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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(4) Vigil もう一つの仕事
56/112

55.ボスとミシェル(前編)

 五日間の休暇はあっという間だった。

 緊張があるのは、ジャズ隊長やグレイ、レイバンが食事に訪れるときだけ。部屋に隠れて過ごした。

 嬉しかったのはプリシラが懐いてくれたことだ。遊んであげているというよりは、彼女に遊んでもらっているような気分だった。

 アビゲイルの料理はどれも外れがなかった。優しい味の家庭料理。

 女三人、そして、最終日にはオスカーを含めて四人囲んだ食卓。賑やかでとても楽しい気分で過ごせた。家族っていいなと思う。しばらく帰っていないイタリアの家を懐かしく思った。

 そして、自分の部屋に戻ってきたその日の夜、最初に耳にしたのは、廊下を通り過ぎる隊員たちのぼやきだった。どうもボスのご機嫌が斜めで、犠牲になっている者たちがいるのだとか。

 どうしようもない人だ。そう思いながら扉を閉めた。

 とは言え、私を助けてくれた人なのだ。抱き上げて医務室まで連れて行ってくれた。想像してしまい、赤面する。

 熱くなった頬。片手で触れて、はっと我に返った。なにやってるんだろう。ローティーンじゃあるまいし。

 胸元を握り締める。ここには私の支えとなってくれたものがある。ブルーノさんを始め、私を守ってくれた存在は沢山いるが、その中でも最も……。

 心が落ち着いてくる。体の熱は引いていき、私は深く息を吸い込んだ。

 明日の朝、ボスに会ったら、最初に五日間厨房を空けてしまったお詫びと、運んでくれたお礼を言わなければならない。

 そして、なにより十年前のことも。

 本当はもっと早く話すべきだったとは思う。

 例えば、初めて城に来たときとか。でも、他に人もいる中、廊下でなんてあんまりだし。翌日の食事を用意したときもボスをボスと認識できずに大失敗、それどころじゃなかった。

 チャンスは毎食時あったけど、酷い目に合わされたりして、タイミングを逃がしてきた。

 思い立ったが吉日。今より他に好機なし。ちょうどいい機会なんだろう。

 医務室であの人が私の話を聞いていたのだとしたら、なおさらだ。伝えないわけにはいかない。

 ……ボスにありがとうって言葉を?

 こみ上げてくるのは気恥ずかしさ。それと共になんだか憂鬱になってくる。こんな風では落ち着けない。きっと、このままではろくに眠れもしないだろう。

 私は意を決した。思い立ったら即実行。悩んでもやもやしている時間はもったいない。

 すぐさま支度を整える。今からの時間、コックがボスと会うのは不自然だ。しかも今日までは休暇中だし。気は乗らないが、この格好をするしかない。アビゲイルから借りている化粧道具をフル活用。

 彼女が貸してくれるワンピースは、時としてぎょっとするほど丈が短い。今回のもだと溜め息ながらに身に着ける。お願いしてレギンスを用意してもらっていて良かった。これがあるとないとでは、大きな違いだ。

 鬘もつけて、ようやく変身完了。廊下に誰もいないことを確認して、部屋から出る。そして、着いた先。扉を目の前にして息を整え、大きい音でノックする。

「誰だ?」

 声を聞いて身が引き締まる。五日しか経っていないのに懐かしくさえ思える、扉越しのボスの低く威圧的な声。

「私です。ミシェルです」

 少し間があって返ってきたのは「入れ」という言葉。

 私は扉を開けて、ボスの部屋に入っていった。間接照明だけの薄暗いが落ち着く部屋。壁から明るい光が漏れていた。部屋を横切るボスの手にはライフルが握られている。私はびくりと立ち止まった。

 襟の開いたシャツに用をなさないくらいに緩められた黒いネクタイ。上着を着ておらず、両脇に二挺の拳銃を納めた黒い革製のショルダーホルスターが見えている。今日もまた手袋はつけたままだ。

 彼はこちらを一瞥もせず、真っ直ぐに光の元へ入っていく。そこは本棚ではないか。扉のようにその一部が開いている。その向こうには白い照明が照らし出す小部屋。隠し部屋だ。

 覗くと、ボスが棚の台座にライフルを納めているところだった。そのほかにも、さまざまな種類の銃器が並んでいる。何より驚いたのは、一番奥には特注品と見えるワインセラーがあったことだ。

