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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(4) Vigil もう一つの仕事
54/112

53.ここにいる理由(後編)

「あなたが女であることを隠すために隔離したまでは良かったけど、どうやって医務室まで運ぶかが問題だったわ。ジャズを呼んで全て話すしかないと思っていた。その時、ボスが部屋に入ってきたの。騒ぎを聞きつけたのね。私はその時ひらめいたわ。あなたを安全に運ぶにはそれしかないって」

 なんだか嫌な予感がするが、アビゲイルの話は途中だ。私は黙って続きを待った。

「ボスに運んでくれるよう頼んだけど、もちろん却下されたわ。仕方ないから少し脅しちゃった」

 茶目っ気のある笑顔だが、相手が相手だけにこちらは笑えない。

「このままなら女であることがばれるわよ。そうなればマスティマにはいられない。あなたは美味しい食事も快適な睡眠も一度に失うことになるわ。今さら女も入れるなんて変えても無駄よ。きっと皆はこの子のためにボスの気が変わったんだと思うだけだわって」

 恐るべしアビゲイル。逃げ場なしの八方塞ぎだ。ボスもこれでは観念するしかなかっただろう。

「ボスが抱き上げて運んでくれたのよ。コートを脱いであなたを包んでね。食堂の外には野次馬がわんさといたけど、ボスの一睨みで沈黙して後退りよ」

 うわあ。皆にどうやって顔を合わせたらいいんだろう。特にレイバンには。目にしたか噂を聞いたかで多少違ってくるだろうが、決して良い印象ではないだろう。

 それにボスにも。あの人にそんなことをさせてしまうなんて。気を失っていたとはいえ、恥ずかしくなってくる。

 もう赤くなっていいやら青くなっていいやら分からない感じだ。

「あなたはもっと強気で大丈夫だと思うのよ。食事と安眠。伝家の宝刀を二振りも持っているようなものだもの。ボスだってやすやすと首にはできないわ。ていうか、首になんてさせないわ」

 アビゲイルは立ち上がった。「来たわね」と呟いて、ついたての後ろに回る。その頃には私も気付いていた。扉の向こうの気配に。

 彼女が扉を開けると、人のざわめきが耳に入った。

「あなた達、病人がいるのよ。こんなに詰めかけてどうするの」

 アビゲイルの声だ。

「でも、ねえさん」

「マイケルの容態は……」

「あいつが死ぬなんてこと、ないですよね」

 口々の声。

「お前らどけ」

 これはグレイの声だ。皆の声がぴたりとやんだ。

「アビー、ミックがいねーと美味いコーヒーが飲めねーんだよ」

「自分の楽しみも減る」

 信じられないことに続くのはレイバンの声だ。

 私はシーツがしわくちゃになるほど握り締めた。皆が私を必要としてくれているのが何より嬉しかった。そして、それに答えられる状態ではない自分が情けなかった。

「少しの間、休めば良くなるから。さあさあ仕事に戻って。静かにしてないと、あの子元気になれないわよ」

 アビゲイルの言葉が効いたようだ。遠ざかる足音が聞こえる。その音にレイバンの声が混じった。

「これをあいつに渡してくれ。元気を出せとな」

 何かをアビゲイルに預けているようだ。

「あらレイバン、あなた、あの子のことを嫌いなんじゃなかったの?」

「あんな美味い菓子作ってくれるの、ミックしかいねーもんな」

 グレイが茶化している。

「そういうことではない」

 慌てたようなレイバンの咳払い。

「ボスの意にそぐわぬ者は自分の敵だ。だが、今回のことはそうではない。あいつにとっての厨房は我々の戦場と同じだろう。そこで倒れた同志を放っておくなど、できるわけがない」

 ボスに救われたという同じ境遇が彼にそんなことを言わせたのだろうか。それにしても、同志つまりは仲間として認めてくれたことに感動すら覚える。

 やがて皆去っていった。

 扉を閉めてアビゲイルが戻ってくる。彼女の手には本が握られていた。差し出された物を良く見ると『最新式筋肉トレーニング』というタイトルだった。体力をつけて倒れるなんてことがないように、との意味だろうか。

 何か挟まっているのに気付き、抜き出す。茶封筒だ。何だか嫌な予感がする。

 中を覗くとやっぱりだ。私は震える手で封筒の蓋を閉めた。

「またアレを貰ったのね」

 アビゲイルが呆れたように言う。

「でも、これを見たらきっと元気になるって。あの人なりに考えてくれたんだと思います」

 封筒入りのボスの写真。しかも今度はあのポスターになっていたものの写真版だ。

 これ自体は始末に困る代物だが、彼の心遣いが嬉しかった。

「五日間は仕事を休んでもらうわよ。ボスにも言っているから。夜のお勤めもなし。私たちの部屋に来てもらうわ。無理しないように監視するからね」

 彼女は腕を組んで見下ろす。とても、逃げられる様子ではない。

 皆の食事が気になるが、元気を取り戻さなければ、美味しい料理も作れないだろう。

 私は彼女の申し出に従った。幸いなことにオスカーはディケンズ支社をめぐる一週間の出張に出ている最中だという。私のいる四日間は帰ってこないらしい。一日くらいなら、女であることもごまかせる。

 そして、何より私の心を躍らせたのは、プリシラの世話を手伝ってねというアビゲイルの言葉だった。あの可愛い子と一緒に過ごせるなんて、大歓迎だ。

 私はうきうきとした気分で休暇に臨んだ。

次回予告:アビゲイル一家の部屋で静養するミシェル。けれど、リラックスというのもなかなか難しく……。

第54話「シークレットなサービス」


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