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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(3) Full time 本採用
28/112

28.辞令交付

 マスティマに入ってもうすぐ三ヶ月。まもなく仮契約は終わりだ。

 我ながら、よく頑張ったと思う。ボスに酷い目に合わされながらも。

 ようやく最近では、何回かに一回は完食してもらえるようになった。ボスの行きつけのお店に行ったことが良かったのかもしれない。なによりもピッツアのお店のアンナさんからもらった食材は大いに役立たせてもらった。

 だけど、もちろん、外したときは制裁が待っているのは変わらない。

 だいたいあの人は全部食べたときも感想なんてないのだから、本当に満足したのか、それとも気まぐれなのかの判断がつかない。

 それでも初めて白衣を汚さずに食堂に戻ってきた日のことは、一生忘れないだろう。廊下ですれ違う人まで、拍手を贈ってくれたのだから。思わず感動して不覚にも涙が出そうになった。翌日にはまた、汚して帰ってきたのだけど。

 アビゲイルも本当に喜んでくれた。ボスが出て行った食堂で私を抱きしめてくれた。

 男でなくって良かった。こんなことされたら嬉しすぎて勘違いしそうだ。

 彼女はマスティマの経理も担当していて、よく「うちのエンゲル係数は異様に高いのよ」とぼやいていたから、そういった意味もあったんだろうと思う。

 なんて言っても、私の料理を木っ端みじんにした後のボスは外食に繰り出すのだから。時に五つ星のレストランを一人で貸切にしているらしいから、必然的に高くなるだろう。

 三ヶ月目を迎える前日、アビゲイルがうきうきとした足取りで食堂へやってきた。手に丸めた雑誌のようなものを握って。

 彼女は私を招いて、テーブルの上にそれを広げた。

 マスティマの制服のカタログだった。

 私はコックだからいつもは白衣だが、式典のときなどに着ることになるらしい。色々な丈の上着、形のズボンがあった。

 なるほど。カスタマイズできるんだ。

 一番印象的なのはボスのロングコートだが、幹部の制服には他にも色々なデザインがある。

 ジャザナイア隊長のは胸の切り替え部分にフリンジが付いている。グレイのは脇や袖に銀のバックルの飾りが付いているし、レイバンのは軍用コートのように襟を詰めることができるようになっている。個性のある仕様だ。

「へー、ペーペー共とは違うんだ」

 例のごとくコーヒーを飲みに訪れていたグレイが横から覗き込む。

 彼女はにっこりとする。

「さあ、マイケル。どれがいい? 自分の好きなものでいいのよ」

 私は背が高くないから、丈の長いコートは似合わないんだろうな。グレイと同じ短めの丈でいいかも。襟は立てるのも寝かせるのも出来るので、ボタンはダブルがいいかな。あっ、フードつきでファーがついたのもあるんだ。袖口にも取り付けられるタイプのもある。

