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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(4) Vigil もう一つの仕事
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47.希望の行方

 執務室の扉を前にして立ち止まる。手には円盤型の薄いCDプレイヤー。

 大きく息を吐き出して緊張をほぐす。プレイヤーを握り締め、決意の確認をする。

 それから、ノックをして断りの言葉と共に部屋に入った。

 正面に据えられたダークブラウンの大きなデスク。ボスは書類にサインをしているところだった。こういうデスクワークも彼の仕事のひとつなのだ。

 近付いていっても書類に目を向けたままだ。念力で火でもつけそうな勢いだ。そして、万年筆を滑らせる。サインを終えた紙に吸い取り器(ブロッター)を押し付けてから、横に置いた箱に入れる。重ねられた新たな書類を一枚手にして、彼は顔も上げずに言った。

「なんだ」

「あの……ボス、これを」

 私はCDプレイヤーを両手で差し出す。ボスはちらりと上目遣いにそれを見ただけで、再び書類に目を落とした。

「なんだ、それは」

 下を向いたまま言う。

「技術情報部に頼んで作ってもらったCDが入っています。僕の本を朗読する音声が記録されています。これを聞いてもらえば、きっと……」

 私の説明にようやく顔を上げた。ぎろりと私を睨んでいる。背後の窓からの光が微妙な影をつけ、普段から十分な迫力を後押ししている。

 無言でペンを置いて立ち上がった彼を見て、私は慌てた。

「あっ、ボスのためだということは言ってませんし、僕が女だということも……」

 言葉が終わらないうちに、いつもの黒手袋をした手を伸ばして、プレイヤーをひっ掴んだ。驚いた私は手を離してしまった。

 彼はデスクを離れると、背後の窓に向って歩き出す。錠が外されて窓が開く。何をするかと思えば、空に向ってフリスビーでも投げるかのようにそれを放った。

 思わず短く悲鳴を上げてしまう。私が最後に見たのは、弧を描く放物線の頂点から落下するプレイヤーだった。

 窓に駆けつける直前に、地面にぶつかる無残な音が聞こえていた。

 覗くと大破したプレイヤーと飛び出して割れたCDが見えた。

「なんてことを」

 呟きを漏らさずにはいられなかった。せっかくアビゲイルにも知恵を借りて、オスカーにも協力してもらったのに。

 それにプレイヤーは借り物なのにどうしよう。一瞬頭の中が真っ白になる。

「壊れたな」

 ボスは私の横で、いかにも自然に壊れましたと言わんばかりの口調だ。

 城で最初に会ったとき、アビゲイルに銃床(ストック)が欠けたライフルを渡したときと同じだ。壊れたのではなくて壊したのに。

 私の頭を後ろからど突く。反動でCDプレイヤー同様に窓の外へ落ちてしまいそうになる。それを踏ん張って何とか耐える。

 彼はデスクに戻ると、再び書類を手に取った。

「今夜は外に出る」

 後頭部を押さえて涙目で振り返る私を見もしない。

 今日は夜のお勤めの日だ。外に出るということはキャンセルってことか。初めての二日空きだ。久しぶりにゆっくりできるかも。

 なんだか休暇でも得たような浮かれた気分になる。だが、それはすぐに彼の言葉によって沈められた。

「俺が戻ってきたら部屋に来い」

 それって、寝ずに帰るまで待てってことでしょうか。

 そんなことしてたら、明日の朝、起きられなくなってしまう。

「朝食はいらん」

 そんなこと言ったって、誰もボスの朝食なんて心配していない。遅く帰ってきて食べないことなんて今までだってあったし。

「でも、遅番の人たちへの朝御飯の用意が……」

 抗議の途中で何かが折れる音。首を僅かに回して、ボスが横目でこちらを見る。手にはペン先の折れた万年筆が握られていた。

「ああ?」

 低い彼の声に体がぶるっと震える。この人の声にも目にも慣れるということがない。

 先のない万年筆でも人は殺せるんだろうかと真面目にそんなことを考えてしまう。

「……分かりました」

 結局気持ちを貫けなかった。ふがいない自分が恨めしい。

 ボスはすでに自分の仕事を再開している。引き出しから新しいペンを取り出していた。

 受話器を取ると、番号を押して、出た相手に文句を言う。報告書を出しなおせと。それは多分ボスがさっきペン先を折って、インクを滲ませた書類のことだ。また理不尽な命令だ。

 私のせいでもあるけれど、その人には許してもらいたい。もういっぱいいっぱいなのだから。

 頭は今日の段取りを考えるのにフル回転だ。

 明日の朝食は今日のうちに出来るところまで用意して、朝は火を通すだけで済むようにしておこう。昼食もそんな感じにしておいて、途中で手の空いたとき、部屋で休ませてもらおう。

 そうか、私自身の日程を変更すれば不可能なことではない。

 ボスのせいにして、本来の仕事である料理をおろそかにすることなんて出来ない。そんなことは私自身が納得できない。プロとして厨房に立つからには妥協は許されないことはもちろん、なによりもあの人に負けた気分になるのが嫌だった。

 私は執務室から一目散に退出した。

 そうと決まればやることは沢山ある。今から準備に取り掛かれば、皆に迷惑をかけることはないはずだ。

 ここはマスティマ・コックの根性の見せ所だ。白衣の袖を捲り上げながら、私は厨房へと急いだ。

次回予告:冷暖房完備のマスティマの城。だが、それさえもボスには邪魔なことがあるようで……。

第48話「冬のボス」


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