34.表裏一体
ジャザナイア隊長を目にしたのは、次の日のこと。玄関のホールでだった。
腰を落とした姿。ちょうど座り込んで靴の紐を結んでいるところだ。
あっと声が上がる。片手に中途半端な長さの紐が握られていた。切れたらしい。なんだか不吉な感じだ。
嫌なところに通りかかってしまった。こんなときにはなんて声をかけるんだっけ。
ご愁傷様でした? いや、きっと違う。
傍にいた隊員が気付いた。新しい靴紐を持って来ようとして隊長に止められる。
「とりあえず、一日もてばいいもんな」
そう言って、千切れた紐を結び合わせて使っている。大胆だ。
だけど、あれ? いつもの隊長だ。昨日のことなんてなかったかのようだ。
髪はもちろん短い。ポニーくらいあったのがウサギの尻尾になっている。辛うじてゴムで束にしているといった様子だった。
「そんなとこで何やってんだ、ミック」
不意に声をかけられる。
振り返ると、グレイがいた。黒いハーフコートのポケットに両手を突っ込んだ、いつものいでたち。
角に隠れるようにして覗いていた私は不審者のようだったのだろう。
「ジャズ隊長、立ち直ったみたいですね。さすがグレイ」
「オレはなんにもやってねーよ。髪は揃えたけど」
グレイは隊長を見やった。
「付け毛も無駄になっちまったし」
いるかとポケットから取り出す。その赤い色、ウェーブした形。
見事なエクステだけど、私がもらってもどうしようもない。一発で隊長の髪だと分かるものだ。そんなのを付けていて、ボスの目に触れたりしたら。考えただけで悪い夢でも見そうだ。私は首を横に振った。
当の隊長はしゃがみこんだまま、笑い声を上げている。
靴紐の結い方が左右違うと突っ込まれて、「本当だ」と部下の尻をぽんと叩いていた。
「飲み屋のねーちゃんだよ」
グレイが言う、隊長を救った正体。
昨日、隊長の部屋を訪れたグレイは、髪を揃えた後、街へと飲みに誘ったらしい。
その飲み屋は隊長もよく行っていて、たちまち彼の髪型はおねえさんたちの話題になった。
あれだけ短くなっているのだから、そりゃ誰だって気付くだろう。派手な色だし。
そこで絶賛されたのだそうだ。
今のも素敵だとか、男ぶりが増しただとか、どんな髪型でも似合うのねとか。
気持ちよくお酒を飲ませるのは彼女達の仕事のうちだ。お世辞も入っているとは思うのだけど、隊長のテンションは一気に回復したらしい。
「あーいうシンプルさ、オレは好きだぜ」
彼の言葉にぎょっとする。上司を単純だと言ってのける、グレイもまた大胆だ。
そして、私をさらに驚かせる存在がやってきた。廊下に響く足音が聞こえてくる。
ボスだ。
二人の隊員を従えて近付いてくる。マスティマの制服である黒いロングコートを翻して歩く様は存在感抜群だ。たちまち雰囲気が塗り替えられる。
両脇の二人は荷物持ち。段ボール一箱ずつ。
上を開けたままのダンボールからは、ひらひらと紙が揺らめいているのが見える。持ち手が顎で押さえて何とか落ちるのを免れている状態だった。
あれはおそらく昨日の資料だ。
本社に出向くのだろう。嫌味の一つでも言いに行くに違いない。嫌味だけで済んだらいいのだけど。
ボスは隊長へと目をやった。
隊長は気付いて、結び終えた靴紐から手を離して立ち上がる。
「本社に挨拶に行ってくる」
すれ違い様のボスの言葉に、隊長は頷いた。
「気をつけてな。連中に食われるんじゃねぇぞ」
眼光鋭く横目で睨みつけるボスに気付いていないようだ。
「ボスにエール!」
大声で言って、宙に拳を突き出す。
すると申し合わせたかのようにホールにいた隊員たちが集まってきた。隊長を中心にして菱形の陣形を作り出す。なんだろう、このノリは。
「そぉれ、頑張れ、頑張れ、ボース! 負けるな、負けるな、ボース!」
交互に拳を突き出しながら連呼する。他の隊員たちとも息がぴったりだ。意味が分からないが、見事だ。
玄関の扉を目の前にして、ボスは足を止めた。振り返った目つきの恐ろしいこと。
木製の一人掛け用の椅子を引っつかんで、戻ってくる。扉の傍に置かれていたものだ。
ストレートで飛んでくる椅子を身をそらして避けたのは隊長だ。拳を突き出すリズムも狂っていない。後ろの隊員に当たった。痛そうだ。後ろ向きに倒れこんでいる。
ボスの舌打ちが聞こえてきた。彼は忌々しそうに腕時計を見やると、応援のコールを背にして去っていった。
「あーいう意味のねー情熱も好きなんだよな」
グレイの言葉は褒め言葉なんだろうか。
あの左右対称の陣形、そろった拍子はおそらく練習の成果だろう。その場でできることではないのは確かだ。
ジャザナイア隊長とボス。二人の関係はやっぱりよく分からない。まったく性格が違うのに、やっていけているのが信じられない。
凸と凹、陰と陽、プラスとマイナス。互いを補ってバランスを取っているのだろう。
つまるところ、共通点があるとしたら、バイタリティが溢れているということだけなのだろうか。
そんな上司に付いて行くのは大変だ。こっちの身にもなって欲しい。
だが、二人ともその気がないことは明白だった。
次回予告:城で見かけた、アビゲイルとは別の女の人。マスティマには他に女性はいないはず。アビゲイルに問うミシェル。その答えは彼女の想像を超えたもので……。
第35話「ボスの秘密」
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