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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(2) Probation 仮契約
23/112

23.跳ね馬の女(ひと)

 翌朝の早い時間、ヘリコプターの飛び立つ音が聞こえてきた。

 ボスが出発したのだろう。

 いつもより早めに食事の準備に厨房まで来ていた私は、食堂へと出た。遠ざかっていくヘリの姿を見送る。

 それから、朝食の準備開始。具材を挟んだパンをスライスして切り分け、皿の上に並べていく。乾かないようにラッピングして、ポタージュスープの鍋は保温機能のあるワゴンの上に置く。スープ皿と取り皿、スプーンも用意してこれで完了だ。

 昼の分のサンドイッチは冷蔵庫へ。夜のサラダもそこに入れて。

 トマトスープとカレーの鍋はコンロの上だ。温めてもらえばすぐに食べられる。

 それから炊飯器をセット。保温時間が長くなれば味は落ちてくるだろうけれど、勘弁してもらうしかないだろう。

 あとは、食堂の入り口に書置きを貼っておく。謝罪の言葉とセルフサービスでお願いしますと一言。

 よし全て終了。部屋に戻って着替えてこよう。

 クローゼットを開けて、とんでもないことに気付く。

 ハンガーにかかっているのは女物の洋服。実家から送ってもらった数枚の物だ。男物であるのは、ここに来たときに着ていた紺色のスーツだけ。堅苦しい。

 でも、目的は食事だし、ボスが行く店にドレスコードがないとも考えにくい。またネクタイをするのは嫌だけど、他に着る服がないから仕方ない。

 私は観念してスーツの上着に腕を通した。


「スーツで来たわね」

 玄関で会って早々、アビゲイルにそう言われた。

「これしか持っていないもので」

 私は肩を落としながらも彼女の服に目を見張る。

 黒いワンピース。大きく開いた襟元と裾にあしらわれたフリルが華やかだ。腕には金ブレスレット。いつもはアップにしている髪も下していて、長い赤毛が大きくうねっている。ゴージャスだ。

「良かったわ。今日行くお店は二つよ。そのうち一つは五つ星レストランだもの。昨日服のこと言わなかったから、ジーンズとかで来たらどうしようかと心配してたの」

 ビンゴだ。やっぱりボスは高級店志向のようだ。

 とは言っても、どちらにしても私にはこの服しかないのだけど。

 腕に手を回され、どきりとする。普段は匂わないエレガントな香水がふわりと漂う。

「運転は私にさせてね。街まですぐよ」

 車のキーを見せながら言う。私は車の運転なんてしたことがないから、その申し出は都合がいい。

 彼女の嬉しそうな笑顔。男だったらきっと誰だってぐらりとくるだろう。

 腕を引かれて外へ出て、城の西側に当たる車庫へと着く。

 大きな車庫だ。港とかにある倉庫のようだ。何台もの車が並んでいる。軍用車両のようなジープやトラックから、大型の四駆、誰もが知る高級車までずらりだ。バイクもある。

 車庫の前で待っていると、アビゲイルが出してきたのは赤いフェラーリのオープンカーだった。彼女は黒いサングラスをかけている。

 助手席のドアを開けて、私が乗り込むと出発だった。

 アクセルが踏み込まれ、わが国屈指の暴れ馬が走り出す。操るアビゲイルの顔にも笑みが浮かぶ。彼女の声が私の顔を余計に引きつらせる。

 運転すると人格が変わってしまうタイプ。彼女もまたそうだったようだ。

「行っけー!」

 踏み込みっぱなしのアクセル。

 渦巻く風に揉まれながら「街まですぐ」の言葉の本当の意味を知った。


 城から一番近い街。

 アビゲイルの運転により一時間足らずで着いた。

 周りの景色なんて見る余裕がなかった。緑の丘が続いていたような気がするけど。

 体中の力が入っていたせいか、肩や首が痛い。それになんだか凄く疲れた。

 アビゲイルは運転席で伸びをした。ご満悦だ。彼女はサングラスをとり、腕時計を見た。

「まだランチには早いわね。少し辺りを見てみる?」

 そのほうがいい。今何か食べたって味なんて分からないだろうし、悪くしたら戻しちゃうかも。私は頷いて車を降りた。

 開けているが、昔の風情が残っている街だ。私が生まれ育った街をほうふつとさせる。

 イタリアとイギリスでは、もちろん建物の形や生えている木々、空の色まで違っているが、なんだか思い出してしまう。もしかしてホームシックだろうか。

 私はアビゲイルと一緒に街を散策した。ボスの通う店の前を通りかかったが、まだ準備中の札がかかっていた。立ち止まって中を覗き込む私の腕を引っ張って、彼女は歩き続ける。

「今のが五つ星レストラン。お昼はここで食べて、夕食は別の店よ」

 私の目はさっきのお店に止まったままだ。どんな料理が出るんだろう。どんな調理をするんだろう。厨房はどんなでシェフはどんな人だろう。

 店が見えなくなっても私の心はその店にあった。

 辺りをぐるりと回って、たどり着いたのが公園だった。何人もの人が集まっている。

 散歩中の人やベンチで日光浴をする人。今日もいい天気だし。

 老人もいたが、親に連れられた小さな子供もいる。噴水の水に触ろうとしていたり、他の子と遊んでいたり楽しそうだ。

 そして、地面に座り込んだ子供を見たとき、私の手はポケットに伸びた。地面を覆うのは沢山の鳩だ。子供が手にした餌を目当てに群がっている。

 動物好きの血が騒ぐ。足が多いものと足がないもの以外は皆大好きだ。

 辺りを見回すと餌売の人がいた。よし、買って来よう。財布を手にうきうきと近付く。

 だが、餌を買うことは出来ず、ベンチで待つアビゲイルの元に戻ってきた。

「どうしたの?」

 彼女は怪訝そうだ。

 我ながら自分の馬鹿さ加減には呆れてくる。私は一ポンドも持っていなかった。財布の中にあるのはユーロ札とユーロ硬貨のみだ。

 訳を話すと彼女はお金を貸してくれた。

「あなたって動物が好きなのね」

 餌を目当てに集まってきた鳩を肩や頭に乗せたばかりか、散歩中の犬にまでちょっかいを出す私を楽しそうに見ている。

「うちの猛獣もそうやって懐いてくれたらいいのにね」

 ぼそりと言う。それってボスのことだろうか。猛獣って……当てはまってるかも。

 犬の尻尾にパタパタと足を叩かれながら、私の背に小さい震えが走った。ああ嫌だ。休みのときまであの人のことは考えたくない。

 撫でる手を止めてしまった私を不思議そうに見上げる黒い瞳。優しい顔をしたラブラドールに心癒される。動物って本当に可愛い。

 公園で昼時を迎え、私たちはレストランまで引き返すことにした。

次回予告:まずは一軒目。ボスをひきつける秘密を探るミシェルだったが、出てきたのはその店のシェフとアビゲイルの微妙な関係で……。

第24話「ボスの行きつけ」


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