61.沈黙のヘリコプター
ディケンズ本社の屋上にあるポートには、今にも出発しそうなヘリコプター。
回転翼から起こる風に押されながらも必死で駆ける。
その途中で担架に乗せられて運ばれる人とすれ違った。急病人だろうか。黒っぽいズボンだったような。顔も見たことあるような。
だけど、足を止めて確認する時間なんてない。まだ扉の開いているヘリへと向う。
「すみません、お待たせして」
詫びながら乗り込み、扉を閉めた。
「遅せえ」
低い声が迎える。
顔を上げると目の前の席にいたこの人は、ボスではないか。
白いシャツに黒いズボン、黒いコートのいつもの制服姿。色の濃いサングラスをかけた横顔が見える。
座席に着いた彼は反対側の窓から外を見やっていた。こちらを振り返りもしない。
なんでこんな所にボスがいるんだろう。
昼食の準備を終えた後、すぐに私はロンドンへと発った。その時にはボスはまだ城にいたはずだ。
いや、出発がいつかなんて大したことではない。問題なのは、よりにもよって私の乗るヘリにこの人がいるということだ。
「遅くなってすみません」
「詫びはさっきも聞いた」
声がとげとげしい。やはり、こちらを見もしない。イライラとしている様子の彼は、操縦席を後ろから蹴りつけた。
「お前も降りるか。さっさと出せ」
そう言って操縦士を慌てさせる。なんだか、いつもにも増して凶暴だ。
それから、むっつりと黙り込んで、ボスは再び窓へと顔を向けた。
私は嫌な予感がして操縦席を覗きこんだ。
二つの座席の一つには黒い上着が残されている。操縦士は着ているから彼のではない。ということは、誰かがこの席にいたということだ。そして、今乗っていないということは……。
ヘリは離陸する。窓から建物の中に入っていく担架が見えた。
まさか、あれに乗せられているのって……。私はボスを見やった。彼は変わらず外を見続けている。
何が起こったのかを知るためには、操縦士かボスに尋ねるしかない。
だけど、もちろんどちらにも聞けるわけがない。ボスのあの苛立ちよう、触れたら火傷じゃすまなそうだ。
最新鋭のヘリコプターのステルス機能が働きをみせる。機内の音もかなり抑えられ、静か過ぎるほどだ。なんとも気まずい雰囲気。
ボスの後ろの席に着きながらも気を揉む。
あの人が何に腹をたてているにせよ、重苦しい空気はなんとも我慢しがたい。息をするのにも気を遣わなければいけない感じだ。
こうなったら思い切って突破口を開くしかない。
今晩の御飯の話題とか。コックである私ができる話といったらそれくらいだ。
意を決して、ボスの席へと回った。
「ボス、今日の夕食はペンネ・アラビアータにしようかと思ってるんですけど、どうでしょうか。美味しいパスタが手に入ったので」
後から思うと冷や汗物だ。文句を言わず食べてくれるものの一つには違いないのだが。
このアラビアータの語源からしてツッコミどころだ。
ボスは何も答えず、振り向こうともしなかった。座席に寄りかかり、足を組んで膝に両手重ねて当てた状態から動かない。サングラスをかけているから、どこに視線が行っているのかも分かりにくい。
私はそっとボスの傍に寄った。
そして気付く。この人は私を見てはいない、声も聞いてもいないことに。
耳にはイヤホンが差し込まれていた。目は閉じられていて、音楽に没頭しているようだ。
耳を澄ませば漏れている高音域。何を聞いているかは不明だが、完全に外の世界と隔絶している。
私は諦めて自分の席に戻った。
ボスに対抗してではないが、私も自分のことをしようと鞄から本を取り出しかけて止める。
小さな活字のものなんか読んだら酔いそうだ。かといって、他に時間つぶしになりそうなものは持っていない。
外を見るのもいいかもしれないけど、空からの景色って見ていて落ち着かないし。
目をつぶって座席に体を預ける。眠くはないけど休むくらいしかないか。
今晩のボスのご飯はペンネ・アラビアータに決まりだから、それに付け合せる物を考えなきゃ。他の皆のはラザニアにでもしようかな。
夕食のことを考えているうちに、なんだかエンジンの音が心地よくなってくる。ステルス機能がこんな風に作用するなんて。
そうして、私はいつの間にか眠りの海に沈んでいった。
城に着いて、操縦士が起こしてくれたとき、すでに機内にボスの姿はなかった。
そこでようやく事の次第を知った。
ボスの犠牲者が操縦士見習いの隊員であること。離陸を急かすボスへかけた一言が災いを招いたこと。
そして、彼が言ったのは、「本社からマイケルがこの便に乗ると連絡が来ています。待たずに出発してよろしいですか」だということ。
とすれば、私のせいとしか思えない。その人が担架で運ばれることになったのは。
なんて謝ればいいだろう。うろたえる私に、操縦士は気にしないように言ってくれた。
ステップを上がろうとするボスに声をかけた見習い隊員は、操縦席から引き摺り下ろされた。
つまり、ボスの苛立ちはヘリに乗り込む前からで、呼び止めた時点で彼の運命は決まっていたのだろうと。
そんな風に聞いても慰めにはならなかった。養生が済んで城に戻ってきたら、お詫びをしなければ。
落ち込んだ気分で厨房に戻ると連絡が入った。アビゲイルだ。断りが入ったから、今晩のボスの食事は用意しなくていいと伝えてくれた。
それからその日、ボスの姿を見ることはなかった。
次回予告:「お前は良くやっている」って、これは誰の言葉? ミシェルは驚くばかりで……。
第62話「ねぎらい」
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