15.ボスの地雷原(前編)
「何か変なもん、入れてんだろうが」
ああ、今晩もまただ。勘弁してください、ボス。
今日はサラダに入れたホウレン草が気に入らないらしい。
マスティマに入って早一ヶ月。この人の嫌いなものはなんとなく分かってきた。
だが、調理によって変わるのは本当に面倒くさい。スープに入っていたホウレン草には何も言わなかったのに。
「こんなもん、ブタに食わせろ」
酷い言われようだ。でも大分慣れてきた。涙も出ない。あるのはふつふつとたぎる闘志だけ。
彼はサラダを私の頭にぶちまけると、皿を壁に投げつけた。
聞こえてくるのは耳に馴染んでしまった破壊音。
「おい、アビゲイル」
「もう店には連絡してるわ」
アビゲイルも呆れ気味だ。
ボスが去ってから片付けを手伝ってくれるのもいつものことだ。
また食器が一枚減ってしまった。私が買う気にもなれない高価なものなのに。あの人はまったく気にすることがない。
「進歩はあるようね」
一緒に皿の破片を拾いながら、彼女は思いもかけぬことを言う。
唖然として振り返ると微笑む彼女がそこにいた。
だから弱いんだってば、この人の笑顔には。顔が赤くなる。
「日によって二皿目まで大丈夫なことがあるし、文句を言いながらも少し食べてたでしょ」
「そうでしょうか」
今日は「ブタに食わせろ」まで言われたのに。自分で繰り返して少し凹む。
「ボスはあれであなたに期待してるんだと思うわ。毎回食事の時間にはちゃんと来ているもの。それに嫌なら絶対に口にしない人よ」
ただ私を苛めて楽しんでいるだけのような気もするけど。その機会を逃さないために、席に着いているんじゃないだろうか。
でも物事は受け取りよう。この際、アビゲイルの言葉に乗っておくか。
「……僕、頑張ります」
「あなたって前向きだから好きよ」
笑顔での褒め言葉に顔が真っ赤になる。
やばい。自分自身を褒められるなんてそう経験ないから、戸惑ってしまう。
私の反応に彼女はさらに笑む。見ないようにしよう。心臓がばくばくだ。
胸を押さえながら考える。
そう、もちろん、私なりに前向きに努力はしてきた。
ボスが食べずに無駄になる料理。
なるべく少量で済ませたい私は、ワゴンの改造を頼んで鍋を直置きできる保温機能をつけてもらった。
そして選んだのはコース料理。一品一品出していけば被害は最小限で済む。
手をつけることなく残った料理や試作品は隊員たちに食べてもらえばいい。
ボス専用の高級食材だ。彼らは大喜びで食べて感想までくれる。
参考にならないことも多かったが、時には食べた人にしか思いつかないヒントをもらえることもあった。
皆の存在は私を支えてくれた。
ボスの料理への助けというだけではない。笑顔で美味しいと言ってくれる人がいるということが、どれだけ料理人である私に力をくれるか。
どうやって彼らに報いれば良いだろう。私にできることはなんだろうか。
そして、思いついたのがスィーツだ。皆の疲れを癒してくれるもの。
マスティマは男ばかりだから、あまり甘すぎず、カロリーも考えたものを作ったらいい。
だけど、あいにく製菓は専門外だ。その上、低カロリーで美味しい物という条件付。他に知恵を借りるしかない。
私は母にメールをして相談した。
私を生むまでパティシエを志して勉強していた母。途中でやめたのが悔やまれるほどだ。
彼女の作るデザートは最高だった。幼い頃、父と私とで取り合いになったものだ。
母からの返事はすぐに来た。応援のメッセージと共にたくさんのレシピが。大助かりだ。
早速、次の日から調理に取りかかる。
コーヒーの香りと共に甘い匂いが厨房からもれ出して来ると、食堂にはさらに人が集まるようになった。
次回予告:ミシェルは、隊員たちのためにスィーツを用意することに。評判は上々。グレイと一緒に幹部会議にいた大柄な男までやってくるようになって……。
第16話「ボスの地雷原(後編)」
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