62.ねぎらい
パーティで隊員たちの好きな料理を作る。それは思っていた以上に大変なことだった。
ひととおりアンケート調査を終えて実感する。
何しろ出身地が世界中と言っていいほど散らばっていて、その国独自の料理なんかもある。
用意できるか不安な材料もあるし、何よりも出来良く作らないといけない。試作は欠かせないだろう。不味い物を作ってパーティを台無しにしたくない。
ちなみに幹部の好きな物を聞くと、アビゲイルはジャンバラヤ、ジャザナイア隊長はミートローフ、グレイはオニオングラタンスープ。そしてレイバンはザッハトルテだった。
ザッハトルテはチョコレートケーキだ。
お菓子が出てくるのは予想外だったが、どのみちデザートは用意するつもりだったので、希望通りに作ることにした。ものすごく期待されているようだから、これは力を入れなければならない。
一番こだわりが多そうなボスの好物が気になるところだ。だが、聞くのはアビゲイルに止められていた。
パーティなんだからサプライズがないと。それに好きな物、大体分かってきたでしょうというのが彼女の言い分。
まあ、ストレートに聞いて答えてくれるとは考えにくい。それなら、とうの昔に耳にしただろうし、歴代のコックのメモにだってあったに違いない。
嫌いではないと見て間違いのない物だったら、なんとか分かる。それを用意するしかないだろう。
その最たるものがアラビアータだ。食の進むスピードが違う気がする。
ボスとアラビアータ。この言葉を並べるだけで、にやけ笑いが起きてしまう。
正式名スパゲッティ・アラビアータ。怒りんぼ風スパゲティ。アラビアータはイタリア語で怒りの意味だ。
ボスには、ぜひとも好物だと言ってもらいたいところだが、あの人のことだから、そうだとしてもきっと答えてはくれないだろう。
前に夕食をキャンセルされたときに作る予定だったから良かった。あれから作っていないから、同じ物を食べることにはならない。文句を言われることもないだろう。
ボスの食事のメインはこれで決まりだ。他は主菜とのバランスで考えればいい。
一番重要なところが案外簡単に決まって、ほっとする。これで他の人たちの料理に専念できる。
私は必要な食材を書いたメモの確認を始めた。あとはアビゲイルに渡すだけだ。
やがて本社経由で注文した食材が届き始める。
冷蔵、冷凍が必要なもの。常温で大丈夫なもの。振り分けて保存しやすい形に加工する。
分からない部分を調べるための本も取り寄せた。
そろそろ試作品の調理に取り掛からなければ。食堂に人気がなくなったところを見計らって。
慎重に秘密裏に。パーティで初披露となるように。
会場についてはアビゲイルから連絡があった。ボスがいつも使っている食堂。テーブルを脇に寄せて、ビュッフェの皿を載せる。他にもテーブルを持ち込まなければならないが、力仕事は隊員たちに任せていいと言われている。
ボスは立食なんて嫌がるだろうと、別にテーブル席を設けることになった。
日にちは十日後。開始は午後七時から。人数は、その時城にいる人たちのほとんど、四十から五十人になるらしい。
日程も場所も決まり。あとは料理だけだ。期待に応えるような美味しい物を作らなければ。
私は気合を入れる。普段なら心地よいくらいの緊張感。だが、それが自分で思っている以上に気を負っていたのだと間もなく思い知ることになった。
皆が談笑している。
和やかなパーティ会場の雰囲気の中、私は最後の料理をワゴンで運んできたところだった。
これをテーブルにセットすれば、仕事はひと段落だ。
皿を置いて辺りを見渡す。あちこちで溢れる笑顔。楽しそうだ。こちらまで嬉しくなる。
部屋の一番奥に据えられた横に長いテーブルと椅子。いつも食事をする辺りに座っているのはボスだ。怖がっているのか誰も近付かない。一人で随分とワインを空けているようだ。
まずい。思いっきり目が合ってしまった。彼は目を細めて私を睨みつけると、こっちへ来いと指でサインを送ってくるではないか。無視するわけにもいかず、私は緊張しながら近付いていった。
料理に文句があるんだろうか。だが、皿を覗くとおおかたの物はなくなっている。だとするとなんだろう。心当たりを捜しながら、ボスの隣に立つ。
