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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(4) Vigil もう一つの仕事
53/112

52.ここにいる理由(前編)

 私は目を開けた。

 ぼんやりとした視界に入ってきたのは見慣れない白い天井。細長い蛍光灯の明かり。そして、鼻をつく消毒薬の匂い。目をしばたく私にアビゲイルが声をかけた。

「良かった。気付いたのね、ミシェル」

「アビゲイル、私……」

 辺りを見回して気付く。ここは医務室だ。私が横たわっているのは患者用のベッド。

「過労よ。働きすぎ。無理をしたのがたたったのね」

 白衣を着た彼女が顔を覗きこむ。

「もっと早く手を打ってあげればよかったんだわ」

「いいえ。私が自分の体力を過信していたから。こんなことになるなんて思わなかったんです」

 私は溜め息をついた。

 脳の疾患でも感染症でもなかったことにホッとすると共に、アビゲイルの手を煩わせていることに申し訳ないという気持ちがこみ上げる。そうでなくとも、彼女は他の仕事を抱えているのに。

 アビゲイルはベッドの脇に置かれた丸椅子に腰掛けた。

「ねえミシェル。あなた、本社に行くのはどうかしら? 少しは楽な仕事になるわ。本社のほうは了解済みだし、ボスにも話はつけたわ」

「そんなの駄目です!」

 私は飛び起きた。布団がはぐれて自分のあられもない格好に愕然とする。

 ボタンを閉じていない白衣。真っ二つに切り裂かれたTシャツ。その下には何も身に着けていない。私は慌てて布団をかき寄せる。

「皆の食事はどうなるんです。また、あんなインスタントばかりになっちゃうんでしょう。ボスだって元の不健康な食事に戻ってしまうかもしれないし」

 顔を赤らめながらも、必死で言いつのる私の頭にアビゲイルは優しく手を置いた。

 彼女は黙って私の髪をなでている。

「もしかして、もう他のコックを……」

 不安に涙がこみ上げてくる。

「いいえ。マスティマのコックが務まるのはあなただけよ、ミシェル」

 彼女はそう言うと手を下して、柔らかく笑った。私は茫然と彼女を見る。

「変なことを言ってごめんね。あなたの気持ちを確かめたかったの。でも、何故そこまで私たちのことを気にするの。あなたの後ろにはイタリアのマフィア、ブルーノ・マロッチーニがいるでしょう。でも、あなたが関係者だとは思えない。どうして、そんな力を借りてまでマスティマに?」

 私は俯いた。隠す理由なんてないだろう。私の正体を知っているこの人の前では。

 顔を上げ、彼女の深い緑色の瞳を覗き込む。この人なら大丈夫だ。全てを語ってもきっと分かってくれる。そう確信して口を開いた。

「私、小さい頃、父の料理店の手伝いに出ていて。常連客だったブルーノさんを狙ったマフィアの抗争に巻き込まれたんです。そこへボス率いるマスティマが現れて。私は助かったのだけど……父を亡くしました」

「あなた、まさかそれを恨んでうちのボスを狙って?」

 アビゲイルの早合点に驚いて、思わず短い笑い声を上げてしまう。

「違いますよ。確かに父は助からなかったけれど、マスティマが来なければ私の命もなかったんです。父だってその場で死んでいたでしょう。病院での三日。短かったけれど、貴重な時間をもらえたんです」

 少しの間だが意識のあった父との会話。交わした話は十年たった今になっても鮮やかに思い出せる。父は最後まで私に怪我がなくてよかったと喜んでいた。

「父を狙った男を止めてくれたのがボスで。他の人も子供の私を気にかけてくれたりして」

「ちょっと待って、それって何年前の話なの?」

 アビゲイルが慌てたように話を遮る。

「十年前です」

「ちょうどあの人がボスになった頃、先代から引き継いだくらいだわ。年若きボスの任務ね」

 それまで思いもしない言葉だった。あの人もボスではない頃があるのだ。少年時代だって。ちょっと想像ができないけれど。

 十年前のあの夜、ロングコートを着たシルエットを思い出す。片手の黒い拳銃リボルバー。顔もよくは見なかったし、声色も定かではないが、言葉はもちろんのこと、迫力は鮮明だ。十年前だけれど、確かにあれは今のボスに通じるものがあった。

 だからこそ、私はここにいるのだ。

「私、恩返しがしたくて。私の得意なものは料理だったから、それを磨けば何とかなるかもしれないって、あちこちで弟子となって学びました。そして、ブルーノさんに無理を言ってディケンズ本社を紹介してもらったんです」

「なるほど、そういうことだったのね。でも、入ってみて驚いたんじゃない? あんなボスで」

 確かに驚いた。あんな人がいるなんて世界は広いものだと。

「言葉遣いは荒いし目つきは悪い、我ままで乱暴でどうしようもない人ですよね」

 私はくすりと笑った。

「でも悪い人じゃない。繊細なところもあるし」

「ボスが繊細?」

「はい。料理に対するこだわりから見てもそうだと思います。それに、何よりもマスティマのボスとして誇りを持っています。きっと私のまだ知らない良い所も沢山あるはずです。だって、ただの乱暴者なら誰も付いては行きませんよ」

 私の言葉が終わるや否やアビゲイルが背後を振り返った。同時に小さな物音が聞こえる。ついたてに遮られて何も見えないが。

 顔を戻した彼女は、にっこりと笑っていた。

「あなたがそう思ってくれるなんて嬉しいわ。ボスだってきっとそう思ってる」

 椅子から立って私の傍に寄った。ベッドの端に腰を下ろす。

「ねえミシェル。さっきまでボスがそこにいたのよ」

 ついたての方を差し示す。私はすぐには言葉の意味が理解できず、ぽかんと彼女を見つめた。

「あなたが起きたのとボスが去ろうとしたのが一緒だったから、出て行けなくなっちゃったのね。ついでに言っとくけど、あなたを厨房からここに運んでくれたのも、あの人よ」

 とんでもないことを言い出す。何かの冗談だろうかと顔に目を凝らしても、何の変化もない。ボスが私を運んだなんて。どうしてあの人がそんなことを。

 驚く私を前に、彼女は経緯を話し始めた。

次回予告:倒れた自分を運んだのはボス? 思いもかけないことに驚くミシェル。そして彼女が休む医務室にやってきたのは……。

第53話「ここにいる理由(後編)」


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