56.ボスとミシェル(後編)
しばらく続いた、いたたまれぬ沈黙。
「そんななりじゃ銃だって扱えねえ。武術の威力も半減だ」
ようやくボスが口を開いた。
時間があったお陰で、私は冷静さを取り戻していた。体格のことを言っているのだと理解する。
余計なお世話だ。自分でだって分かっている。
そりゃアビゲイルくらい背丈があって、おまけに綺麗だったら言うことない。だけど、天の節理っていうか、努力ではどうにもならないこともあるのだ。
「私の拳法はスピード重視。一度で駄目なら数撃てばいいんです。ほっといてください」
私は、ほとんどふて腐れて言った。
ボスの視線が更なる凄みを帯びた。何でか分からないが彼を怒らせてしまったらしい。
「人の言葉に口答えするな、この野郎」
私は女だから野郎なんかじゃない。心の中で反発を強める。
葉巻を置いて立ち上がるボスに、ソファやテーブルが邪魔だと判断し、後ろに下がった。足首がぐにゃりと曲がる。ああ、もうハイヒールなんか脱いじゃえ。私は靴を脱いで、その場で構える。
ゆっくりと彼は近づいてくる。右手で左脇の拳銃を抜こうとしている。怒りに理性をなくしたんだろうか。あんなものを使われたら、怪我なんかじゃすまない。こうなったら自衛手段に移るしかない。
私は右手を狙って蹴りだした。ワンピースが翻る。生地の硬いズボンよりはずっと動きやすい。
左手でブロックされる。その動きは読めていた。足を下しざまに今度は脛を狙って打ち込む。今度はこちらの動きが読まれていたようだ。後ろにかわされた。
距離をとられれば、体術しかない私にとって圧倒的に不利になる。私は懐に飛び込み、銃把に手をかけようとするところに、拳を叩き込んだ。直撃だ。
だが、その感触に思わず手を引っ込める。拳に痛みが走る。私が打ったのは、ボスの手などではなかった。左手にした黒い銃の銃身だ。彼の両脇には拳銃が固定されたままだ。ということは、どこかに隠し持ってい物だ。
痛みから一瞬動きが止まった隙にボスは私を押し倒した。起き上がる暇もなく、覆いかぶさってくる。左手の銃を突き出して。
大ぶりの銃だ。一見自動拳銃にも見えるが、口径の大きさからして銃というより砲だ。近くで見るのは初めてだが、これは例の衝撃銃、ショック・パルス・ランチャーに違いない。
「おい、手数が多ければ勝てるんじゃなかったのか?」
見下ろしてのこの言いよう。細められた目。この状況を楽しんでいるようにも見える。私は顔を背けた。
胸に銃が押し当てられる。この距離で撃たれれば、傷はできなくても内臓へのダメージは相当なものだ。臓器損傷、心臓が止まることだってありえるはずだ。
こんな風に力ずくで屈服させらるなんて。私は自由になる左手で床をまさぐった。目当ての物についに行き着く。ボスはまだ気付いていない。
「どうする。許しでも請うか」
まったくもって余裕のある声。憎たらしい限りだ。
誰が許しなんて請うもんですか。私は左手の物を握り締めた。
と、その時、別の声が割って入った。
「ディヴィッド、大丈夫なの?」
声の主へとボスが振り返る。私もまた彼の肩越しに見つけていた。
アビゲイルだ。白衣を着た彼女がそれこそ心配そうな顔つきで立っていた。床に倒れている私と目が合う。
「あら、お邪魔だった?」
彼女の言葉に慌てる。一体どんな解釈をしたんだろう。
「アビゲイル、なんでこんな所にいる」
ボスは立ち上がりながら、しかめっ面で言う。
「何度もノックしたのよ。でも返事がないから、中で倒れでもしてるんじゃないかと思って。お取り込み中で気付かなかったのね。鍵くらいかけてくれないと」
医者の特権を振りかざした上、思いっきり誤解している。
そりゃあ、ぱっと見、ボスが私を押し倒しているように見えなくもないけど。いや、実際に押し倒されたのだけど。なんて言うか……。これは、やっぱり誤解されても仕方ない状況なんだろうか。
「そんなんじゃねえ」
ボスはそう言っているが、彼女は聞いていないようだ。クリップボードに挟んだ書類を差し出している。
「本社から急ぎで回してくれっていう書類があってね。どうしても今夜中にボスのサインが必要なのよ」
ペンも渡そうとしている。ボスは煮え切らない顔のまま、受け取ると署名した。そうしなければ、きっと膠着状態になると判断したのだろう。
