表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(3) Full time 本採用
31/112

31.迫り来る敵(後編)

「技術部、照明!」

 男の低く鋭い声が響く。そして、同時に何かが潰れたような音も。

 辺りの照明が一気に回復した。

 私は眩しさに目をしばたきながらも、グレイの姿を捜す。

 彼は床に倒れこんでいた。体をくの字に曲げて呻き声を上げている。押さえているのは右胸。にじみ出てくるのは血だ。だけど、なんだか様子がおかしい。掌を汚している色って……。

「なんだ、これは!」

 後ろから聞こえる男の怒声。でも、なんだかこの声は聞き覚えがある。恐る恐る振り返ってみると、やっぱりだ。

 そこにいたのはボスだった。

 いつもの黒いロングコートのボタンを全てとめて、小型無線機と思われるものを耳につけている。

 私は混乱する。何が起こっているか分からない。ボスがグレイを撃った。何がどうなっているんだろう。

 しかも、ボスの黒い髪にはどろっとした物がかかっている。彼はそれを掴んで見る。革手袋の指の間から垂れ落ちていくのを目にして、その手がわなわなと震えだした。

 私は心の中で声にならない悲鳴を上げる。

 見なくても分かっている。それは消費期限切れの卵だ。廃棄処分する予定のものだった。

 ボスがこちらを睨みつける。突き刺すような視線が痛い。私はなんとか彼の目から逃れようと、再びグレイに目を向ける。

「くっそー、また負けた」

 グレイは後ろ手を付いて、半身を起こした。

「一発ハンデもあるっていうのに」

 悔しそう床を掌で叩いている。

 その肩には赤い色、胸には黄色が付いていた。ペイント弾だ。食堂の壁に付いている赤い色、放ちながらも標的に当たらなかったものと同じものだ。

「それにしてもボスの弾は痛ーんだよ」

 そう言いながら、食堂を振り返ったグレイは言葉を無くした。

 怒りをくすぶらせているボスと目が合ってしまったのだろう。彼は小さく呻いて、腰を床につけたまま、後退りした。

「おいお前、さっさと出て来い。何のつもりか言え」

 ボスの声は殺気立っている。

 ここでじっとしていても仕方ない。時間が経てば経つほど彼の怒りは増していくだけだろう。私はゆっくりと立ち上がり、食堂へと出た。

 と、廊下が騒がしい。

「どっちが勝ったんだ?」

「それはボスに決まっている」

 食堂の入り口に現れたのは、ジャザナイア隊長とレイバンだった。

 彼らもまたペイント弾をその身に受けていた。

 ノーネクタイでシャツ姿のジャザナイア隊長。その胸に付いた黄色、腹の赤色が鮮やかだ。レイバンの広い額は、二色混じったオレンジ色に染まっている。

 彼らは、生卵弾の洗礼を受けたボスを見て一瞬声を失った。

「ボス、それはどうされたんです。何があったんですか」

 最初に金縛りを解いて近付いたのはレイバンだった。ボスは彼を一睨みするなり、横蹴りを食らわせた。

「うるせえ」

 とんだとばっちりだ。膝を付いたレイバンは、腹を押さえて呻いている。

 ジャズ隊長はというと、ボスの頭を指差してこぼれ出る笑いをこらえていた。ボスの殺気に満ちた視線が向く。

「るせえぞ」

 隊長は口を押さえて、分かった分かったと、もう片方の手を押し出している。

「申し訳ありません」

 私はボスの前に踏み出した。

 これ以上、他にボスの犠牲者を出すわけには行かない。私が投げた卵のせいなのだから。

「ボスが敵に扮しているなんて知らなくて。こんなゲームみたいなのがあってるなんて」

「ゲームじゃねえ。非常時訓練だ」

 前に立っているだけでも怖い。凄く腹を立てている。

 それはそうだろう。私は何度もこういう目に合っているけれど、ボスはおそらく初めてだろう。しかも部下にこんなことされるなんて、夢にも思わなかったはずだ。

 私は怒りを受け止めるつもりで、首を垂れた。

「まあまあ。非常時の訓練なんだから、ある意味なんでもアリだろ。銃を持っている相手に、こんなもので応戦するなんて大した勇気じゃねぇか」

「お前は黙ってろ」

