16.ボスの地雷原(後編)
「今日はティラミス。一人一個までですよ」
私は食堂で声を張り上げる。
食べるのは男の人だから切り分けは大きめにして、カロリーを考えて個数制限をした。
大好評だ。次は何がいいとかリクエストまで来る。
いつものように訪れたグレイは、人の多さに驚いていたが。
彼は半分でいいからとケーキを分けていた。それを足してもらっていたのが、意外にも幹部会議にいた体格のいい短い金髪の人だ。
私と目が合うと、彼は決まり悪そうに肩を丸めた。
「いや、試食に来ただけだ。隊員たちにどんなものを食べさせているか気になってな」
「ただ甘いものが好きなだけだろ?」
グレイの言葉に彼は慌てた。
「おいグレイ、話が違うぞ」
「いーじゃん、レイバン。どーせまた来るんだし。先に言っとけば」
「いや、そうじゃなくてだな……自分は……」
しどろもどろだ。大きい体を縮込ませている様を見ていると可哀想になってくる。
私は彼の前にコーヒーを差し出した。もちろんミルクと砂糖を添えて。
「どうぞ、レイバンさん。いつでもいらしてください。毎日違うデザートを用意してますから」
「毎日、違う?」
彼の目が輝く。本当に好物のようだ。私は頷いた。
聞いたかというように彼は何度も脇のグレイを見やった。グレイはそれを無視している。
「さんとか付けなくていーんだよ、ミック。呼び捨てで。オレの後輩なんだし」
どう見てもグレイのほうが十歳くらいは年下に見えるのだけど。
文句も言わず、じっと耐えているから本当なのだろう。この組織の上下関係ははっきりしている。
悲しげな瞳に折れたのは、グレイのほうだった。体は大きいのにつぶらな瞳だ。
「へーへー、オレはあんまり甘いもの好きじゃねーけどな。ま、これなら半分くらいは付き合ってやるぜ」
フォークにケーキを乗せて、一口食べる。
すると、レイバンもまた食べ始めた。一口一口味わうように噛みしめている。唸り声がもれてることからして、満足な味だとは思うのだけど、彼はなに一言口にしない。
「まあ、こんなものだろうな」
すべて食べ終わって最後に出たのはその言葉だった。
「てめー、正直に美味いって言えよ」
グレイがせっつく。だが、彼はそれ以上言わずに席を立ち、食堂を出て行ってしまった。
「あいつ、お前にライバル心燃やしてんだぜ」
レイバンの姿が見えなくなって、グレイはテーブルに肘を付いて私を見上げた。
「お前はすぐに辞めるって言っているくせにな。このままずっといて、ボスの気に入りにならないか冷や冷やしてるんだ。あいつは狂信的なボス信奉者だからな」
「ボスの気に入り? そんなことありえませんよ。今日だって料理を壁に投げつけられたんですから」
私の答えにグレイはにやっと笑う。意味深な笑い方だ。
「オレはお前がずっと続けるに賭けてるんだ。あいつに勝ってもらっちゃ困るんだよ」
なるほど、そういうことか。いくら賭けているかは分からないが、お金が絡んでいるから、こんなことを言うんだ。なんだか気が抜けてしまった。
「あなたにはお世話になってるし、負けさせませんよ」
私は笑いながら言った。
グレイはコーヒーカップを手に取った。
「あいつの好きな物作っている間は大丈夫だろうが、後ろには気をつけろよ。男の嫉妬っていうのもたちが悪いんだからな」
悪い冗談だと思い、笑っていると、彼は真顔でコーヒーを飲んでいた。
まさか、そんなことが本当なんてあるんだろうか。このマスティマ内部で。
「まあ、城の中でそんなことしようもんなら、ボスの鉄槌が下るだろうけどな」
彼の言葉はますます本気だ。私の笑いも思わず引きつる。
当のグレイはいつもと変わらなかった。固まる私に向かってコーヒーの催促をした。
まったくマスティマの人たちは(特に幹部は)、私の常識を超えている。皆一癖も二癖もある人たちばかりだ。
次の日もレイバンはグレイにくっついて、好物を食べに来た。
大きな手でちっこいタルトを頬張る姿は微笑ましくも見える。美味いとこそ言ってはもらえないが、グレイが残した分を紙ナプキンに包んで、ポケットにしまうのを目にしてしまった。
あんなのを見てしまったら、明日も頑張って作ろうと思うじゃないの。
私は無言ではあるが常連の訪問者を得て、嬉しくなってしまった。
他の隊員たちには好評だったスィーツ。だけど、ボスにはまるで効果がなかった。
食事の後に出してもまるで手を付けようとはしない。それどころか、突き返されてしまった。
「男がこんなもん食うか」とのお小言付だ。
レイバンは嬉しそうに食べていますけど。そう言いかけて、慌てて口を塞ぐ。そんなことを言ったら最後、とばっちりが彼へと行きそうだ。
だいたいボスは好き嫌いが多すぎるのだ。特にスパイスは地雷原だ。香草も要注意だ。
コリアンダーなんかは爆発する類だ。試したことはないけれど、おそらく間違いない。タイやベトナム料理は詳しくないから冒険する気にもならないけれど。
新しい料理を出すときには、いつもただならぬ緊張感に包まれる。そして、文句を言われずに済んだときのあの脱力感。
私がつけるコックのメモ帳はどんどん埋まっていった。失敗したときの料理とレシピは細かく記しておく。二度と同じ失敗を繰り返さないように。
お陰で、すぐいっぱいになり新しいメモ帳が必要になった。
いつしかこのメモに何も書かずに済む日が来るのだろうか。私は見えない未来を思って、溜め息をつく。そして、今日もまた新しいページに書き込んでいくのだった 。
次回予告:マスティマの城の庭でミシェルが目にした黒い人だかり。聞こえてきたアイリッシュ・ダンスの音楽。これから何が始まるのか……。
第17話「サロン・ド・マスティマ(前編)」
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