アビゲイルは満足そうにボードを受け取った。そして私に目を落とす。
「まあ、ミシェル。そんな物を持って、どうするつもりだったの?」
ボスの視線もまた降りてきた。私が手にした物を見て眉を寄せる。
慌てて後ろ手にして、それを隠した。
握り締めたハイヒール。細いヒールは十分武器になりえる。砂袋を貫通するくらいの威力はある。悪くすれば流血沙汰になっていただろう。
アビゲイルは近付いてきて、私に手をさし伸ばした。助けを借りて立ち上がる。ずれかけた鬘を直して整えてくれる。私は気が進まないままにハイヒールを履いた。
彼女の手が埃を払ってくれた。
「この子は病み上がりなのよ。こんな乱暴なことしてどうするの」
彼女の言葉にほっとする。アビゲイルはやっぱり私の味方だ。信頼に値する優しい上司だ。
「可愛がるのなら、床なんかじゃなく、ベッドを使ってあげなさい」
続く言葉に唖然とする。何を言っているのだ、この人は。
ボスはというと声もなく固まっていた。当然だ。二人ともそんなつもりは全くなかったのに。
「おい、アビゲイル」
呪縛の解けたボスは弁解でもするつもりだったのだろう。彼女を呼び止めようと声をかける。
だが、その頃には私を引っ張るようにして部屋を出るところだった。
ボスの声は届いているのに、何の迷いもなく扉をばたんと閉じる。
廊下に出た私たちは歩き出しながら、互いに顔を見合わせた。同時に彼女はくすくすと笑い出す。
「今のあの人見た? あんな風に動揺するなんて久しぶりだわ。あー面白かった」
「アビゲイル、分かって言ってたんですか?」
私は戸惑いながら問いかける。
「途中からね。今晩来て良かった。ばれずにサインもらえたわ」
嬉しそうにボードを掲げる。何か決裁を貰うのが難しい書類だったのだろう。私たちのごたごたを利用するなんて、小悪魔だ。
「それにしても反撃しようとするなんて。悪くしたら、あの銃で撃たれて、また一時お休みになるところだったのよ。私が間に合って良かったわ」
あの時は必死でそれが一番だと思ってたけれど。反撃が成功していたら、ボスの逆鱗に触れていただろうし、不成功なら撃たれていたかもしれない。どちらにしても、きっと良い結果にはならなかった。
私はほっと胸をなでおろす。アビゲイルが来てくれて助かった。これ以上仕事を奪われれば、勘は鈍るだろうし、何より私を支えてくれる人たちに申し訳が立たない。
「本当ですよね。助かりました」
「私もあなたのお陰でサインもらえたんだから、おあいこね」
そう言って笑みを浮かべる。
「でも、何を言ってボスを怒らせたの?」
彼女の問いに首を横に振る。何がきっかけだったのか、まるで分からない。いきなり怒り出したように思えるけど。
アビゲイルの誘導で先ほどの出来事を思い返しながら話す。
「それは、あなたが軽くて痩せてるのを心配したんじゃないの?」
彼女の指摘にまさかと思う。ボスが私を案じるなんて。それこそありえないことだ。
「そんなことないです。チビだから、自分の身を守ることなんか無理だって言いたかったんですよ」
悔しいけれど自分でチビを強調して言う。あの人は私をチビコックだって言っていたし。私を馬鹿にしているに違いなかった。
「そうかしらね」
アビゲイルはそう言っていたけれど、私はどうしても彼女のようには思えない。
医務室に戻るアビゲイルと別れ、自分の部屋に帰ってきた。
なんだか大変な一日の終わりだったが、一応挨拶は済んだ。今晩はゆっくり休んで明日に備えよう。
服を脱いで浴室へ向う。
洗面所の鏡に映った下着姿の自分の姿を見て、あっかんべーをしてみる。チビで何が悪いっていうの。何か迷惑でもかけたかっていうの。
私は悪態をつきながら裸になって、バスタブの中でシャワーを浴び始める。
そうすると、全てがなかったことのように思われた。心も落ち着いてくる。嫌なことはお湯と一緒に流れていったかのようだった。
これなら、明日の朝から気持ちよく仕事ができる。私はそう確信して、ほっとした気分になった。
お陰さまで連載一周年。感謝を込めて、次回掲載は番外編を予定しています。
内容は短編でシナリオ書式のコメディです。
【番外編2】「実録、幹部会議!(2)」
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