 ジャザナイア隊長の言葉にも、もちろん聞く耳を持っていない。

 ボスは傍までやって来た。ちょっと手を伸ばせば、簡単に捕まってしまう位置だ。怒りを帯びた声が上から降ってくる。

「おい、落とし前はどう付ける気だ?」

「僕は……」

 私はうなだれたままだった。

「オレはボスも悪りーと思うけどなー」

 突然、思わぬところから助け舟が来た。グレイだ。

 彼はいつものコートのポケットに両手を突っ込んだ姿で、ボスの傍に近寄った。

「なんだと?」

 凄んだボスにも動じない。

「この非常時訓練のこと、発表したのは彼の辞令交付の日だったよね。部屋に入ってくるくらいに隊長が言っていて、ボスが後から伝えるって言ってたのを覚えてるよ。あれ、ちゃんとこの子に話してんの?」

 ボスは沈黙した。

 話していないのが故意なのかそうでないのかは分からない。だが、ここで突っ込まれるとは思っていなかったようだ。

「だから、部下の失敗は上の責任で……」

 ジャズ隊長がいつか聞いたフレーズを繰り返す。

 ボスの睨みは彼に移った。私は細い溜め息をつく。

「ボスは何も悪くない」

 その時ぼそりと呟いたのは、床にうずくまるレイバンだった。

「ボスこそ全てなのだ。ボスは偉大なのだ。誰もボスに逆らうなど許されんのだ!」

「うるせえんだよ」

 腹を押さえながら膝立ちになり、叫ぶレイバンを後ろからボスの足が押し倒す。肩の辺りを直撃している。足の長いボスだからこそなせる業だ。

 レイバンは床に前のめりに崩れた。二度もとばっちりを食らうなんて、つくづく不運な人だ。

 ボスは踵を返して、廊下へと向かった。

「ボス」

 私は追いすがる。こんな禍根のようなものを残して、終わりにしたくなどなかった。

 ボスは腕で払いのけた。もろに食らった私はバランスを崩し、背後にあった丸椅子を道連れに倒れこんだ。

「次の訓練の時には覚悟しておけ」

 頭まで打ってしまったのか、くらくらしているところへボスの捨て台詞。

 私はもう止めることなどできず、頭を押さえたまま、座り込んでいた。

「大丈夫か?」

 グレイが覗き込んでくる。

 私は頭を抱えながらも、大丈夫だと答えようとするが、できなかった。

 乱れた息に涙が滲んで視界がぼやけた。その上、ぶつけた腰が痛い。手でさすっている間に、なんとか過呼吸もおさまってきた。

「次の訓練は半年後だ。それまでにあいつの機嫌が直るか、忘れるかどちらか祈るしかねぇな」

 ジャズ隊長の言葉に、妙な汗が噴き出す。半年後って、もしかして年二回もあるってことなんだろうか。

「ボスは忘れはせん。自分も忘れんぞ」

 レイバンが呻きながらそう言った。腹に手をやったまま、やっとという感じで立ち上がる。それから廊下を目指して足取りも怪しく歩いていった。

「あー、やっとうぜーのがいなくなったぜ」

 それはちょっと、グレイは言い過ぎなのではと思う。

 レイバンのあのボスへの忠誠心には驚くと共に少し羨ましく思う。あれだけ心に決めた人がいてそれを貫けるなんて。彼の律儀さには頭が下がる。

「立てるか。アビーに来てもらうか?」

 ジャザナイア隊長の言葉に、私は立ち上がりながら大丈夫だと答えた。ここで彼女を呼んだら、また心配させてしまうに違いない。

 散々な一日の終わりだった。

 皆が帰っていった食堂で、色の付いた壁の掃除をしながら、打ち身で痛む腰をさする。

 今さらながら半年後が怖い。

 だけど、きっとここはジャズ隊長のように、「そん時が来れば何とかなるさ」で行くしかない。あの人の楽天的なところは学ぶべきところも多いのかもしれない。

 とりあえず明日のことをだけを考えて、私は片づけを続けた。

次回予告:本社との合同会議のため、休憩用のコーヒーを用意するミシェル。会議室から聞こえてきた悲鳴。何事かと驚く彼女が目にした、倒れた人物とは……。

第32話:「髪は男の命です」


お話を気に入っていただけましたら、下のランキングの文字をポチッとお願いします

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