 カタログを見て、悩みながらも選ぶのは楽しい。いつもの白衣も好きだけど、マスティマの制服は特別だから。

 全てを決め終えると、付箋をはさんだそのカタログを持って、アビゲイルは席を立った。

「明日、幹部会議に出てもらうわよ。十時からいつもの会議室だから遅れないようにね」

 いよいよ本採用なのだ。私は胸を躍らせながら返事をした。


 翌日の十時十分前。私は会議室の扉の前にいた。

 白衣からスーツに着替えた私は、その時を今か今かと待ちわびる。廊下を落ち着かなく行ったり来たりしている自分がいた。ネクタイの窮屈さも気持ちの外だ。

 やっと三分前。そろそろいいかな。ノックをする。

 少し待つと、アビゲイルが開けてくれた。

「……の実施は来月の第二週だ」

 ジャザナイア隊長の声が最初に聞こえた。

「またきたか。気が重いな」

 レイバンの声は本当に憂鬱そうだ。

「オレは待ってたもんね。楽っしみー」

 対照的なグレイの声。

 ボスは奥の正面の椅子に座っている。さすがに今日は眠っていない。

 彼は私に目をとめた。その斜め横の席に座っていた隊長も入ってきた私に気付く。

「お、来たか。さっき言ったんだけどな……」

「そのことは後で俺から話す」

 彼の言葉を遮ったのはボスだ。ジャズ隊長は頷いた。

「じゃあ始めるか。辞令交付式だ」

 私を傍に招き、立ち上がると彼は笑顔で言った。

「マイケル、本日付で君を正式なマスティマのコックとして任命する」

「ありがとうございます」

 差し出された手を握る。

「これからも頑張ってくれ」

 彼もぎゅっと握り返してきた。

 私の感激もピークになる。やばい、感涙してしまいそうだ。

「おい、ジャザナイア」

 黙って見ていたボスが隊長を睨みつける。すると、彼は分かっているという風に片手を挙げた。再び私に視線を戻す。

「それからもう一つ辞令がある。君をボス付けのコックとする」

 耳にした後も意味が分からなかった。コックはコックでもボス付けって一体……。

「ボス専属のコックってことよ」

 アビゲイルが背後に立つ私を振り返って補足してくれる。

 そうか、なるほど。ボス専属の。

 ……って、え? それはどういう意味?

「それはボスの食事だけを作るコックってことですか?」

 外れてほしいと思いながらも確認してみる。

「今までなかったことだ。凄いことだぞ、マイケル」

 私なんかよりジャザナイア隊長の方が興奮気味だ。だけど、納得がいかない。愕然としながらボスを見やる。

「光栄に思え」

 ボスは私を見上げて言った。テーブルに両肘を付き、両手を組んでその上に顎を乗せている。

 光栄に思え? そんなこと思えるもんですか。

「……お断りします」

 私の言葉に皆が唖然とした。レイバンが激しい目つきで睨んだ。

「僕はマスティマのコックとして、ここに来たんです。ボスの専属コックになりたかったわけじゃありません」

「おいマイケル。ものすごい昇進なんだぞ」

 ジャザナイア隊長は私を考え直させようとしている。私の肩に手をかけ、揺さぶるようにして。

「あなたは私たちと同じ幹部になるわ。私の部下じゃなくて、ボス直属の部下になるのよ」

 アビゲイルまでも私を思い留まらせようとする。彼女は席を立ち、私の傍に寄った。

「ボスの申し出を断るとは許されんぞ」

 レイバンもまた立ち上がった。怒りがふつふつとたぎっているのが分かる。

 ボスとグレイだけが席に着いたままだった。グレイの顔には薄っすらとだが笑みが浮かんでいるように見える。椅子の背もたれに寄りかかり、彼は私を見上げていた。

「おい、分かってるのか、コック」

 レイバンが私の前で仁王立ちになり、凄む。それでも私の思いを変えることなんてできない。

 昔、命を助けてくれたボスへの恩を忘れたわけじゃない。だけど、今の私を支えてくれているのはマスティマの隊員たちなのだ。彼らへ報いずしてコックとして務める意味があるだろうか。私は真っ直ぐにボスを見つめた。

「貴様」

 レイバンが私の襟元をめがけて手をのばしてくる。

 その時、ボスが両手でテーブルを叩き、立ち上がった。皆が彼を見た。

「もういい。好きにしろ」

 彼は吐き捨てるように言う。そして席を離れて歩き出した。

「だが、二度とチャンスはないと思え」

 傍を通り過ぎるときに言い放つ。そんなことはこちらの望むところだ。

 私は彼の背中に向って大きな声で言った。

「これからもマスティマのコックとしてお世話になります」

 答えはもちろんなく、勢いのついた扉が大きな音を立てて閉まった。

次回予告:ボスの専属コックの辞令を撥ね付けたミシェル。心配するアビゲイルたちだったが、彼女の信念は変わることなく……。

第29話「コックの心意気」


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