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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(2) Probation 仮契約
14/112

14.コーヒーブレイク

 ある日、時計の針が午後を回ってしばらく経った頃、厨房に一本の電話が入った。

 幹部会議をしている部屋にコーヒーを届けてもらいたいというものだった。

 道順を詳しく聞き、準備をする。サーバーを保温性のものに置き換えて、抽出開始だ。

 幸いにもエスプレッソをボスが飲むのは朝だけだから、これでできあがり。

 サーバーに並々と入ったコーヒー、コーヒーカップとソーサー、ミルクに砂糖、スプーン。忘れ物はないことを確認して、ワゴンを押して会議室を目指す。

 形も色も同じ扉が続く。メモを睨みながらもなんとか目的の扉の前にたどり着いた。

 ノックをしてみる。何も反応がない。

 メモを再確認すると会議室はなんと隣の扉だった。危ない危ない。

 ワゴンを戻して扉の前で立ち止まり、再びノックをする。開けてくれたのはグレイだった。

 中には彼以外に、ボス、ジャザナイア隊長、アビゲイルともう一人体の大きな男の人がいる。

 奥の椅子には、テーブルをオットマン代わりにして座っているボス。行儀が悪いし、とんでもなく偉そうに見える。

 腕を組んで考え込んでいる様子で、こちらには目もくれない。

「待ってたぜ」

 グレイは一番に注いだコーヒーを手にした。

「少しは控えたらどうだ」

 ジャズ隊長の隣に座っている体格のいい男が声をかける。

 服の上からでも盛り上がった筋肉が分かる。コートを詰襟にして着ている姿はまるで軍人のようだ。

 その頬には横一直線の大きな傷跡があった。短い逆立った金髪や浅黒い肌、たくましい体と相まって迫力を増している。

「いつも飲みすぎじゃないか、グレイ」

「うるせーな。いーんだよ。オレはこれがねーと体のキレが悪くなんだから」

 彼より随分と若いはずのグレイは気安い言葉で返した。

 それはカフェイン中毒じゃないんだろうか。そう私は思いながらもソーサーにミルクと砂糖とスプーンをセットし、ボスのテーブルへと寄る。

 後ろから置けば、彼の視線とかち合うことはない。

 無事にコーヒーを置き、手を引っ込めようとしたとき、ボスの頭が小さく揺れた。

 私は瞬時に後ろに飛び退く。カップが小さな音を立ててしまったが、幸運にもこぼれはしなかった。数秒待っても何も反応がないので彼の顔を覗きこむ。

 眠っている。会議の場で堂々と。

 なんていう人だろう。

 呆れるというより、起きたときに冷えたコーヒーに気分を害して怒られるのは嫌だ。私は傍のジャズ隊長に耳打ちした。

「起こした方いいですか?」

「なんだと?」

 私の声より数倍は大きな声で聞き返してくる。

 隣の男と向かいに座っているアビゲイルが、慌てて静かにと人差し指を立ててジェスチャーする。

「お前、殺されたいのか」

 今度は普通の声だ。

「こいつの眠りを妨げるなんて自殺行為だぞ」

 一同ものすごい速さで頷いている。コーヒーを啜っているグレイまでも。

 皆その恐ろしい結果を十分知っているようだ。

「だいぶ良くはなってきてるんだがな。昔は所構わずで、扉が開かないと思ったら、向こうでこいつが寝てたなんてこともあったし」

 ジャズ隊長は大物だ。ただの懐かしい昔話をしているかのようなにこやかな口ぶり。

 そんなに楽しい話のはずではないのだけど。ドアをぶつけられたボスのそれからの行動を考えたら。

「……でも、起きた時、冷めたコーヒーなんてあったら同じことだと思いますけど」

 私の言葉に一瞬にして真顔になる。そして撤収だと命令した。

 それは賢い選択だとは思うけど、引くのは私だ。

 片手を伸ばし、ソーサーを持ち上げる。緊張に手が震え、かちゃかちゃと音が鳴る。どうかこれで目を覚ましたりしませんように。

 なんとか無事に回収した時には妙に疲れていた。コーヒーを出すだけで、こんな緊張感なんて味わいたくない。

 結局、ワゴンの周りに皆が集まって立ち飲みになった。いざボスが目覚めたときに皆にカップがあって自分のところにないとなったら、また大変だということで。

 ああもう、なんでこんなことまで気を遣わなければいけないの。

 溜め息をつく私。慰めとなったのはコーヒーを絶賛してくれるグレイだ。

 それに隊長やアビゲイルも美味しいといってくれた。

 唯一、あの小山のような男の人だけは、ボスにちらちら目をやりながら、無言で飲んでいた。あんな強面な人なのに、コーヒーに入れたミルクと砂糖の量は半端ではなかった。相当な甘党らしい。

 そのギャップに笑い出しそうになるが、真面目な顔の男と目が合い、耐えるしかなかった。

 皆でコーヒーを飲みほした。空のサーバーの載ったワゴンを押して私は厨房に戻ることになった。またコーヒーが必要になったら呼びだしがくることになっていた。

 ドアを開けて廊下へと出ようとしたときだった。ボスが起きたようだ。欠伸が聞こえる。私の背後にアビゲイルとグレイが立ち、隠してくれた。

「コーヒーの匂いがしねえか?」

 開口一番の彼の言葉。

 振り返るとアビゲイルとグレイが一斉に首を横に振っている。奥のジャザナイアと大きな男の人も。

「そうか?」

 ボスは声からして不審そうだ。

 これではばれてしまう。そうなったら誰にその怒りが落ちるのか。コーヒーを持ってきた私ではなく、他の人が怒られることになるのだろうか。

 戻りかけた私を後ろ手で出て行くように二人は押しやった。

「匂いってこれじゃねぇか?」

 ジャズ隊長がポケットから何やら取り出した。丸い、紙に包まれたもの。飴玉のようだ。

「食うか?」

「ふざけんな」

 差し出した手をボスは払う。だが、それで納得したようだ。隊長の機転で助かった。

 大人の男が飴玉なんて持ち歩いているなんてとは思うが、あの人だったら似合ってる気がする。

 それにしてもボスは手間のかかる人だ。

「会議を再開するぞ。議題は何だったかな」

 資料を覗き込み、ジャズ隊長は自然にそう言った。視線がちらりとこちらに向く。私には出て行けと、二人には戻って来いということだ。

「ミッションの更なる効率化について。経費との折り合いのグラフの評価からだ」

 ボスの言葉は、今まで眠っていた人の口から出てくるものとは思えない。ジャザナイア隊長よりもずっと状況を把握している。

 あれは本当に寝ていたのではなくて、狸寝入りだったのだろうか。

 私は音のないようにゆっくりと外へ出て、扉を閉めた。

 安堵の溜め息をつく。

 最後に振り返ったとき、ボスと目が合ったように思ったが気のせいだろう。もし本当にそうなら、無事に会議室から出て来られるわけがない。

 いつ呼び出しがかかるかもしれない。またコーヒーを用意していなければ。

 ワゴンを押して急いで厨房に戻る。だが、その日電話がかかってくることはなかった。

次回予告:複雑なボスの好き嫌い。適応し始めたミシェルであったが、ボスを満足させることはまだまだ先のようで……。

第15話「ボスの地雷原(前編)」


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