すると、彼は顎で壁際に置かれた椅子を示している。持ってきて座れということだろう。これは長丁場になるかもしれない。動悸打つ胸を感じながら、彼の横に椅子を寄せた。
見るとグラスが空っぽだ。給仕係として注いだほうがいいのだろうか。だが、その気がないのに勝手に動いたら怒られそうだ。
「ボス、このワインでいいですか?」
一応、栓の開いた赤ワインの瓶を示して聞いてみる。
驚いたことに「おう」と言葉が返ってきた。慄きながらもグラスを満たす。
すると彼は新しいグラスを引き寄せた。別のグラスで飲みたかったのかと真意を測る。彼はそのグラスの足を指でつついた。これは間違いなく注げという意味だ。続けてそちらにも瓶を傾ける。
「まあ座れ」
そう言われて、冷や汗をかきながら席に着く。
新しいほうのグラスがこちらに押しやられた。これって私のってことなんだろうか。じっとワイングラスを見つめる。
彼は自分のグラスを傾けている。私は汗ばむ掌を膝に押し付けたままだ。なんだか展開についていけない。
「お前はあれだな……」
グラスを置いたボスは、パーティ会場を見つめながら言いかけた言葉を絶やす。
あれって何のことだろうとぐるぐる回り始める私の頭。
「よくやってる」
何秒か後の彼の言葉に、頭の回転が全停止した。
「今回の料理も全部お前が用意したんだろうが。大変だったな」
思わず耳を疑う。ボスからねぎらいの言葉が。こんなこと言えるのか、この人は。
「アラビアータが俺の好物だってよく分かったじゃねえか」
怒りんぼが怒りんぼ風を好き? 驚きすぎて笑いだすのも忘れてしまった。
私は椅子から立ち上がった。引っかかった椅子が弾んで大きな音を立てたが、構わずボスの全身を見回す。
艶やかな黒髪、私を見上げる強い灰色の瞳。襟を開けた白い長袖シャツに緩めた黒いネクタイ。マスティマのコートは袖を通さず肩にかけられたままだ。黒いズボンに黒い靴。いつものボスだ。だけど、こんなこと言うなんて普通じゃない。
そして気付く。肌身離さず着けている革の手袋がない。あの人が着けていないなんて見たことないのに。
「こんなのボスじゃない」
私は後退りしながら言った。
そう思って見てみると、何だか不自然な感じがしてくる。ボスがおとなしくこんな席で食事なんてありえるだろうか。
私の声に気付いた皆が一斉にこちらを向いた。
駆けつけるアビゲイルにジャザナイア隊長。近くにいたレイバンは、ムンクの叫びのような形相で固まっている。グレイはというと、輪切りにしたバゲットの一片を大急ぎで口に押し込むところだった。
私は確信を込めてボスを指差す。
「ボスの偽者です!」
その大きな声で私は現実に引き戻された。
ぼんやりとした光の中で、宙に突き出した自分の指が見える。ベッド脇に置いてあるスタンドの豆電球の明かりだ。
自分の声で目が覚めたのだ。体を起こして夢だったことに驚く。
それにしても変なものを見てしまった。パーティ本番に向けてのプレッシャーからだろうか。
おもむろに夢の中のボスが思い浮かんで、笑い出してしまう。
ねぎらいの言葉を言ったばかりに偽者と断定されてしまうとは。だいたいあの人には、そんな言葉は似合わないのだ。
しばらく笑いは収まらず、眠気は退いてしまった。
ボスに笑わされて睡眠不足になるなんて。それもまたおかしいことだ。
本物のボスに会ったときに笑わずには済むだろうか。私は自信がなくなっていた。
そして、再び眠り始めたときには起きてから二時間は経過していた。起床予定の五時まであと一時間ほどしかない。
今朝はクリスマスパーティの料理の試作品、第一品目を作る予定にしていた。これからは、こういう生活が続くだろう。少しでも多く睡眠時間は確保しておきたい。
それでも、新たな夢の中でもまた私は笑い続けていた気がする。
次回予告:クリスマス・パーティの準備で疲労気味のミシェル。彼女を休ませようと行動に出たのは……。
第63話「リフレイン」
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