36.聖なる日
マスティマは機密管理に力を入れている。
例を持ち出すなら、城には住所が存在しない。物品の授受など、全ては表のディケンズ警備会社本社を介してやりとりをしている。
電話もネットも回線が特別なもの。複数の防御策を講じて、招かれざる外部との接触を遮断しているらしい。
情報漏れを防ぐことこそ最大の防御。手段は他にも色々とあるようだが、あとは私が気付いていないだけの話。
主となるのは技術情報部。マスティマのテクニカルチームの能力が発揮されるところだ。その機能はディケンズ本社の同様の部署をしのぐという噂。
表に出ることはない重要な存在だ。
「功績を挙げて目立てばいいのは実行部隊。縁の下の力持ちになってこそが仕事だからね」と言い切るのは技術情報部、部長のオスカー。是非、ボスにも聞いてもらいたい言葉だ。
ボスといえば、彼を始めとして幹部達の移動の情報もまた秘密扱い。
誰が何処でどんな仕事をしているか、或いは休みを取っているかなどは前もって知らされることはない。
それでも、いないことが分かりやすいのはジャザナイア隊長だ。
彼がいないと皆がさらにきびきびと働き出す。廊下を歩く速度から違ってくる。立ち止まって雑談なんてとんでもない。ボスからかばってくれる唯一の存在がいないということが、皆の気を引き締めるらしい。
当のボスもまた城を空けることはある。もちろん日時の予告なし。食事を用意しなければならないコックである私にさえ。アビゲイルづてで情報をもらえるのは良くて二時間前だ。
ボスの不在の日を知るのはジャズ隊長よりもっと簡単だ。朝、自分の部屋を出たとたんに分かる。空気が違うのだ。食堂ではそれが顕著だ。
それはマスティマの食堂が一番賑わうお昼時。
もっとも隊の全員が集まることはない。
隊の隠語である“雑用”、これはディケンズ本社からの依頼の仕事のことなのだが、警備の人数補填のために外に出ている者も多い。
それに城の警備は交代制。昼休みもちょっとずつ時間をずらしてとっているようだ。
掻きこむように急いで食べて、各自の持ち場に戻っていく。だから、賑やかなのもひと時の間だけだった。今日までは。
「やたら多いな」
コーヒーを飲みに来たグレイが、げんなりとした表情で食堂を見渡して言う。
そうなのだ。今日に限って皆寛いでいる。もうすぐ一時を過ぎるというのに。席を立たない隊員が多く、食後のコーヒーまで楽しんでいる。
お陰でグレイの分のコーヒーは、新たにできるまで待たなければならなかった。
「迷惑だよなー、聖なる日 なんか」
不満げな声だ。だけど、意味が分からない。聖なる日ってクリスマスはまだ先だ。首を傾げる私に、グレイはにやっと笑った。
「任務以外でボスがいない日だよ。皆そう言ってるんだ。そういえばお前、前のときはいなかったな」
ああ、なるほど。悪魔がいない聖なる日か。それでリラックスモードなんだ。前の時はアビゲイルと一緒に、ボスの嗜好調査に出かけてたから知らなかった。
「今日はなんでも新型のヘリを見に行くって言っていたぜ」
そうか。任務ではないから隊員たちも城の警備が主な通常勤務。食堂が賑わうわけだ。
ようやく新しいコーヒーが出来上がった。
グレイはカップに注いで早速飲み始める。立ったままの姿に部下の人たちが席を勧めたが、彼は断った。
「グレイはボスがいた方がいいってわけですか?」
最初にひどく不服そうだったのを思い出して尋ねる。
「オレはどっちでもいーんだ。ボスに怒られるなんてヘマしねーし」
そんな答えが出来るのはきっと彼だけだ。
私たちのやりとりを耳にしていたのだろう。隊員たちが信じられないという顔でこちらを見ている。壁に背を付けて、グレイはコーヒーを飲み続けるだけだ。
「それに、こういう時はだいたい……」
声を遮る物音。天井の方から甲高いキーンという音が聞こえてきた。それが消えたかと思うと、流れてきたのはちょっとエコーのかかった覚えのある声。
「テス、テス、テス。これ聞こえてんのかぁ?」
この声はジャナナイア隊長だ。
後ろで「隊長、聞こえてます」と言う声がしている。食堂の隊員たちは笑いをもらした。
ジャズ隊長は咳払いをして声を整える。
「今から臨時の体力強化訓練を始める。手が空く者は中庭に集合のこと」
続いての言葉に、グレイは顔をしかめて天井を仰いだ。
私もつられて見上げる。城内放送の装置があるなんて知らなかった。天井には、灰色で穴のいっぱい開いた円形のものが埋め込まれていた。あれがスピーカーなのだろう。今まで気にしたこともなかった。
それまで和んでいた隊員たちが、席を立ち始める。
せっかくボスがいなくて羽を伸ばしているところだ。こんなときに訓練だなんて、きっと嫌だろうなと思いつつ、彼らの表情を見てみると大外れ。皆にこにこしている。
体を伸ばしてストレッチをする人もいて、やる気だ。
次々と食堂を後にする隊員たちとは反対の人物が約一名。二杯目のコーヒーを片手に食堂の奥へと下がっている。
「オレは行かねーから。オレのことは見なかったことにしてくれ」
腰がひけているのはグレイだけだ。
私は廊下へ出て、窓から中庭を覗いた。ぞろぞろ人が集まってきている。何処からか姿は見えないが、指示を与えているのはジャザナイア隊長の大きな声だ。
「僕、ちょっと様子を見てきます」
グレイにそう言うと、返ってきた言葉は「気をつけろよ」だった。
体力強化訓練だから、きっと参加するなら怪我をしないようにということだろう。
私は中庭へと向った。
次回予告:ジャズ隊長が始めた訓練。隊員たちは楽しそうだけど、目的は本当に体力強化なのだろうか。ミシェルの目の前で起こった衝撃の結末は……。
第37話「ダークホースは誰だ」
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