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運命のマスティマ  作者: 鏡 香夜
(1) Road to the Mastema マスティマへの道のり
1/112

1.十年前 始まりの夜

 あの夜の出来事ははっきりと思い出せる。十年たった今でも。

 石釜から漂うピッツアの香りや沸き立つ鍋から立ちのぼる湯気。鼻歌を歌いながら厨房を歩き回る父の姿さえも。

 白衣に包まれたふっくらとした体つき。コック帽から覗く柔らかい栗色の髪。

 陽気な鳶色の瞳は料理へ向うと光に溢れる。始終浮かんでいた笑顔。まるで特別なものを作り出すかのように。

 小さな料理店の経営者であり、コックでもあった父。思い出すのはいつも白衣姿。

 父の手伝いは、幼い私の楽しみでもあった。厨房は不思議に溢れた魔法の園。父は魔法使いであり、私はその弟子の気分だった。

 包丁を持たせてもらったのは五才になる頃で、簡単な料理も教えてもらった。もっとも、まだ子供だからと、お客に出す品には手を出させてはくれなかったけれど。

 それでも、料理を運んで店を訪れた人と話をするのは面白かった。可愛いウェイトレスさん。みんなそう呼んで優しくしてくれた。

 そして十年前のその夜も。

 店の入り口には閉店の札をかけているが、奥の席は三人の男が占めていた。黒っぽいスーツ姿で煙草をくゆらし、ワイングラスを傾ける。

 彼らの低く柔らかい声。

 皿を乗せた盆を手に近寄ると、話し声がぴたりと止まる。

「お手伝いとは偉いね、お譲ちゃん」

 私の背からすると高いテーブルに、ようやく料理を並べる。顔なじみの初老の男が手を伸ばして、頭をなでてくれる。

「お譲ちゃんじゃないわ。ミシェルよ。ブルーノさん」

 ごつごつとした大きな手で、髪をくちゃくちゃにされてふてくされると、男は顔を綻ばせる。髪と同様白の混じった口ひげが余計楽しげに見せる。

 膨らんだ私の頬に、人差し指を押し付けながら彼は言葉短く詫びた。

 両脇の彼より若い二人の男が微笑んでいる。

 よくあるやりとりだった。小さな料理店を持つ父の手伝いに借り出されるのは。

 そしてこの初老の男。店を貸切にして食事をする、何度も訪れるお得意様。当時の私にとって彼はそれ以上ではなかった。

 優しい微笑みを持つおじいちゃん。例え連れの男達が何度も鋭い目つきで入り口を見やっていたとしても。それを知っていたところで幼い私の想像できることなど、たかがしれている。

 十歳の誕生日を迎えて間もないその日。それは起こった。

 

 入り口のガラスが弾ける。

 続いてドアが蹴破られ、黒い衣服に身を包んだ男達が押し入ってきた。

 奥にいた初老の男の頭を手の平で守りながら、テーブルの下に逃がす連れの若い男は、素早くジャケットの下から何かを取り出した。

 連続の銃声と共にテーブルのグラスが砕け、壁の絵画がソファに落ちる。

「ミシェル」

 立ち尽くす私を抱えるようにして、父は床に身を投げ出した。

 男達の怒号。応戦する奥の男の一人が銃弾を浴びながら後ろに倒れた。

 粉々になった照明が激しい雨のように落ちてくる。

「皆殺しにしろ。誰一人逃がすな」

 銃声を突き破る声で侵入者の一人が怒鳴った。

 父は私をかばいながら、カウンターの傍へと這った。

「大丈夫か、ミシェル」

 がたがたと震えることしかできない私を父は気遣う。

「怪我はないな?」

 頷くのを見て安心したように笑む。その微笑みにほっとしたのは私のほうだった。

 途絶えることのない銃声の中でパニックに落ちいらずに済んだのは、父の存在ゆえだった。

 簿のかな明かりが上から降り注ぐ。カウンターの上に置かれたシェード付きのランプ型のライト。傘を失いながらもまだ光を放ち続けていた。

「パパ、血が……」

 その明かりの元、胸を濡らす血を目に止める。赤い色はどんどん広がり、白衣を染めていった。

「パパ……!」

 カウンターに上半身を預け、苦痛に耐えるように目をつぶっていても父の唇には微笑みが残っていた。弾丸が顔の脇の板にめり込んだときも。

 銃口を向けて男が近付いてくる。私たちをどうするつもりなのかは明白だった。

 父は顔を引きつらせ、半目を開けながら、私を抱き寄せた。男に背を向けるようにして。

 男の歪んだ笑み。父の腕越しに恐ろしいその表情を目にしたのが最後だった。

 一発の銃声。

 恐る恐る父の背から顔を覗かせたとき、男の姿は消えていた。

 新たな人影を見つけて身をすくませる。長い丈の黒いコートを着た黒髪の男がそこにいた。大型の拳銃を手にしている。

「下衆が」

 コートの男は床に転がる銃撃者を足で押しやった。

 苦痛の声を上げながら床をまさぐる手の届かないところへ銃を蹴り飛ばす。

「ブルーノの救出が最優先だ」

 コートの男が良く響く声で命ずる。他にも同じような上着の男達が店の中にいた。

 彼らの銃弾は確実に侵入者を仕留めていった。

 黒髪の男は歩み寄ってきて私たちを一瞥した。傍にいた仲間と思しき者に向って命ずる。

「救急車を呼んでやれ」

 私は男を仰ぎ見た。戻ってきた視線とぶつかりそうになり、慌てて俯く。だが、彼のコートの袖にあったエンブレム。描かれた黒い翼は不吉な予感のようなものだった。

 父を見やる。荒い息をし、目をつぶったままの父。

 不意に涙がこみ上げてきた。泣き始める私の傍に黒髪の男の仲間であろう、若者が腰を落とした。

「もう大丈夫だ。俺たちが来たんだから。救急車だってすぐに来る」

 そんな言葉が幼い私の何の救いになるだろう。

 男が差し伸ばしてきた手を引っ込めたのは、私の声を耳にしたからだろう。

 私は父を呼び続け、隣の男はそれ以上何も言わずにそこにいた。

 やがて救急車が到着し、救急隊員が父の処置を始めた。

 私は何もできずに立ち尽くし、泣くだけだった。

 担架で先に救急車に運ばれようとしていたブルーノさんは、声をかけてそれを止めた。

「すまないミシェル。巻き込んでしまって。本当にすまない」

 彼は腕を伸ばし、血で汚れた手で私の頭をなでた。

 こんな状況でなければいつもの仕草。それは、この悪夢のような状況が現実であることを知らしめるだけだった。

 私はより激しく泣き出した。担架は去っていき、詫びるブルーノさんの声だけが置き去りになった。

「もう大丈夫」……なんてことはなかった。

 病院に搬送されて三日後、父は息を引き取った。

 何よりも料理を作ることを愛し、私たち家族を愛してくれた父は逝ってしまった。

 後に、お得意様だったブルーノさんは地域一体を仕切るマフィアのボスで、私達が巻き込まれたのは組織の抗争だったことが分かった。穏健派であるボスを亡き者にしようとした 武闘派の一味によるもの。

 そして、私と父を救い出した者たちはそれを阻止するためにやって来たのだと。

 彼らの正体を知り、その存在を知ったこと。それは私の運命の方向を付け、私の志の源となった。

闇社会に属する組織が出てくるお話です。

主人公ミシェルを通すことで、コミカルな部分も多くなっていく予定です。(最初の方はシリアスですが……)

当サイト初投稿ですが、よろしくお願いします。


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