26.怒りのボス(前編)
店の常連さんたちと打ち解けての夕食。
店主に学んでか気のいい人たちだった。話は途切れることなく、笑いも絶えることがない。
ついにはアンナさんまでテーブルに呼んで、皆でワインの瓶を開けた。
古くからの知り合いのような気分になる。店を出る頃には一抹の寂しささえおぼえた。
最後にアンナさんは私を抱きしめると頑張れとエールを送ってくれた。また来ることを約束して扉を閉じる。
あの人はまさに伝説のマンマだ。故郷のイタリアを思い出させてくれる。
とても寛げて、リフレッシュできた。気力も満ち足りている。
今からすぐにでも、貰った素材で料理を作りたいとさえ思えていた。
そして、帰り道は二人ともほろ酔い気分。
アビゲイルはお酒に強いらしく、ほとんど顔色も変わっていないが、私の顔は真っ赤だ。鏡で確認するまでもない。顔が火照るんだもの。
オープンカーの中で、荒々しく渦を巻く風が心地よく感じられる。
城に着く頃には少しはましになっているだろう。
危ないからとの忠告も上の空。私は席から立ち上がり、風に髪を梳かせるままでいた。頭上に広がる満天の星空を眺める。
一時間ほどかかり、見え始めた城からは光が漏れている。月の光に照らされて、お化け屋敷のような趣きは初めて見たときと変わらない。
城に戻った私たちに気づき、早々と駆けつけたのはマスティマの隊員の一人だった。
「姐さん。マイケルも。早く来てください」
息を弾ませている。ただ事ではない様子に私の酔いも一気に醒めた。とりあえず、傍の椅子にアンナさんからもらった食材の袋を置く。
彼の案内で走って向かった先は……。まさか、そんな。
ボスの食堂だった。
「申し訳ありません、ボス」
悲鳴のような声が廊下にまで聞こえてくる。
「許してやれって言ってんだろうが。おれの部下に何てことさせてんだ」
続いての声はジャザナイア隊長だ。
「こいつは俺を騙した」
聞き違えるはずもない。これはボスの声だ。なんで食堂なんかにいるんだろう。今日は夕食を済ませてから戻ってくるはずなのに。
こっそりとドアの隙間から中を覗くと、若い隊員が土下座させられていた。その背中を踏みつけているのはボスその人だ。
「それは、おれにも責任があるって言ってるだろうが」
隊長はなんとかなだめようと必死だ。ボスは彼へと振り向く。
「その責任はどう取るつもりだ、部隊長」
「だから、部下の失敗は上の責任だろ」
二人の間のしばしの沈黙。聞こえるのは床ですすり泣く声だけ。
「てめえ、俺にも責任があるって言いてえのか」
明らかに火に油を注いだ。
ボスは脇に置かれていたワゴンを蹴りとばした。鈍い音を立てて、ワゴンは五十センチと離れていないテーブルに激突した。
「夜中に大声出すなって。近所迷惑だろうが」
「そんなもんあるか。お前の笑い声のほうがよほど迷惑だ」
ボスは怒り心頭だ。いつもより口数も増えている気がする。
だが、ジャズ隊長は事態を収拾するどころか広げているようだ。こんな酷い状態なのに、飄々としていて、まるで動じていないように見える。
こんなのを聞いているのは心臓に悪い。私たちを連れてきた隊員は後ろでがたがた震えているし。
「まあまあ。落ち着いて、ボス」
アビゲイルが扉を開けて入って行った。この修羅場に入っていけるなんて、さすがだ。
ボスは彼女を一度見ると、悪態をついてそっぽを向いた。
「一体何があったのよ」
彼女がそう言うが早いか、ボスはひれ伏す男に向かってワゴンを蹴り出した。衝突したワゴンは倒れ、横滑りした。男は呻いて身を丸めている。酷い。
「おい、ボス」
ジャザナイア隊長の呼びかけにも答えない。憤然とにこちらに向かってやってくる。
私より後ろの隊員のほうが慌てていた。私の上着を引っ張って隣の部屋に押し込み、隠れる。
大きな音が立って扉が開き、ボスの足音が遠ざかっていった。足音にまで怒りが含まれている。
安堵に力が抜けたように座り込む隊員をそこに残して、私はボスの食堂に入って行った。
「大丈夫?」
アビゲイルが床にうずくまる隊員を気遣っている。幸い大きな怪我にはなっていないようだ。
ショックで声は出ていないが、手を上げて問題ないと示している。
「何があったんですか」
私は隊長に尋ねた。
「ああ、マイケルか。実は連絡に手違いがあってな。晩飯を食わずにあいつが戻ってきたんだ」
彼は参ったというように両手を上げる。
「んで、帰ってくるなり、腹が減った、飯を用意しろって。おれたち慌てたぜ。何しろ、部下の一人が先に分かりましたなんて答えちまったもんだからな。それで思いついたんだ。冷蔵庫に何かあるかもしれないって」
話が見えてきた。思わずぞっとする。
「まさか、それをボスに出したんですか?」
「それしかねぇだろ。美味そうなものが色々あって困ったくらいだぜ」
それはボスへ出す料理の試作品だ。昨日作ったもので賞味期限はまだ先だが。いや、そもそもそんなことが問題ではない。
ジャズ隊長は頭を掻いた。
「それで温めて用意したんだ。そこまでは良かったんだがな。お前の代わりに給仕をしたこいつが経験不足でな。問いに正直に答えちまったんだ」
「と言うと?」
「コックはまだ帰っていない。じゃ飯はどうやって用意したかというと、冷蔵庫の中の物を温めたってな」
最悪だ。そんなことをボスが許すわけがない。
「それで、あいつは「温めなおしを食わすのか。騙しやがったな」って怒り出してな。参ったぜ」
案の定だ。それでさっきの騒動になるのか。
「でもまあ過ぎたことだし。仕方ないよな」
両手を広げてあっけらかんと言う。ぜんぜん参ってなんかいない。数分前のやりとりを覚えていないかのようだ。だけど、きっとこういう隊長だからこそボスの下で働けるんだろう。
「なぜボスは急に戻ってきた訳?」
今度はアビゲイルが尋ねる。ジャズ隊長は笑った。
「おれも聞いたんだが、本社の上役なんかと三食食えるかってイラっとしてたぜ」
ああその様子が目に浮かぶようだ。
本社の人たちに囲まれて、にこやかに会食なんてボスには似合わない。
同席した見ず知らずの人に思いを馳せる。
あの人と食事なんて、仕事のうちとは言え、気の毒だ。いかにも消化に悪そうだし。考えただけでお腹が痛くなってくる。
次回予告:ボスに壊されたワゴン。直してもらおうと技術情報部へ。現れたのは疲れ切った風体の男。いきなり切り出されたプリシラの話にミシェルは驚くのだが……。
第27話「怒りのボス(後編)」
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