95.禁断の箱
ある日、血相を変えたレイバンが厨房に駆け込んできた。ボスの昼食をワゴンに乗せ終え、ボス専用の食堂に、さあ出発という時に。
ただ事でないことはすぐに分かった。顔色は真っ青、目は泳ぎ、涙ぐんでいた。
「ボスが……ボスが……」と繰り返すだけだ。
ボスに何かあったのかと驚いた私は、言葉もままならない彼が落ち着くのを待った。
そして、聞き出したのは「ボスのブロマイドを爆破してしまった」ということだった。
私は瞬時に壁の時計を見て、ワゴンを押し出した。すがり付いてくるレイバンの手を振り払って。
「あとで聞きます!」
今はボスの昼食が優先。遅れるなんて論外だ。
しかも、ブロマイドを爆破して落ち込むレイバンを慰めてました……なんてこと、絶対に遅れた理由なんかにならない。
ブロマイドの話が出てきた時点でアウトだ。ボスは前から許してなくて、見つけたはしからカメラを壊していたそうだし。
ほとんど走って、なんとか間に合った。若干息を切らせて配膳をする私をボスは怪訝そうに見ていたけど。
無事に昼食は終わった。ワゴンを押して戻ると、厨房と続きの食堂に、一人窓に向かって椅子に座っているレイバンがいた。
昼食時なので、食堂のテーブルには人がいっぱい。
ただ彼の周りだけ雰囲気が違う。そこだけ雨が降ってるみたいだ。
「なんか大事なもの、ふっ飛ばしたみてーだぜ」
コーヒーカップ片手にグレイが寄ってきた。
彼の話によると、爆薬を使った屋外演習中、レイバンが何かを落としたらしい。運悪く上着の内ポケットの底が破れていたからだとか。
「爆発してんのに、飛び込もうとしてたもんなー。よっぽど大事なもんだと思うけど、何かは言わねーもん」
そりゃ、ボスのブロマイドだなんて言えないでしょう。
肩を落として、いつもより一回りは小さく見える彼。哀れを誘う。
ブロマイド、しかもボスのものを作る情熱は分からないけど、大事なものを失くした気持ちは理解できる。
今日のスイーツ、彼が一番好きなザッハトルテにしよう。少しでも元気になってくれると嬉しい。
「ボスの昼食終わりました。話を聞きますよ」
傍に寄って声をかける。
すると、顔を上げるなり立ち上がった彼は、私の腕をつかんで食堂を飛び出していった。
体の大きさに対して、なんて素早い動きだ。驚きのあまり抵抗もできなかった。
食堂にいた人たちもそれは同じだったようだ。あんぐりと口を開けているのがスローモーションのように見えた。
体格差のおかげで、ほとんど宙に浮いた状態。多分、子供におもちゃにされる人形みたいな比率だ。
つかまれた腕が悲鳴を上げる。
痛さのあまり、本気で抵抗しようと思ったとき、レイバンは足を止めた。ようやく床に立つことができる。
「マイケル、お前のアレ、返してくれ」
詰め寄ってくる彼。目がマジで怖い。
この状況で、アレといえばボスのブロマイド。彼の提案は願ってもないことだ。私は二つ返事で、自室に飛んでいって写真を取ってきた。
原本は自分で持っているのが安全だと思っていたのに、とんだ失敗だったとレイバンは悔やんでいた。そして、私から写真を奪ってしまうことに心痛めていた。
いえ、そんな心遣いいらないです。持っていってくれて、ありがとうございます。
本音はそう。だけど、すまなそうにしている彼の前では決して口にできない。
「これは借りだ」と身に覚えのない恩まで作ってしまった。
二枚の写真を両手で天に掲げてから、大事に懐にしまうレイバン。
ブロマイドだって、ああやって大事にしてくれる人のところが一番のはずだ。写っているボス本人がどう思おうと関係なく。
本当にほっとして、私は彼の後ろ姿を見送った。
……見送ったのに。
また写真が私の元に返ってきた。
心苦しさを感じたレイバンが複製を持ってきてくれたのだ。
「こんなの、いりません」とは、絶対に言えない雰囲気。
写真とお別れしてから二時間ほどしか経っていない。厨房に押しかけたレイバン。借りを返せたと安堵しているのが分かる。
仕方なく受け取ろうとすると「あっ」と声を出す。
食器洗いをしていたので、濡れた手が気になったようだ。素早くタオルを差し出してくれた。
ありがたいような、ありがたくないような。複雑な気分でぬぐって、写真を手にした。
また禁断の箱行きか。
とりあえず、自分の部屋に戻ってなおさないと。ずっとボスと一緒では、写真であっても落ち着けない。
私は部屋に戻り、クローゼットを開ける。
すると、時を同じくしてドアをノックする者がいた。
箱を取って入れるだけだが、失念していた。私の背丈では踏み台を持ってこなければならない。
ドアの前の人を待たせるのも悪いので、近くに吊り下げていたコートのカバーを摘み上げ、ポケットに入れた。
少なくともクローゼットの中だ。部屋のテーブルとかに置くよりは目に付くことはない。
後で箱に入れなおせばいいだけのことだ。
私はドアに駆けつける。
廊下にいたのはアビゲイルだった。彼女は私に新しい仕事を告げにきたのだ。
それは初の出張業務。近々あるというディケンズ本社の親睦会でのランチ作りだった。
次回予告:ミシェルのスィーツ作り。その噂は本社まで広がって……。
第96話「スィーツさまさま」
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