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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(4) Vigil もう一つの仕事
42/112

42.アクシデント4 ~ 結末 ~

 ソファの上でボスは、じっと私を見上げている。

 私はといえば、冷や汗をだらだらと流し、突っ立っているだけだ。

 業を煮やしたように彼は体を起こすと、私の手首を取り、引き寄せた。

「読め」

 床に崩れて座り込む私にそう命令する。訳が分からずに、手の本をじっと見つめる私を冷たい視線で射抜く。観念して本を開くと彼はソファに横たわった。

「……えっと、ジャガイモは芽に含まれる物質、ソラニンから食中毒を起こすことがある。それゆえに、毒があるということで長い間ヨーロッパでは食用とされていなかった」

 私はそっと本の影からボスの様子を窺う。

 彼の視線とかち合いそうになり、慌てて本に目を戻した。

「フランスの宮廷では観賞用に栽培され、その花はマリーアントワネットの帽子の飾りになることもあった」

 読んでいれば、ボスと目が合わなくて済む。私はどんどん本を読み進めた。

「食用として広めたのはプロシア、当時のドイツの大王であり……」

 静かな部屋の中、私の本を読む声だけが響く。一ページ、ニページ、三ページと進む。ボスがあまりに静かなので、気になって再び本を盾にそっと覗く。

 なんと彼は寝ていた。黒い革手袋の手を腹に置き、もう片方の手は腕枕にしている。目は閉じられていて、少なくともそう見える。私は確かめようと顔を寄せた。

 静かで深い息。こんな風に彼の顔を見るのは初めてだ。通った鼻筋に男らしい上がり気味の眉。色の濃い肌。

 そういえば、前にボスの嗜好を探るためにいった料理店のアンナさんが言っていた。この人はイタリアにゆかりがあるようだって。

 だけど、顔立ちや骨格をみると、純粋なイタリア人とも違う気がする。じゃあ、なに人かと聞かれても、私には答えられないけれど。

 こうしてみると、ボスはハンサムだと思う。

 艶やかでこしのある黒髪。閉じられた切れ長の瞳。目は口ほどにものを言うというが、本当だ。いつもは迫力に圧倒されて、顔全体にまで目がいかない。起きているボスの顔をこんな風にじっと見つめるなんて、不可能だ。

 男なのに長い睫毛だ。私より長いかもしれない。

 そして、なにより、ほのかにいい匂いがする。ずっと嗅いでいたくなるような感じだ。シャンプーだろうか、香水だろうか。私は目をつぶり、深々と吸い込んで確認しようとする。

 シャープでいながらとげとげしくない、そんな香り。

「おい」

 不意に声をかけられて、はっと目を開ける。

 超近い。近すぎる。間近で見たボスの瞳の色は多分濃いグレーだ。飛び退いたためによく見てはいないが。

 ボスはぶしつけに目を凝らす。まさか私が襲うつもりだったとか誤解していないですよね、ボス。

「続きを読め」

 はい、もちろん。その視線にさらされないのなら、なんだって喜んで読みます。

 私は慌てて本を開き、続きを朗読し始めた。


 どうやらボスは私の声を聞いていると眠れるらしい。

 ところが、読むのをやめるとすぐに起きてしまう。それほどもたないのだ。

 催促を繰り返され、私の喉はからからだ。それに眠い、休みたい。だけど、そんなことは許されるはずもなく。

 部屋の時計で確認すると、すでに夜明け前。ようやくボスの眠りは深くなったようだ。読むのをやめても起きる様子がない。

 私はそっと立ち上がる。恐ろしいほどの倦怠感だ。緊張の名残と睡眠不足で足元はおぼつかない。それに嗄れかけの喉。

 部屋に戻って一時間ほど眠らせてもらおう。私はほうほうの体でボスの部屋を後にした。

 廊下へ出るとありがたいことに人はいなかった。

 急ぎたいが、走る気にはならない。高いヒールのせいで思っても出来ないこともある。それ以上に疲れが私を支配していた。

 角を曲がると、こちらに歩いてくる三人の男が目に入った。中央には小山のような男、レイバンだ。

 隠れてしまおうとも思ったが、この一直線の道ではそれも不自然だ。それに何だかもうどうでもいい気分だ。それくらい疲労はピークに達している。

「おはようございます」

 向こうの若い隊員が挨拶してきたので、私も同じ言葉を返した。声が掠れてハスキーボイスになっている。

「可愛い」

 ぼそりと聞き覚えのある声。おそらくはレイバンだ。三人は立ち止まったようだ。足音が止まった。振り返ってみる気にもならない。

「ボスの新しい愛人かな」

「レイバンさんの好みってああいう人ですか」

 部下の隊員たちの声。レイバンは黙っている。彼は一人で歩き出したらしい。

「待ってください」

 二人の足音が後に続く。

 なんだかとんでもない言葉を聞いた気もするが、今は考えたくない。ただただ休みたいだけだ。

 他にすれ違う人はおらず、私は無事に部屋へと戻ってきた。

 目覚ましを時間差で五回分セットしてから、そのままベッドへ倒れこむ。アビゲイルに借りている服だけど、この際皺になっても仕方ない。

 散々な目に合ったと思いながら、私の意識はすぐに眠りに引き込まれていった。

次回予告:短編の番外編。シナリオ書式のコメディを予定しています

【番外編】「実録、幹部会議!」


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