12.モーニングコール(前編)
マスティマの任務には危険がつき物だ。
その内容は多岐に渡っていて、ニュースになることはない裏社会に踏み入ったものだ。
闇世界のバランスを崩壊させる活動の阻止、横流し武器の奪取、犯罪組織の計画の暴露、警察も手を出せない重犯罪者の暗殺など上げればきりがない。
まだ正式な隊員ではないということで、詳しくは教えてもらえないが。
他の組織と大きく違うのは幹部が中心となって動くことだ。
他の隊員たちは彼らのサポート役。だが、いくら裏方とは言っても危険なことには変わりはない。
ボスたちが無事に任務をこなしているのは、やはり格段に違う能力の差なのだろう。
城の中でも、時として三角巾で腕をつったり、包帯を巻いたりしている負傷者を見かける。
処置をするのはもちろん医師でもあるアビゲイルだ。
一度彼女の治療を見かけたことがある。
それは丁度用事があって医務室を訪れていたときだった。
痛みで脂汗を流して顔色の真っ青な患者を押さえつけ、外れた肩を入れなおす彼女は鬼気迫るものがあった。
脱臼が治って痛みの取れた患者とは反対に、私は気分が悪くなって座り込む始末だった。
任務中の怪我とはいえ大変だ。患者もそしてアビゲイルも。
だが、それらの全てが任務のためではないと気付くのに、そう時間はかからなかった。
一日の始まりとなる仕事、ボスの朝食作り。
食事は八時開始なので、私が厨房に出てくるのは六時頃だ。
住み込みの良さを最も感じる時間だ。通っていてはさらに早起きをしなければならなかっただろう。化粧なんていらなくて、ぎりぎりまで眠れていたとしても。
食堂のカーテンを開ける。
この頃にはもう外は完全に明るくなっている。イギリスでは季節によって夜明けの時間がかなり違ってくるのだ。
窓を開けて、新鮮な空気を吸い込む。
この辺りには他に建物もないから、開けた風景、連なる丘はとても美しく見える。
気合を入れて、コーヒーメーカーをセットする。ガスの元栓を開けて、下ごしらえの開始だ。
次にボスの食堂に朝食用の食器を取りに行く。脇のテーブルにあるエスプレッソメーカーの準備をし、部屋の空気の入れ替えをする。その間にするのはボスの食卓であるテーブル拭きだ。
これらの作業の時間は七時前くらい。
それはちょうどその後。食器を載せたワゴンを押して厨房を目指して歩いている時だった。
なんだか騒いでいるような声が聞こえてきたので、私は首をめぐらせた。
廊下には誰一人おらず、部屋の入り口である扉も硬く閉ざされたままだ。
立ち止まってみたが、何処から聞こえてきたものかは分からなかった。今は耳を澄ませても何の音も聞こえない。気のせいだろうと思って、再びワゴンを押し始める。
すると急に聞こえてきたのは人が叫んでいる声。しかもどんどん近くなってくる。
あまりの異様さに、足を止めた私の横の扉がいきなり開いた。
部屋から顔色を真っ青にした男が飛び出してきた。口は叫んだ形に固まっていたが、すでに声は出ていない。
ここからはまるで映画のようだった。よくあるB級の巨大モンスターが出てくるパニック映画だ。
男は私に向かって手をさし伸ばした。私に救いを求めていた。
だが、何かが彼の上着の裾を引っ張った。
男は伸ばした手をそのままに部屋の奥に消えていった。続けて扉も音を立てて閉じる。
そして、聞こえてきたのは更なる悲鳴。
何が起こっているのか分からず、私はその場に立ち尽くした。
やがて爆発音と共に地響きがして、悲鳴がぴたりと止まった。
何かに縛り付けられていた私の体がやっと動いた。恐る恐る扉に近付いて耳を寄せる。何の音もしない。
そこで、扉のノブに手をかけた。大きく息を付いてからノブを回す。扉を開けるべく、引っ張ろうとした時だった。私の手首を掴むものがいた。
「駄目よ、マイケル」
そう言いながら、静かにと唇に指を押し付けている。
アビゲイルだった。彼女は私の肩に手を回して、そっと扉から離した。
「でもアビゲイル、あの人が……」
「今行っても屍が二つになるだけよ」
戸惑う私に彼女は不吉なことを言い出す。
「運が悪かったのよ。可哀想だけど彼には受け入れてもらうしかないわ」
屍になることを?
私は愕然と彼女の顔を見つめる。酷く真面目な顔つきでアビゲイルは扉に寄ると、耳をそばだてた。
「いいわ」
廊下の先に向って指で招く。
私が目を向けると、角に二人の隊員の顔が見えた。
彼らは走ってやってきた。そのうちの一人は何やら布を巻きつけた二本の棒のようなものを手にしている。
アビゲイルが扉を開けて部屋に入っていくと、彼らも続いた。
次回予告:部屋の中に引きずり込まれた隊員。爆発音と地響き。扉の向こうで何が起こったのか。駆けつけたアビゲイルと共に部屋に入ったミシェルは真実を知るのだが……。
第13話「モーニングコール(後編)」
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