第66話 動向
「間一髪といったところでしょうか。白鳥さんとの鍛錬がようやく成就いたしましたわ」
「え、ええとっさあ~、白鳥さんっぺ? 一体どういうこつっぺか?」
バスケス達の前に現れたのは、フィットリア令嬢リアナとその使用人であるミサラ。リアナの銀色に輝くショートボブは月色を帯び、ミサラの金色の髪が神々しく海風に靡く。
リアナはゆっくりと此方に近づいた。その怜悧で美しい藍玉の瞳には、呆然とする彼らの姿が映りこむ。
「白鳥さんは白鳥さんなのです。それよりも、お姉さまは今どちらに?」
バスケスは目が点となっていたものの、その声にハッとして顔を振ると慌てて答える。
「はいさはいさ! そいがアーリナ様ですたら、今頃王城の方に居られるかと思うっぺ。若え騎士と、あとザラクと牛も一緒っぺさ」
「え、ええと……その、少し待ってくださる?」
リアナは眉を顰め、片手で顎を押さえて俯いた。
(色々と理解できないことが多すぎなのです……騎士は分かります。ですが、ザラクという方と牛の存在が分からないわ……特に牛って何? お姉さまはここに、馬じゃなくて牛に乗って来たってこと?)
考えれば考えるほどに理解が遠退く。姉は何を考え、どこに向かおうとしているのか。リアナが黙考する間にも、ミサラが状況を詳しく訊いていた。
「そうですか……やはり、リアナ様の読みは正しかったようですね。あとバスケスさん、アーリナ様がここを離れてどのくらい経ちましたか?」
「んだあ~、2時間は経ったかってところっぺよ。わいらもここん後始末で手一杯だったっぺから、正確にゃあ言えねえっぺが……」
ミサラは「十分です」と笑みを添えて返し、何やら考え込んでいるリアナの肩を優しく叩いた。
「リアナ様、よろしいでしょうか? 私たちも王城へ急ぎませんと」
「え、ええ分かりました……その前に、ここの守りを固めておきましょう」
向けられたミサラの眼差しに、ぼうっとしていたリアナがあたふたと口を開いた。彼女は港に手を翳し「氷壁」と言い放ち、岸壁上に港全体を囲むようにして氷の壁を打ち立てた。
その一瞬すぎる出来事を前に、バスケスにガトリフ、目撃した民全員が呆気に取られた顔を並べた。
「ほ、ほええ……」「あ……ああ……」
開いた瞼が下ろされることなく、驚きのあまり言葉すら出ない。リアナはそんな彼らの様子にご満悦そうに「白鳥さん、やったよ」と小さな拳をギュッと握る。
「バスケスさん。私たちはもう行かねばなりませんが、ここを任せましたよ。あと、くれぐれも我らのことはご内密に」
「んだはっ?! あ、んだんだ! 了解っぺ、ミサラさん。けっすて誰にも言わんっぺ。そいより、あん氷は近づいても崩れたりはしないっぺ?」
「ええ。さすがに海の氷は溶け始めると思いますが、岸壁上ならば問題ありません。これで港自体は封鎖いたしましたし、増援の心配もございませんわ。あと、先に上陸した方々も閉じ込めさせていただきましたが凍えることしかできないでしょう。では、私たちは急ぐので失礼いたします」
リアナはそう告げて丁寧にお辞儀をした。そして静かに背を向けると、ミサラの足元に浮かぶ魔法陣に飛び乗る──すると一瞬にして、彼女たちは光の線となって空に溶け込んだ。驚きに次ぐ驚き。その場の皆が何が何だか分からない面持ちで、月光混じりの空をただ茫然と見上げていた。
一方その頃、アーリナは全く音沙汰のないザラクに痺れを切らして王城内へと足を踏み入れていた。クラウスの愛馬ミーサンの鞍袋に身を隠して堂々と正面から入城。馬房へ入ると同時に袋から飛び出した彼女は、クラウスとともに城内探索に意気込んだ。
「ちょっと待って……感じる……これって、何?……この下で、誰か戦ってる?」
足元に視線を落とし、片方の眉を不思議そうに持ち上げたアーリナ。探索するまでもなく、彼女は優れた魔力感知によって城内での争いの動き感じ取っていたのだ。
(でも、これって人間じゃあないよね……おそらくだけど、こっちがバジコで、もう一つ似てるのがあるけど、凄く大きい……)
首を傾げて思案するアーリナに向かって、クラウスが「どうしたんだ?」と尋ねる。
「ねえ、クラウス。ここの下って何かあるの?」
「この下かい? いや、ここは馬房以外は特に何も……って、待てよ……」
クラウスは返事をしながらも、咄嗟に自らの発言を否定した──というのも以前、団長からの指示を伝えるためにアザハルを探し回ったことがあった。城内をくまなく探したが見つからず、ほとほと困り果てていたあの時、この馬屋を出た先にある噴水付近から急に現れたことを思い出したのだ。
「そっ、そうだ! アーリナ様。この先に小さな庭園がございます。そこにある噴水が怪しいかもしれません。もしかすると、隠し部屋への入口があるのかも」
アーリナとクラウスは早足に庭園へと向かった。そこには、大人一人でも運べそうなほどの小さな噴水がある。彼女たちは石造りの噴水を手のひらで叩いたり押してみたりと、さっそく手探りで調べだした。
そんな地上の動向など露知らずの地下室では、アザハル対ザラク、バジリスクにはバジコが対峙して鎬を削っていた。
「くそったれが! 俺の前髪をよくも溶かしやがって……。てめえご自慢の三つ編みも、切り落としてやるからな」
「ふんっ、ふざけるな小童。貴様は剣の腕はまだまだのようだが、口だけは達者のようだ。さっきから避けてばかりで、如何にして我が髪をどうこうできるというのか」
ザラクは瞳を閉じ、敵の斬撃を軽やか身のこなしで躱し続けていた。しかし、アザハルの振るった刃から飛び散る毒液のお陰で、攻撃をいくら避けたとしても間合いを詰め切ることができなかった。
(許さねえ……俺の前髪が、ぜってえパッツンになってんじゃねえか……)
ザラクは前髪を失った現実に、強烈な怒りと悲しみを覚えていた。この部屋からの脱出という選択肢はもはや頭になく、恨みを晴らしぶっ倒しちまえばいいじゃねえかと実力云々は抜きにして腹を括っていたのだ。
「ぎしゃー!」「ギュララー!」
バジコも気合十分のようだ。ザラクは反響する音に耳を澄ませ、握った短剣に力を籠めた。




