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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(6) Daily work 1 マスティマの日常1
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97.ミシェルの出張

 次の日の朝九時、本社からヘリコプターが迎えに来ていた。

 城の敷地の一角にあるヘリポートで待機している。さすが本社仕様だ。立派な白いヘリ。新しいし大きい。

 操縦席から顔をのぞかせたパイロットに挨拶して、乗り込む。出発十分前だ。間に合ってよかった。

 焦るとろくなことはない。

 ボスの朝食に出すポタージュスープの味付けが微妙なことに気づいていたのに、ほんの僅かなので大丈夫だろうと高をくくってしまった。

 もちろん、ボスの舌はごまかせず、「不味い」と皿ごと床にぶちまけられた。

 久々の失敗で掃除の時間までは計算外。それから、片付けと隊員たちの昼食の用意までしていたら、時間がなくなって慌てた。

 パイロット席の真後ろ、最前列の席に座る。隣にバスケットを置いて、ほっと一息。

 忘れ物はないよねと横を見やった私は、瞬時に青ざめる。

 料理人の命である包丁がない。入れたはずのもうひとつのバスケットは? いくら見つめてもバスケットの中にバスケットがあるわけでもなし。城に忘れてきたのだ。またまた失態だ。

 パイロットに断りを入れて、ヘリコプターから城へ逆戻り。全速力で庭を駆け抜ける。

 城の庭って無駄に広いとか、なんで厨房が二階なんだとか、普段は気にならないことがやたらと気になる。愚痴をこぼしてしまいそうになる。

 時間を無くしたのも自分なら、忘れ物をしたのも自分。その上、余計な突込みをする自分が嫌いになりそうだ。

 厨房に着いた私はさらに落ち込む。

 マーマレードの瓶も忘れていってる。張り切って手作りをした物なのに。

 手作りのもの、リンゴジャムとピーナッツバター。マスタード、それにマーマレードは同じバスケット、つまり今ヘリコプターにあるバスケットに入れるはずだったのに。

 並べて置いていたのにどうして、マーマレードだけ置き去りなんて器用なことができるんだろう。

 冷えるのを待つために開けた瓶の蓋もそのままだし、明らかに眼中にない。

 急いで蓋を閉めて、調理器具を入れたバスケットにしまう。

 包丁、包丁。とにかくこれだけはないとお話にならない。もう一度確認してからヘリポートに戻る。

 息も切れ切れでヘリコプターのステップに足を乗せたが、踏み損ない、倒れそうになった。

 なんとかこらえようとのドアを掴んだまでは良かったけれど。

 傾いたバスケットまではどうすることもできず、滑り出たのはマーマレードの瓶。勢いがついて、地面をごろごろと転がった。

 私も反転、手を伸ばして追いかける。

 緩やかな傾斜が災いして、瓶は小石に乗り上げ、軽く宙に浮いた。その反動で、ちゃんと閉まってなかったのだろう、蓋が跳ね飛んだ。オレンジ色の帯は宙で弧を描いた後、地面に飛び散った。

「あっ」と声が出たのは、もったいないという思いからだけではない。

 小鳥の囀りが聞こえる清々しい朝の空気に不似合いな黒がそこにあったからだ。黒いコートの人たち。ジャザナイア隊長にレイバン、そしてアビゲイル。その上、ボスまで。

「げぇっ!」

 悲鳴を上げたのは私ではなく、ジャズ隊長。

 こぼれたマーマレードの溜りに足を突っ込んだのだ。

 音と共に跳ね上がったマーマレードが重力の法則で、隊長の靴の上に落ちてくる。

「ぬっ、ボスのお召し物がっ」

 次の声はレイバンだった。

 彼はボスの前にひざまずいて、ポケットからハンカチを取り出している。

 その状況に、慌てるべきか私は分からずにいた。私にはボスに飛び散ったところなんて見えなかった。多分、あっても一滴二滴。

 無残なのは、こぼれたバーマレードに足を突っ込んでしまったジャザナイア隊長だ。

 足を上げると靴底からどろりと落ちてるし、甲のあたりまで汚れている。

 これは気分を害しても仕方ない。この間の屋上での一件を目にした私は、怒られるのを覚悟した。

「あぁ、美味そうなのに」

 ジャズ隊長はそう言って、芝生に底を擦り付けて、落ちていた枯葉で靴をぬぐった。

 私は慌てて駆けつけて、頭を下げる。

「すみません、ジャズ隊長」

「もったいねぇことしたなぁ、マイケル。靴のことは気にすんな。汚れるもんだからな。オレンジ効果でかえってきれいになるかもしれねぇ」

 屋上でのことなんて幻のようだ。ジャズ隊長は明るく笑い飛ばした。

「もう、なにやってるの、ジャズ」

 見かねたアビゲイルが鞄の中からガーゼを取り出して差し出す。

 ジャズ隊長はひとぬぐいしただけで、これでO.Kだと立ち上がった。

「おいコック、ボスのお召し物を……」

 私に向いたレイバンの声は最後まで続かなかった。ボスの足が行く手をふさぐ彼を蹴りつけたからだ。

「邪魔だ」

 ボスはそう言い残して、先に歩いていく。

「申し訳ありません、ボス」

 地面に倒れこんだレイバンは苦しそうだ。顔が青い。それでも片手の箱は胸に抱えたままでいた。昨日見たマスティマの隊旗の入ったものだ。

 よろよろと立ち上がり、中腰のままアビゲイルに隊旗を託す。

 そのころには、ボスはヘリポートまで行き、乗り込もうとしていた。

「もしかして、一緒の便なんですか?」

「世の流れだな。経費削減ってやつだろ」

 ジャズ隊長の答えに、納得した。天下のディケンズ警備会社やマスティマも世界的な不況にはかなわないってことなんだろう。

「さあ、早く出発しましょ」

 アビゲイルが私の腕をとる。

 彼女もまた同じ便に乗るのだ。白いジャケットに黒のワンピーススタイル。その左手には診察鞄が握られている。合同演習にはけが人がつき物だからだという。

 見送りのレイバンを残して、私たちを積み込んだヘリは、離陸準備に入る。

 隊長やアビゲイルは彼に手を振ったが、肝心のボスは完全無視だ。

 ボスと二人きりではないことにほっとしていたが、その安心はまだ早いものだった。

次回予告:ボスたちと一緒にヘリに搭乗することになったミシェル。何事もなく過ごせるわけもなく……。

第98話「マーマレードの香り」

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