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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(3) Full time 本採用
32/112

32.髪は男の命です

 その日の午後、私は厨房で焼き上がって間もないマドレーヌを皿に並べていた。

 いい感じの仕上がりだ。粗熱が取れたばかりで甘い香りをまとっている。

 それをワゴンに乗せる。コーヒーカップやソーサー、スプーンもだ。

 特に甘党のレイバンがたくさん使うミルクは大型のピッチャー入り。砂糖のポットも大きい物を用意した。それから保温機能付きコーヒーサーバー。

 準備は万端。

 今日は本社から来ている情報管理部の人との合同の会議。ボスを始めとして幹部皆が出席している。

 本来ならボスは出席しないものだが、今回は特別らしい。統括長とかいう肩書きの人が一緒だからだそうだ。

 腕時計を見やる。間もなく十五時。予定ではそろそろ休憩の時間になる。

 ワゴンを押して会議室へと向う。

 通い慣れたルートだ。目をつぶってだってたどり着ける。

 すでに扉は目と鼻の先。あと十歩足らずの所まで来ていた。

 突然、凄まじい悲鳴が聞こえてくる。この方向、間違いなく会議室からだ。

 足を早めようとしたところへ扉が内側からばたんと開いた。

「しっ、失礼しましたー」

 そう言いながら、男二人が飛び出してきた。

 禿げかかった頭の太目で年配の人と痩せ型の若い人。スーツを着ているから本社の人たちだ。無造作に資料を抱えて、慌てふためいた様子だ。

「あの、今コーヒーが……」

 呼びかけに、びくりと振り返った彼らは私に目をとめて、若干気を緩めたようだった。

 だが、それも一瞬のことだった。

 続く扉の開く音に、後ろを振り返ることもせず、二人は駆け出した。

「ご馳走様でしたー」

 紙の資料を撒き散らしながら走り去っていく。ご馳走様ってまだ何も出していないのに。

 続いて会議室から出てきた存在を知って、彼らの慌てようの意味を知った。

 今度は私が焦る番だ。

「本社の犬が」

 低い声で罵りながら、小さくなっていく二人の背中を睨みつけるのはボスだ。

 彼は私を一瞥しただけで、存在しないものと決め込んだようだ。

 横を通り過ぎていくボスを見ないようにする。怒りの炎がオーラのように燃え上がっているのを感じる。こんなときは関わらないほうがいい。

 マスティマのコックとなって獲得した、もっとも役立つ知恵だ。

 足音に耳を澄ませながら、角を曲がったことを確認する。

 それから、会議室の扉を開いた。

 テーブルにうずたかく積まれた資料の山。だが、席には誰もいなかった。

 用意したコーヒーと菓子が無駄になってしまったのではと思う前、続きの小部屋の扉が開いていることに気付いた。

 そっと中を覗く。傍にレイバンの大きな背中があった。邪魔になって部屋の中を見渡せない。だが、アビゲイルの声を聞き取ることができた。

「しっかりしなさい。気を確かにして」

 ボスの被害者がいるようだ。

 さっきの本社の人たちはボスの怒りを目の当たりにして、逃げ出したのだろう。

「どうしたんですか」

 足音を忍ばせて中に入ると、レイバンに尋ねる。

 彼の視線の先、床にいる人物を見つけて私は思わず声を上げた。

「ジャズ隊長!」

 まるで尺取虫のようだ。

 頬を床につけ、腰を宙に浮かして、膝を付くという器用というか無理な姿勢。

 ジャザナイア隊長はアビゲイルの声に反応していない。唇は半開き、目は虚ろ。魂はどこかに行ってしまった、抜け殻のようだ。

「哀れだ」

 レイバンが神妙な顔つきで呟いた。

 床が赤色に染まっている。傷を負っているのかとぎくりとするが、そうでないことはすぐに分かった。

「大丈夫だって、隊長。髪なんかすぐに伸びるって」

 腰を落とし、力づけているのはグレイだ。

 そう、散らばっているのは赤い髪の毛だった。隊長の髪が無残に刈られていた。肩甲骨ほどまであった巻き髪は、今や首の辺りの長さだ。

 レイバンの言葉どおり、哀れを誘うばらばらの髪。こんなことを誰がやるって答えは決まっている。

「オレが格好よく揃えてやっから」

 グレイが鋏を手に取った。

 さっきまで床に転がっていたものだ。髪を刈るためのものではない。あれは文具の鋏だ。

 ボスが使ったものだろう。会議室に常備している文房具の一つだ。

 ようやく隊長は起き上がった。肩を震わせながら、皆の視線を振り切って会議室のほうへ歩いていく。

 私の横を通り過ぎる顔は、俯いたままで青白い。

 彼は戸口の前に立つと背を向けたまま立ち止まった。涙をこらえるかのように顔を上に向ける。

「隊則第二章第一項。心に刻めよ、お前たち」

 言葉だけではない。猛烈に背中で語っている。

 そうして隊長は去っていった。

次回予告:全ての始まりはアンチマスティマの姑息な陰謀? アビゲイル、グレイ、レイバンが語る、ジャザナイア隊長がボスに髪を切られたわけとは……。

第33話:「アンチマスティマ」


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