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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(2) Probation 仮契約
24/112

24.ボスの行きつけ

 扉をくぐる前からいい匂いが通りに流れていた。

 店の席に通された私たちの前に最初にやってきたのは、店の支配人と思われる白い上着を着た恰幅のいい中年の男だった。

「いつもご利用いただきありがとうございます。それで……」

 彼の視線が席を見渡す。

「今日はあの人は来ないわ。ロンドンに出ているから」

 アビゲイルの言葉にあからさまにほっとした表情。この人もきっとボスの被害者に違いない。

「この子はうちのコックなの。勉強をしたいというから連れてきたのよ。後で厨房を見せてくれないかしら」

 男はぶしつけに私を見つめる。値踏みされているようだ。なんだか居心地が悪い。

「ほら、うちのコックの料理をボスが食べてくれるようになれば、ここに来るのも減るんじゃないかしら」

 アビゲイルの一言は決定的だった。男は両手を合わせて握りしめると、何度も同意の言葉を口にした。

 組織以外の人まで巻き込むなんてボスは罪深い。でも、このお店のお陰で私も助かっている部分があるのだし。複雑な思いでその人の背中を見送った。

 やがてウェイターが現れて次々に料理を運んでくる。

 ランチなのでそう沢山は出てこないと思っていたが、想像を超える量だ。

 内容も何料理なのか判断の困る感じだ。ベースになっているのはフランス料理のようだが、色々な要素が入り混じっている。創作料理と言っていいのだろう。

 味は最高。さすが五つ星を掲げているだけはある。だけど、ボスの嗜好とは違う気がする。あの人はもっと濃い味が好みのはずだ。

 最後の料理を持ってきたのは、コック帽をかぶった白衣の背の高い男だった。

「まあ、アントン。また白髪が増えたわね」

 アビゲイルが立ち上がる。男はテーブルに料理を置いて苦く笑った。

「君のボスのお陰さ、アビゲイル」

 そう言う彼の頭には、なるほど白いものが目立っている。アビゲイルより少し年上くらいなのに。黒みがかった栗色の髪だ。余計目立つ。彼は私へと目をやった。

「味はどうかな、同業者」

「とても美味しいです。でも、ボスの好みとは……」

「ああ」

 彼は笑いながら頷く。温かみのある笑顔だ。

「彼が来たときには調整している。なかなか加減が難しいがね。見極めるまで何度呼び出しをくらったり、厨房に押しかけられたりされたかしれない。遠慮なしに言わせてもらえるなら迷惑な客だ」

 それはそうだろう。大いに同意だ。

「この店はディケンズ本社が出資していてね。断れない立場なのよ」

 アビゲイルの耳打ちに納得する。五つ星を掲げるなら、本来であれば客を選ぶことだってできるはずだ。

「お世話をかけるわね、アントン」

 すまなそうに彼女は詫びる。

「君のボスだから我慢してるんだよ」

 彼の声はひどく真面目だ。この雰囲気はなんだか……。二人の間に微妙な空気が流れている。続く沈黙は耐えられないものだった。私は席から立ちあがった。

「あ、あの、厨房を見せてはもらえませんか」

 申し出に彼は無言で私を振り返る。

「私からもお願いするわ」

 アビゲイルの言葉に黙って頷く。そして「ついて来い」と背を向けた。

 私は大急ぎで彼の背中を追った。


 店の厨房は大きかった。彼はシェフであり、五人のコックをかかえていた。

 解説つきで調理を見せてもらう。実に興味深かった。だが、実用となると疑問が残る。

 料理そのものも彼が独自に作り上げたもので、私の料理とは殆ど接点がなかったこともある。そして、肝心な調味料の量については、彼は首を横に振るばかりだった。

「まったく同じ料理を作るなら教えてやれる。だけど、そうでないなら目安なんてないんだ。作るものによって違ってくるから。出来上がった味を想像して、加えていくしかない。彼と同じ舌を持ったつもりでね」

 同じ物なんて作って、あの人が納得するだろうか。猿真似だなんてかえって怒りそうな気がする。メモを取らせてもらいながら、溜め息をつく。

「同じ料理じゃ気に入らないんじゃないか。それならうちに食べに来ればいいんだから」

 アントンさんも同じことを言った。

 やっぱりそうだよね。自分で探っていくしかないか。私はメモを閉じた。

 コックたちに礼を言って、厨房を出る。

「アビゲイルによろしく言ってくれ。彼女の助けになればと思ったんだが」

 最後に彼はそう言った。

 二人の関係はどうも怪しい。テーブルに戻った私を待っていたアビゲイルは、彼が何か言っていなかったかと尋ねた。私は言われたとおりのことを答える。彼女は席を立ち上がった。

「あの人とはずっと昔にお付き合いしてたのよ。今はどちらとも別のパートナーを見つけたんだけどね」

 別のパートナー? 私が感じた限り、あの人のほうは未練たらたらのようだったけれど。

 なんて言葉を返していいか戸惑う私を置いて、彼女は歩いていく。

 支配人に近付いてツケにしてくれと言うと、後ろを振り返りもしないで外に出た。

 こんな時、なんて言えばいいのだろう。頭の中はぐるぐる回っているが、気のきいた言葉は出てこない。

「マイケル、次のお店に行きましょ」

 遅れて店から出た私を笑顔で迎える。二人で肩を並べて駐車場を目指す。

 いつものアビゲイルだ。表情を窺いながらもほっとする。

 車を見て私は思い出した。またあのスピードと恐怖に耐えなければいけない。

 横を見るとアビゲイルの姿はすでになく、意気揚々と車のシートに身を沈めるところだった。

次回予告:真打登場? 二件目の店でミシェルは確信する。この店の人にこそ学ぶべきことがあると。ボスの心を掴むその秘密とは……。

第25話「ボスの気に入り」


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