96.スィーツさまさま
マスティマの城は、昼を過ぎた頃、甘い匂いが立ち込める。
香ばしいクッキーやしっとりとしたパウンドケーキ、濃厚なチョコレートを使ったスィーツが焼きあがるとき。
隊員たちの疲れを癒す、お菓子作りはコックである私にとって大切な仕事だ。
食事作りとはまた違って楽しい。
ホイップクリームの絞り方やお皿に盛り付けた時のソースのデコレーションも遊び心が加えられる。
ボスからは菓子など要らないと、きっぱり言われたので遠慮なくできる。
同じ厨房での仕事だが、私にとっても良い気分転換。
その上、甘いものは体だけでなく、ストレスによる心の疲れにも効くというのだ。まさにスィーツさまさまだ。
隊員たちの任務は、全神経を尖らせていないと無事ではすまないものも多いと聞く。
それに、あのボスの並々ならぬプレッシャーに耐えなければならないのだ。それだけでも大変な仕事だと想像がつく。
さて、今日のお菓子はバウムクーヘン。
甘いものに目がないレイバンのチョイスだ。投書箱に毎週のように届くリクエストから選んだもの。
さすがに毎回は聞いてあげられないが、なんにしようかと迷った時は参考にさせてもらう。
メジャーな菓子全てがレイバンのお腹に収まるのは時間の問題だと思う。
もっとも私はマスティマみんなのコックだから、彼の意見ばかりを聞いてもいけない。
隊員は男ばかりで、スイーツは嫌いではないけど甘ったるいのは苦手という人も結構いると聞いた。それに、どうせ食べるのなら体に良い方がいい。
材料と配分を見直して、カロリー十パーセントオフに成功。味も申し分ないし、しっとりとした食感もなかなかのものだと思う。
専用の器具がないのでオーブンを代用。木の年輪形ではないが、きれいな層はできた。
これを等分にカットして食堂に置いておく。時はまもなく午後三時。おやつを求めて好きな人が集まってくる。
コーヒーを片手に交わす会話は砕けた、気安いもので、私も時折仲間に入れてもらう。
仕事の愚痴や離れて暮らす家族への思い、時にはマスティマの裏事情まで話題は多彩。私が知らないことも多くて相槌を打つしかできないことも多々ある。
なんにしても溜め込まず、口に出すのは良いことだ。
人と分かち合って気分が軽くなることだって、きっとあるはず。スィーツがそんなきっかけになってくれたら嬉しい。
これはマスティマ隊員たちのためのもの。内々の仕事。
そう思っていたのだが、あることをきっかけにそうは行かなくなってしまった。
発端は三ヶ月程前、アーロンに頼まれて作った大量のビスコッティ。来客用の茶受けに出したいとのことだった。
ディケンズ警備会社の総取締役である彼は、ボスのただ一人の上司だ。
マスティマでは役職名CEOからセオと呼ばれている。
表のディケンズ警備会社、裏のマスティマ。彼は二つの組織のパイプ役でもある。
そんな人の言葉に逆らうことはできないし、理由もなかった。
仕事の量がちょっと増えるだけ。なんのことはない。できばえも悪くなく、幸いなことに好評だったようだ。
マスティマの厨房まで食材を届けてくれる、ディケンズの社員さんからそう聞いた。会社のみならず関係各所にまで評判になり、誰が作ったのかと話題になったと。
また作ってほしいと、これまたすごい量を頼まれたが、今度は丁重にお断りした。
うちのボスがディケンズのことを良く思っていないからだ。
前にも、連絡なしにヘリを飛ばすのは領空侵犯だ、撃ち落せと言い放っていたし。
共に繋がりある組織なのに、それほど仲が悪いなんて悲しくなってくる。ディケンズの内部にはアンチマスティマなんてものがあるらしい。陰湿なちょっかいは私も目にしたことがある。
ボスの辞書には、きっと折り合いを付けるなんて言葉は載っていない。そんな人だから本社に対する時は特に慎重に動かなくては。
たとえ小さなものでも侮れない火種。特にボスが関わるものは。気づいたら手のつけられない大火事なんて気分が悪い。
ビスコッティは常備することにして、食材係の人には、城に来たときに食べてもらうことで納得してもらった。
依頼のあった、ディケンズ警備会社の親睦会の料理を担当してくれと言われたのは、このビスコッティの件の流れだと思う。
本社には社員食堂があり、コックもいると聞いているが、手が足りないということだろうか。
なんにしろ、初めての外での仕事。不安もあるが、ワクワクもしている。
普段は交流のないディケンズ警備会社の社員さん。どんな人たちだろう。彼らを満足させることができるだろうか。
勝負はもう始まっている。私は最善を尽くすだけ。
翌日にある親睦会に向けての準備に取り掛かった。
次回予告:本社の親睦会のための料理作りに借り出されるミシェルだが、出発前にも一悶着あって……。
第97話「ミシェルの出張」
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