49.医食同源
医療と食事というものは深い結びつきがある。
特に東洋ではその意識が根付いているように思う。医食同源という言葉は日本語で造語らしいが、中国でも薬食同源の思想が古くからある。
薬膳料理は中国の師匠が得意とする分野でもあった。だが、残念ながら、それを学んだことはない。とても複雑で奥深い世界だ。習得するには何年もかかるだろう。中途半端になるなら教える気はないと、師匠からもはっきり言われた。
だが、その考え方は新鮮で、料理人の可能性が広がって見えたものだ。
私はこのままでいいのだろうか。仕事を把握し、慣れてきた者が誰でも考えるだろう自問自答。夜のボスのせいで時間は狭まっているが、コックとしては常に追及者でいたい。
考えた末、出た結論はアビゲイルとの連携。私に知識と技術が足りないのなら、他に協力を求めるだけだ。
コックと医師として、隊員たちが健康であることを目指す。二人での話し合いも重ねた。
「疲れているみたいだけど、大丈夫?」
アビゲイルの言葉。弟のジャズ隊長からも言われたっけ。一人なら気のせいで済むが、二人目となると話は変わってくる。
「なんとかやってます」
私の答えに、無理をせずに辛いときはいつでも医務室に来なさいと言ってくれた。いくら彼女でもボスには逆らえないようだ。
こうなったら、ボスの夕食に睡眠薬でも盛るしかないか。……いや、これは冗談だ。本当にやる度胸なんてない。半ば真剣にこんなことを思うなんて、どうかしてる。深い溜め息が出る。
自分のことは触れないでおこう。どっと疲れが増す気がする。今、私が考えるべきはマスティマの隊員たちのことなのだし。
彼らのほとんどが若者だから、治療食は今のところいらない。必要なのは予防のための食事だ。ビタミン、カルシウム、鉄分等の摂取。それに栄養バランスやカロリー。他にも頭を使うことは色々。
風邪などの病気をして寝込んだ隊員に提供することも始めた。高栄養で消化に良い療養食。ワゴンに乗せて届けるデリバリーだ。
病人のための、このサービスも次第に内容が変わりつつある。
時として、幹部の食事まで玄関先に運ぶようになったのだ。ジャザナイア隊長とグレイはお得意様だ。幹部特権というものだろうか。料理の内容とか、色々と要望も多いから大変だ。ボスほどではないが気も遣う。
まあ、それはさておき、今日舞い込んで来た依頼は療養食だ。
アビゲイルから名前を聞いて、やはりと思う。食堂に一週間以上も姿を現さなかった。
グレイが一人でコーヒー目当てにやってくるだけだ。
食堂の入り口に置いたアンケートボックスの常連でもあった、その人。食べたい物はの問いへの回答は、チーズケーキやらアップルパイやらバームクーヘンやら。全部お菓子だ。
紙に並ぶ小さな丸みを帯びた文字。体に似合わない筆跡だ。それがレイバンのものだと知ったときは驚いたけれど。
なんだか嬉しくなって、作るのも自ずと気合が入った。
食堂では、グレイを盾にしてお菓子に手を伸ばしていた。もっとも体格差からぜんぜん隠れてはいないのだが。
黙々と頬張り、そそくさと立ち去っていく。私と目が合うとばつが悪そうなので、あえて気付かないふりをした。
いないと寂しいものだ。つい姿を捜してしまう。
任務で城を離れているのだろうか。それとも、もしかして体の調子を崩しているのだろうか。本人には余計なお世話だと言われそうだが、ちょっと気になっていた。
悪い方の予感が的中。
療養食ならば一押しのものがある。それはおじやだ。日本人である祖母が、風邪の時によく作ってくれたもの。リゾットとはまた違う、優しい味。栄養もあって消化にも良い、まさに病気の時には絶好の食べ物だ。
アビゲイルから教えてもらった部屋の扉の前で立ち止まり、心を落ち着かせる。預かった鍵で扉を開け、ワゴンを押して中に入る。
「こんにちは。マイケルです。入ります」
入り口付近で声を大きくして、私は通路を歩いていった。
私の部屋とは全く違う間取り、そして内装。ボスの部屋ほどではないが、全てが大きくて広かった。
リビングには、パワーラックにセットされたトレーニングベンチ、バーベルやダンベルを始めとした筋肉トレーニング用の機器があった。ランニング・マシーンやエアロバイクが置かれた一画。あの隆々とした筋肉はここで維持されていたのかと納得する。
そして大きなテレビにゆったりとしたソファ。掃除は行き届いていて塵一つない。自分でやっているか、委託しているのかは分からないが、綺麗好きと見える。
私は足を止めた。奥の扉が僅かに開いている。その隙間からこちらを覗いているものがいた。黒くて丸い瞳。じっと私を見つめている。
私はワゴンの横に腰を落とし、口笛を吹いて手招きをした。小さな犬だ。確かイングリッシュ・トイ・テリアという種類だ。姿かたちは小さなドーベルマンと言ったところ。茶色の体毛に足先と鼻先は黒。大きさは私の膝にも満たない。
その小さな子は私を怪しんでいるようだ。侵入者、つまりは敵かどうかを窺っているように見える。どうやら決断を下したようだ。口笛を吹き続ける私の前に出てくる。赤い首輪が可愛らしい。
犬は私に向かって猛然と吠え始めた。牙をむき出しにしたところなんて、とても小型犬とは思えない迫力だ。
犬好きとしては悲しくなってくる。こんな風に吠えられるなんて今まで一度もなかったのに。
「マリア、どうした?」
奥の扉が大きく開き、声の主が現れた。レイバンだ。ランニングシャツにグレーのスウェットのズボンを身につけた彼は私を見つけるなり、不愉快そうな顔つきをした。
「なんでお前がここにいるのだ?」
「御飯を持ってきたんです」
私はワゴンを示した。
「……お前の世話になどならん」
声に咳が混じった。よく見ると顔色もまだ悪い。熱があるようで赤みがさしている。声にもいつもの覇気がない。
レイバンは犬を呼んだ。一目散に駆けて、彼の腕の中にかくまわれたその子は、じっと私を見つめていた。
腰を落としていた彼の足がもつれた。
私はすぐに飛び出した。倒れそうになる彼の腕を必死で引っ張る。
「ベッドに戻ってください。ここで倒れられても、僕ではあなたを運べませんから」
意地よりも現実が勝ったのだろう。彼はおとなしく奥の部屋に戻り始めた。
ベッドに座ったのを確認してから、ワゴンを取りにリビングに引き返した。
次回予告:レイバンに食事を届けることで、その心に触れることになったミシェル。彼もまた、思うところがあったようで……。
第50話「レイバンの思い」
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