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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(4) Vigil もう一つの仕事
51/112

50.レイバンの思い

 私が寝室に入ると、レイバンはベッドの上で体を起こして待っていた。

 辛そうだ。咳も続いている。丸めた肩が体を一回り小さく見せた。布団の上ではさっきの犬が寝そべっている。

「言っておくが、お前を許したわけではないぞ」

「分かっています。でも、ボスの命令でもあるんですから、レイバン」

 アビゲイルに聞いた通りに答える。そう言えば、ごねなくなるだろうと。案の定、彼の顔つきが変わった。

「ボスのお言葉か!」

 こんな風に具合が悪くても、ボスという言葉に反応する彼には、なんだか切なさを感じる。これほど思ってくれる部下。ボスはもっと大事にすべきだと思う。

 レイバンは流行りの風邪にやられていた。熱に顔を上気させ、咳き込む彼を見て、ボスは自分の部屋での静養を言い渡したのだ。そう言えば聞こえはいいが、実際のボスの言葉はこんなだったそうだ。

「お前の風邪なんぞうつされちゃかなわねえ。引っ込んでろ」

 あの人らしいといえば、らしいが。病人に対して、上司はもっと気遣いを見せるべきじゃないだろうか。

 顔を輝かせる彼を見て罪悪感に苛まれる。ボスの命令というのは真っ赤な嘘。私に食事を用意するように言ったのはアビゲイルだ。

「おじや作ってきました。僕の祖母が風邪の時よく作ってくれたものなんです」

 私はワゴンの鍋から皿にすくって入れる。

 スプーンを添えて渡すと、彼は疑わしげに皿の中を見やる。

「なんか、〇〇みたいだな」

 食事中には言ってはいけないカタカナ二文字だ。カレーのときの〇〇〇と同じくらいに。

 私は顔を引きつらせた。

「日本の料理らしいですよ。まあ食べてみてください」

 慌ててそう付け足す。まあ彼の言いようも分からないでもない。私も初めて見た時思ったのだから。さすがに食べる前には言わなかったけれど。

 レイバンは恐る恐るスプーンを口に運んだ。疑わしげに顔に皺を寄せていたのが、すぐに嘘のように穏やかになる。ゆっくりとではあるが、食べ続ける。用意した水を飲みながら、やがて完食した。

 良かった。後は寝ていれば風邪なんてすぐに治るだろう。

 今日のお菓子である蒸しプリンをベッドのサイドテーブルに置く。これも栄養価の高い消化の良いものだ。後から食べてくださいと言葉を添え、スプーンをつける。

「やはりボスは偉大だ」

 彼は感動したように言う。ボスが食事を持って行くように言ったからと誤解しているとはいえ、大げさな言いようだ。

「あなたにとってボスは特別なんですね」

 思わずそう言ってしまった。

 今までを見てきた限り、ボスに入れ込む理由は分からないけれど。時に二度も蹴られたこともあるというのに、一体何が彼を駆り立てるのだろう。

 レイバンは私を睨み付けた。余計なことを口にしてしまったと気付く。

 だが、言ってしまったことをないことに戻せるわけもない。私は気まずい沈黙を何とかしようと、ベッドに上の犬に手を伸ばした。

 かわいいワンちゃんですねと言おうとしたができなかった。この子は牙をむき出しにして唸っているではないか。触ったなら噛み付いてやるといわんばかりだ。

「よせ。マリアは自分しか懐いていない」

 レイバンのごつい手には嬉しそうに頭を摺り寄せているのに。彼の目じりは下がりっぱなしだ。名前を連呼して、唇を舐めるがままにさせている。

 マリアなんて女性の名前をつけてるところからして、思い入れの深さを感じる。

 それにしても、でっかい人に小さい犬って、なんだか微笑ましい絵だ。

 レイバンは仰向けになった犬の腹をなでている。

「ボスは自分の命を救ってくださった」

 彼はぽつりと言った。愛犬の存在が彼の頑なな心を溶かしてしまったようだった。

 そして、ゆっくりとした口調で話し出したのは過去のこと。かつては世界中を渡り歩いたのだと。傭兵として各戦地に赴いた末、たどり着いたのがマスティマ。金を目的にしか働けなかった彼を変えたのがボスだった。

 任務でしくじり、敵に後ろを取られ、窮地に陥った彼を救ったのだ。

「それなのにあの方は「野郎がどうなろうと知ったこっちゃねえ。敵の後ろにお前がいただけだ」と謙遜されて。こんな格好のいい人、見たことがあるか? 絶対に付いていこうと思ったんだ」

