100.グレイの技
さて昼食の準備は完了。
開始予定の十三時までには間があるし、手伝いの人たちには忙しくなる前の一休みをしてもらう。私も今のうちに休憩。
ゴルフの様子でも見ようとクラブハウスの玄関へと向かう。
すると、途中の廊下ですったもんだしている男たちに出くわした。
二人とも黒いコート姿。あの目立つ赤い後ろ頭はジャザナイア隊長だ。その向こうにいるのは……。
銀色の髪、グレイだ。助っ人早くも登場。でも、こんな所でなにしてるんだろう。
「わりー、隊長。昔の癖でつい」
「なにやってんだ。こりゃ、本社理事のウェイン・カーターのじゃねぇか」
隊長がグレイから取り上げているのは、高級そうな革の財布だ。クレジットカードの名前を確認している。
「こいつがポッケから顔のぞかせてさー。オレに盗ってくれってせがむから」
「財布はもの言わねぇだろ」
グレイの奇妙な言い訳に、隊長、突っ込むところそこですか。
それに、それって窃盗じゃ……。
「よりにもよって、なんでカーターのなんだ。貴重な親マスティマ派の上役なんだぜ」
グレイの頭をぽんぽん叩きながら言う。そして、ため息をひとつ。
「仕方ねぇなぁ。おれが責任もって、こそっとポケットに戻してくるしかねぇか」
隊長、それは上司の責任の取り方とは違うと思います。
「やべーんじゃね?」
グレイの言葉に、彼の良識を感じてほっとしたのも束の間。
「隊長、不器用だもん。途中でばれること間違いねー」
「じゃあ、お前が戻して来い」
財布を渡す隊長に、グレイは軽く舌打ちして受け取った。
前々から感じていたけど、マスティマの幹部の人たちって、普通の感覚と違う気がする。個性的だとか一言では片付けられないくらい。
「よし、カードは足が付くから現金を、と」
財布を広げて、物色し始めたグレイをぎょっとしたジャズ隊長が止める。
「なにやってんだ。そのまま返せ」
「えー? 警備会社の重役のくせに緊張感なさすぎのやつだぜー」
「それはそうだけどなぁ」
ジャズ隊長が頭を掻いている。迷いの出た証拠だ。
負けちゃ駄目です、隊長。ここは、上司としてびしっと部下を指導してください。
後ろで、ひとり力の入っている私に、彼らが気付いたのは、ほぼ同時だった。
この瞬間、グレイはめったにお目にかかれない、神々しいほどの笑顔を見せた。
私の前につかつかと歩いてくるなり、右手をとる。
「ミック、お前に任せ……るなんてことは、あるわけねーし」
明らかに途中で調子が変わった。押し付けられるかと思った財布は、あっという間にグレイの懐に消える。
「ちょっとトイレ」
妙に慌てた様子で反転して、すっ飛んでいく。それほど切羽詰っていたんだろうか。
そんな疑問も上から降ってくる声にかき消された。
「逃げたか」
低くて威圧感のある声。振り仰いでみれば、私の背後にいたのはボスだった。
いつからいたのだろう。私よりうんと背丈があって、制服の黒いコートがまぎれる夜でもないのに。
足音も聞こえなかったし、気配も感じなかった。忍び寄って獲物の首をがぶりとやる、猫科の動物みたいだ。
さすがグレイというべきだろうか。あのあからさまな態度の変化。適切な対応だと思う。危険なものには距離をとるのが一番。
「おっ、ボス。ゴルフはどうした。休憩か?」
ようやくジャザナイア隊長も気づいた。いつものごとく、あっけらかんとした調子で尋ねる。
「お前の代わりにアビゲイルがプレー中だ」
ボスの声には、明らかな苛立ちが混じっていた。
隊長は「ははっ、そうか」とへらっと笑う。ボスは無表情で、彼に絡むことを拒否している。
「アビーの腕は、おれと同じレベルだぜ」
ジャズ隊長は、ゆるい会話を続けようとする。
汗ばんでくる掌。この人とボスは長い付き合いのはずだ。それなのに、ボスの考えとか行動とか予測できないんだろうか。ボスの沈黙が耐えられない。
「……戻らねぇとな」
さすがにヤバイ雰囲気だと気付いたようだ。隊長がそう切り出した。
「次のホールの出番はボスじゃねぇか」
ボスは眉をひそめる。ジャズ隊長、分かっていない。
彼は多分二人を迎えに来たのだ。彼らが来ないから。それなのにグレイはトイレへ逃げ、隊長はボスを急かしている。
「ゴルフの決着、まだなんですよね?」
ボスの右手が懐へ伸びるのに気付いて、慌てて口にする。
彼は私を横目で見て、そして手を戻した。
ふう。かろうじて危機は回避できたようだ。当の隊長は気にもしてないようだけど。
「グレイが戻ってきたら、すぐ来るように言ってくれ」
ジャズ隊長から伝言を預かる。
「二度目はねえと伝えろ」
これはボスからだ。
上役二人からの命令なら、ぺーぺーの私は従うしかない。ランチまで余裕があってよかった。
彼らを見送って、トイレの前でスタンバイ。
いつ出てきてもいい状態。さあ、出ていらっしゃい。
けれど、待っても出てこない。男の人のトイレってこんなにかかるものだっけ? まさか大のほうだったりして。なんか構えてしまう。
大のほうした後で、待ち構えられていたら、気まずかったりしないだろうか。
思い切って入ってみようか。
男子トイレなんて入ったことのない、禁断の領域だけど。マスティマの城では共有トイレでなく、自分の部屋のを使っていたし。
立ちションを目にするのも、個室のドアを叩いて回るのも勇気がいりそうだ。気持ちを落ち着かせてから行かないと。
忘れていたが、せめて上着を脱がなきゃ。白衣のまま入るのは衛生上よくない。
決心して上着に手を掛けたとき、グレイが入り口から現れた。
次回予告:親睦会の幕引き。思わぬ形? いや、予想できたこと? 駆けつけたミシェルは困惑するばかりで……。
第101話「親睦会の結末」
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