 それにしても大きい。透明なガラスの向こうに見えるのは何本だろう。高級なワインが収納されていると見て間違いない。

 ボスの宝の部屋ということだろうか。それを隠すための本棚だったのかと納得する。書物とボス、合わない組み合わせだとは思っていたけれど。

 本棚を元の位置に戻すと、彼は私の前を通り過ぎ、テーブルに広げた道具を片付け始めた。クロスや薬品の瓶、スプレー缶、ブラシが付いた細い棒など見慣れないものばかりだ。

 工具箱のようなものの中にしまい、それを扉つきの棚の中に入れて閉める。

 ようやくボスは私を見た。

「何の用だ?」

 改めて尋ねられると言葉に詰まる。私は視線を泳がせ、棚に納められた本『世界の料理とその起源』を求めた。あの辺りだ。この距離ではタイトルも読み取れなかったが。

「今日は必要ねえ。これからは週に二日でいい。日にちはまた前もって言う」

 ボスの言葉に唖然として彼を見やる。

「それじゃあ不服か?」

 問いかけに首を横に振る。とんでもない。

 それなら無理にはならない。きっともう倒れるなんてことはないだろう。だけど、ボスが妥協したなんて信じられなかった。

「でも、それだとボスが……」

 眠れなくなるんじゃないだろうか。私がいたって、一度も起きずに済むことは滅多にないのに。

「お前はコックだろうが。勤めを果たしてあいつを黙らせろ」

 苛立たし気に言う。

 あいつって誰のことだろう。アビゲイルのことだろうか。続く言葉を待ったが、彼はそれ以上何も言わなかった。

 ガラス扉の棚に近付くと琥珀色の液体の入った瓶とグラスを取り出す。グラスの形からして瓶の中身はブランデーだ。

 私に背を向けてソファに座り、グラスに注ぐ。話をする態度ではない。こうなっては彼の背中しか見えないのだから。

「用がないならさっさと帰れ」

 吐き捨てられる言葉に、ようやく思い出す。ここに来た理由。それを果たさずして帰ることなんてできない。私は彼の横まで近づいた。

 顔を上げることなく、テーブルに置かれた木箱の中から何やら取り出している。先端をカットして口に咥え、マッチで火をつける。葉巻だ。

 独特の強い香りが漂う。煙草にしろ葉巻にしろ、こういう匂いはあまり好きじゃない。それでもしばらくの間我慢するしかない。

「ボス、医務室での話なんですが。十年前の……」

「そんな昔のことは覚えてねえな」

 言いかけた傍から割り込む。葉巻を口にしたまま、ソファに深く座りなおす。私なんていてもいなくても同じだ。

「……そうですよね」

 私は汗ばんできた掌をぎゅっと握り締めながら、呟いた。

 十年前の出来事。私には大きな転機だった。良い意味でも悪い意味でも、それまでの人生が一変したのだ。

 だから、ボスも覚えているはずだと思い込んでいた。それは私の傲慢だったのだろう。

 マスティマのボスにとっては、数ある任務の一つに過ぎない。いつも危険と隣り合わせ。巻き込まれる一般人なんて珍しくないのかもしれない。

 私は気取られないように静かに息を吐き出す。

 ボスの姿勢、やはり私の話なんて聞くつもりはないようだ。気持ちを押し付けられるのはごめんだと言わんばかりだ。

 だけど、あの人が十年前のことをどう思っていても変わらない。私がマスティマに助けられ、命を救われたという事実は。

 私は自分の思うように志を貫くだけだ。相手が覚えていないなんて大した問題ではない。見返りを求めているわけではないのだから。

 さて、次の話。これは部下から上司への礼儀。気乗りはしないが、先に進まなければ。

「明日から勤務に戻ります。五日間もお休みを頂いて申し訳ありませんでした。それから……倒れたとき運んでくださったそうで、ありがとうございます」

「そんなことはどうでもいい」

 さっきと同じ。こちらを見ようともしない。

 私が倒れようが、命を落としていようが構わないということなのだろう。ただの使い捨てのコックに過ぎない。

 抱き上げて医務室に連れて行ったのだって、アビゲイルに言われてのこと。そうでなければ捨て置かれたに違いない。

 伝家の宝刀。アビゲイルはそう言ったけれど、私はそんな物を持っているわけではないのだ。

 顔が熱い。ボスがこっちを見なくて良かった。こんな自分の顔なんて見せたくない。

「それよりお前、ちゃんと飯食ってんのか」

「は……?」

 振り返りざまのボスの言葉に私は慌てた。

 顔の熱が引いていないのに、このタイミングで振り向くなんて思ってもいなかった。それに驚きすぎて意味も分からない。

 彼は葉巻を咥えたまま、じっと私を見つめている。

 そんな風に見ないで何か言葉を続けてください、ボス。

 固まってしまった体に反して、頭だけが回転する。どうやってこの場を逃れるべきか、それだけを考えていた。

次回予告:挨拶のはずが、なんだかとんでもないことに。ボスの部屋を訪れたアビゲイルが、二人を目撃して……。

第56話「ボスとミシェル(後編)」


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