19.コード Angel (前編)
時は昼下がり。今日のお菓子、クッキーをオーブンで焼いていた頃だった。
昼時の混雑を終えたばかりで、誰もいない食堂で私は遅い昼食を食べていた。
残ったサンドイッチを頬張る。ゆっくりと出来る貴重な時間だ。
コーヒーに手をやったとき、ブレスレットが震えた。何事かと表示を見やる。
黒い液晶に青コード――ということは緊急業務連絡。続く文字はAngelだ。業務連絡で天使?
まるで訳が分からない。だが、すぐに城内が騒がしいことに気付いた。廊下を隊員たちが走り回っている。
声をかけようとしたとき、ひときわ大きな人影が近付いてきた。レイバンだ。黒いコートを翻して走ってくる様は鬼気に満ちている。
彼は立ち止まると、私の肩越しに食堂を見渡した。
「何があったんですか?」
私の問いかけにも答えようとせず、辺りに目を光らせている。こんな厳しい目をした彼は初めて見る。
「誰か入ってこなかったか? 自分たち以外に」
やっと私を見て尋ねた。
だが首を横に振ると、彼は毒づいて、他には何も言わずに走って行ってしまった。
一体何が起こっているんだろう。また私は蚊帳の外だ。
と、いけない。オーブンの時間がそろそろだ。厨房へ戻ろうとした私の前に、それは現れた。
真っ白いふわふわとした素材の白いワンピースを着た少女。肩までのストレートの金髪は、艶のリングを作り出している。大きな青い瞳は私を真っ直ぐに見上げる。年は三、四歳くらいでふっくらとした頬が愛らしい。
彼女はテーブルの影から出てきた。レイバンが見渡したときは隠れていたのだろう。
「いい匂いがする」
彼女は胸いっぱいにクッキーの匂いを吸い込む。
「クッキーが焼けたから。食べてみる?」
頷くその子は本当に可愛らしかった。
私はもうレイバンの言葉はもちろん、何故こんな所に子供がいるかの疑問さえどうでも良くなってしまった。いそいそと厨房に戻り、クッキーを皿に載せる。
「飲み物はカフェオレがいいかな。コーヒーにミルクとお砂糖入れたの」
「温かいミルクがいい」
この子の言うことなら何でも聞いてあげたくなってしまう。牛乳をカップに入れてレンジで温め、彼女の前に置いた。
「美味しい。プリシラ、こんな美味しいの初めて食べたよ」
こぼしながらも一生懸命に食べて、そんなことを言ってくれる。私は本当に嬉しくなってしまった。
「プリシラちゃんって言うんだね。私はミシェルよ。よろしくね」
言ってしまってから気付く。本当の名前を口にしてしまった。明らかにのぼせている。
私は冷静を取り戻そうと右手で頬を叩いた。一度言ってしまった言葉までは取り返せないが、子供だし、なんとかごまかせるだろう。
「プリシラちゃんはどうしてここに来たのかな」
レイバンが誰か来なかったかと言っていたのを思い出して、尋ねる。それにコードAngel――この子のことではないかと考えをめぐらせる。
「いい匂いがしたから。それに怖い顔のお化けが追いかけてくるんだもん。すっごく大きいの」
両手を広げて表現する。それはレイバンその人のことだろう。子供とはいえ、こんな言われよう。気の毒だ。
「ここに来てよかった。美味しいお菓子食べれたもん」
椅子で足をばたばたさせながら言う。
なんて可愛いことを言ってくれるんだろう。冷静な気持ちも吹っ飛んでしまいそうだ。
「そう? だったら少し持って帰ったら……」
クッキーを詰める袋を取りに、厨房に行こうとしたときだった。
「プリシラ!」
息を切らせたアビゲイルが駆け込んできた。
相当に慌ててきたのだろう。いつもきちんと整えられている髪がほつれている。彼女は少女を抱きしめた。
「もう、この子ったら。ママかパパと一緒じゃないと来てはいけないって言ってるでしょう」
私は豆鉄砲をくらった鳩の気持ちがなんとなく分かった。
ママ……ということは、この子はアビゲイルの子供ということ?
混乱する私をよそに二人は会話を続けている。
「だってママ、窓開けてたらね、すっごくいい匂いがしたんだよ?」
しかも話の流れがこっちに来ている。
私は恐る恐る尋ねた。
「その子、アビゲイルの子供ですか?」
「そうよ。私の子。プリシラよ」
なんだか力が抜ける。あのコードAngelは迷子探しのコードだったのか。
次回予告:アビゲイルの娘プリシラ。ミシェルのクッキーを気に入ってくれたその子供。だが、彼女の好みはミシェルの度肝を抜かせるもので……。
第20話「コードAngel(後編)」
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