 謙遜だろうか。あの人が謙遜なんて口にするだろうか。

 だが、レイバンは信じている。信念とは尊いものだ。私だってボスに、マスティマに命を救われたのだ。レイバンの気持ちは理解できる。彼への親近感は強まった。

「僕も昔ボスに救われたんです」

 私の言葉に彼は驚いたようだった。彼もまた思うところがあったらしい。

 ベッドサイドのテーブルの引き出しから、なにやら取り出す。写真のようだった。彼は大事そうにそれを手の中で広げると、その中の一枚を私に差し出した。

「今日の飯の礼だ。受け取れ。自分は借りを作りたくない」

 私は言葉を失った。

 写真に写っているのはボスではないか。首を返して、こちらを見つめるバストショット。写真でも、もちろん目つきは変わらず悪い。アップのボスの視線に思わず目をそらしてしまう。

「レイバン、これ……」

 私は言いよどむ。

「他の奴には内緒で頼む。もちろんボスにもだ」

 確かにこんな物の存在をボスに知られたら大変だ。ただではすまないだろう。

 手の感触に思わず裏返して見る。ラミネート加工されている。落としたり少々濡れたりしても大丈夫だ。

「こういうのもあるが目立つからな。見られたらまずいと思ってさっき隠した」

 彼がベッドのヘッドボードの後ろ、壁の隙間から取り出したのは、額に入った大判のポスターだ。まるでギャング映画の俳優のようだ。

 翻っている黒いロングコート。丸い月と建物の黒い影を背景にボスがこちらに銃を向けている。その足元には銀色の毛並みの狼。合成まで使っているようだ。

 これだけを見たらファンでもできそうだ。かっこいい感じに仕上がっている。

 もらう写真もそっちのほうが良かったなって。……違う。そういう問題ではない。

「レイバン、困ります」

「何だ、二枚はやらんぞ」

 私が他の写真まで欲しがっていると勘違いしている。手の写真を庇うようにして。彼は大真面目だ。どうやっても付き返せそうにない。

「……ありがとうございます」

 とりあえず礼を言って、白衣のポケットにしまった。

 そして、逃げ出すようにして部屋を後にする。なんだか秘密を持ったようで、気分があまり良くない。それにポケットの中の写真。どうしよう。

 ワゴンを押して廊下を歩いていると、通りかかったアビゲイルと目が合った。

「マイケル、レイバンの様子はどうだった?」

「だ……大丈夫でしたよ」

 私の言葉に形の良い眉をひそめる。そして、こちらに寄って来た。詰まった言葉に加え、ポケットの上から手を押し当てていたのがまずかったらしい。

「もしかして、アレをレイバンに貰ったとか?」

 嘘が顔に出てしまうタイプであることは分かっていても、治せない。それに彼女はその存在を知っているようだ。私の手を退け、写真を取り出す。

「やっぱり。またやったわね」

 写真を見ると、呆れたように言った。

「前にボスに隠し撮りを見つかって怒られたのに。懲りないわね」

 怒られるのは当然だろう。しかし、またとは。それであんな風に内緒だと私に言ったわけか。でも、どうしよう。写真はここにある。私はアビゲイルにどうすればいいか尋ねた。

「証拠隠滅。燃やしちゃうのが一番いいんじゃない?」

 写真を返しながら彼女は言う。けれど、人の写った写真を燃やすなんて、なんだか気が進まない。

 それでなくとも、あのボスの写真だし。火をつけたりしたら何か悪いことが起こるんじゃないだろうか。祟りとか。

 一旦自分の部屋に戻った私は、仕方なく封筒を取り出して、その中に写真を入れた。

 これでとりあえずは見えることはない。解決したわけではないが、なんだかほっとした。

 それから、私は仕事場である厨房に戻った。

 しばらくの間、気になっていたが、何日か経つと忙しさに思い出すことも多くはなくなった。元気になったレイバンが食堂に現れた時くらいだ。

 彼は相変わらずグレイにくっついてやってくる。私への態度も変わらなかった。

 変わったのは私の気持ちかもしれない。私のボスへの反発心を憎むレイバンの思いが分かったから。彼にはそれだけの理由があることを知ったから。

 私は心から、彼の思いがボスに届く日が来ればいいのにと願わずにはいられなかった。

次回予告:コックとボスの寝かしつけ役の両立は難しく、疲労をつのらせたミシェルはついに……。

第51話「過労の末に」


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