った瞬間だった。
「なに勝手に部屋に入ってんだ?」
言葉が終わらないうちに聞こえたニ発目の銃声。私の足元に打ち込まれた弾丸。ボスが発砲したのだ。
決まりの悪さを晴らすために、銃を使うなんてとんでもないことだ。漂う火薬の匂いに、私は口から飛び出そうとする抗議の言葉をぐっとこらえる。
「文句でもあんのか?」
お見通しのボスは、銃を構えながら凄む。
私は唇を固く絞ったまま、首を横に振った。
言いたいことはもちろんあるが、口にしたところでちゃんとは伝わらない。それどころか、言葉を返したことを理由にして、制裁が待っている可能性だってある。
我慢だ、我慢。拳を硬く握り締める。今文句を言ったって良い事なんて一つもない。
私は扉まで戻り、大きく一息深呼吸すると、ボスに向き直った。
「ボス、今日の朝御飯はBLTホットサンドとサラダにポタージュスープ、果物のヨーグルトがけです。食堂でお待ちしています」
思いっきりの笑顔を添えて。
もちろん、返事なんてなかったけれど、彼は銃を持った手を下した。私の反応に苛立つ気分もそがれたように見えた。
廊下に出てから扉を閉めて、その場で両拳を握り締める。
やった。なんだか新たな対処法を生み出せた気がする。
いつまでも同じ私だと思っていたら大間違いですよ、ボス。人というものは追い詰められたら、それを切り抜けるために思わぬ力を発揮するものなのだから。
騒ぎに気付いて駆けつけてくる隊員たちに大丈夫だと告げながら、食堂へと向う。
私の足取りは軽かった。ワゴンを押しながら気分は上々。
外はまだ薄暗いが、これから朝が世界を塗り替えてゆく。月も星も光に溶ける。私が感じた明るい見通しのように。
間もなく訪れる新しい年に私は思いを託す。来年もまた良い年になるようにと……。
こうして、一年の終わりという区切りに、このお話もひとまず終わりを迎える。
コックとしての関わりはこれからも続いていくが、それはまた別の機会に。
私は翼を形作る一枚の羽のようなもの。
黒い翼を象徴とするマスティマ。それは決して光の元には姿を現さぬもの。一般の人々の生活には何一つ触れるものを持たず、その眼が捉えるのは漆黒の闇だけ。
物語がいつもめでたしめでたしで終わるとは限らない。
だけど信じたいと思う。私自身を、ボスをジャザナイア隊長を。アビゲイル、グレイにレイバン、そして私を支えてくれる隊員たちを。
これは私の運命。私の選んだ道なのだから――
=== 第一部 完 ===
最終回となっていますが、続編を考えていますので第一部完としています。
あとがきについては活動報告にて掲載しています。
作者名から作者のページに飛び、活動報告の文字をクリックすると一覧で見られます。
2011年8月7日の記事です。これからの予定なども載せています。興味のある方はどうぞ。
(話の末尾にあるあとがき欄ではちょっと……、かといって、別に一話分に代えて載せるのもどうかと思いましたので、こちらに載せました)
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