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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(5) Christmastide クリスマス・シーズン
62/112

60.噂の人物

 集中していれば時間は早く経つ。

 本から顔を上げたとき、読み始めてからすでに一時間近くが経過していた。

 そろそろ屋上に出て出発を待たなければ。今度こそ遅れることがないように。

 すっかり冷めてしまったコーヒーを喉に流し込む。冷えると渋みだけが増して、ますます不味い。むせて咳をする私の近くで笑い声がした。喉を押さえながらも、目を向ける。

 いつの間にか後ろの席に三人の女の人がいた。綺麗な人たちだ。お洒落にスーツを着こなしている。ばっちりお化粧して、キャビン・アテンダントみたいな華やかさだ。仕事もてきぱきとこなしそうな雰囲気だ。

 休憩時間らしく、寛いだ様子で会話を楽しんでいる。年若い女が集まっての話題は大体決まっている。

「うちで男探しですって?」

「手っ取り早くね。とりあえず収入は問題ないし」

「焦ったら変なの捕まえちゃいますよー」

 三人の話題は、そのものずばり、男のことだ。マスティマではまず耳にすることがない。まあ男所帯だし、こんな話題沸騰してたら気持ち悪いけど。

 こういうのってオフィス・ラブっていうのだろうか。なんだか興味がある。コックの世界しか知らない私には遠い世界。OLっていう響きからして憧れるし。

「だって一度くらいは結婚したいじゃない。誰かいい人いないかな」

「社で思い当たる人なんていないわ」

 落ち着きのある、黒髪をアップにした人がばっさりと斬る。それでも結婚相手を探そうとしている長い茶髪の人は諦めきれないようだ。

「総取締役なんて素敵じゃない? 大人だし物腰柔らかいし。大事にしてくれそう」

「あの人は既婚者よ。愛妻家だって評判だわ。付け入る隙なんてないわね」

 黒髪の人、容赦無しだ。相手は、はあと深いため息をついている。

「先輩、社の男じゃ目の保養にもならないでしょ。外にも目を向けないとー」

 一番若そうな金髪のショートカットの人が満面の笑顔で言う。もちろん同じ短い髪でも私とはまるで違う愛らしいボブだ。

「あら、誰か目をつけたの?」

 後の二人は興味津々だ。

 質問に金髪の子が、三人だけに聞こえるくらいの小さな声で答えている。

「それはマスティマのディヴィッドじゃない」

 黒髪の人が大きく声を上げた。

 ディヴィッドはボスの名前だ。私は彼らの話に釘付けになった。秘密を聞いているようで悪い気もするが、ここは公共の場なんだしと言い訳にして。なんだか胸がどきどきしてくる。

「やめときなさい、あの人は」

 さっきの人が顔を横に振りながら言う。溜め息混じりだ。よほど良い印象を持っていないようだ。

「どうして? マスティマはディケンズの子会社みたいなものでしょ。ディヴィッドって確かそこの社長よね」

 茶髪の人が言う。彼女の言っていることは少し外れているが、まったくの間違いでもない。そうやって聞くとボスも大したものだと思ってしまう。

「子会社とは言え、あの若さで社長! すごーい」

 金髪の子が、はしゃいで祈るように両手を組み合わせている。

「ワイルドで格好いいし、地位もあるなんて最高だよね」

 完全な陶酔だ。

 だけど、ボスがそんな風に見られているなんて興味深い。ワイルドか。物は言い様だ。あの横暴さは、とてもそんな一言で片付けられるものじゃないけれど。

「馬鹿ね。彼はそんな人じゃないわ。うちからマスティマに行った男がどうなったか知ってる? あの人に腕をへし折られて病院送りよ。周りから悪魔って呼ばれているらしいわ。それに……」

 一番年上らしい、この黒髪の人は、マスティマの事情に通じているようだ。

 まだ何かあるのかと二人は引き始めている。ボスを推していた子も顔が強張ってきた。

「それに、総取締役との打ち合わせのとき、コーヒーを用意したことがあるんだけど……。こんな不味いコーヒー飲めるかってテーブルにひっくり返されたのよ。服に跳ねて汚れるわ、ノートパソコンは駄目になるわでもう最悪」

 リアルに想像できる。私が飲んだコーヒーみたいなものを出していたとしたら、それはもう気に入らないこと間違いなしだ。

 それにしてもマスティマ以外の人にも容赦なしなんて、困った人だ。

「そんな怖い人、嫌」

 ボスを慕っていたはずの子がとうとうそう言いだした。

「私、再来月の打ち合わせで応対者に決定してるんだけど……」

 茶髪の人が言葉を詰まらせる。金髪の子が可哀想と言わんばかりの瞳で見つめている。

「総取締役の前でだとおとなしいらしいから。対応するときを見計らえば、きっと大丈夫よ」

 年上の人が落ち込む彼女の肩に手を置いて励ましている。

 本社にはボスでさえ気を遣う人がいるのか。そんな人がうちにもいてくれたら、どんなに楽だろう。マスティマのトップがボスなのだから、これはどうしようもないことだけど。

 私ははっと思い起こした。出発の時間って何時だったけ。

 腕時計を見直して時間のなさに慌てふためく。荷物を持って急いで席を立つ。

「はあ。ちょっといいなと思ってたんだけど、あの赤い髪の副社長も普通じゃないわよね。そんな上司の下で働けるんだもの」

「個性強すぎだよね。銀髪の子なんて、この間、社の廊下で爆竹鳴らして面白がってたもん」

「マスティマの男なんてヤバイのばかりよ。目を合わせちゃ駄目よ」

 三人の会話は続いている。これはジャズ隊長にグレイの話?

 後ろ髪を引かれるが、今度乗りそこなったら、きっと今日中には帰れない。噂話に気を取られている場合ではない。私はラウンジを飛び出した。

 エレベーターへ向う前に非常階段を見つけて駆け上がる。待っている暇も惜しい。

 そして、扉を開けて屋上に出た私を待ち構えていたのは、プロペラを回して離陸準備に入っている黒いヘリコプターだった。

次回予告:本社からマスティマの城へ戻るヘリコプターの機内。微妙に様子のおかしい同乗者にミシェルは戸惑うのだったが……。

第61話「沈黙のヘリコプター」


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