第65話 氷撃一閃
「ふうっぺ~、ガトリフ氏い。こっちはもう終わったっぺえ」
「おお、意外と早かったな。俺の方はまだかかりそうだ。悪いが、次は向こうの応援を頼めるか?」
一方、ドレイク自治区ではバジリスクの脅威が退き、町を襲っていた少数の騎士達はガトリフにバスケス、そして町の住民らによって捕らえられていた。
現在、彼らは消火作業の真っ最中。町全体で総力を挙げ、井戸から水を汲み上げての人海戦術。それに加えて、水属性の魔矢による広範囲の散水を行っていた。
依然として燻る火種は散見されているが、消火は順調。ガトリフもバスケスも額の汗を拭う間もなく、懸命に魔矢を空へと放っていた。
「よおし、後少し。もうひと頑張りだぞ、皆!」
「おおー!」「やってやらあー!」
ガトリフの一声に、住民たちも力強い声を上げた。こうして事が大きく運んでいるのも、駆けつけてくれた皆のお陰だ。一時は避難していた彼らも、自らの意志で『故郷を守る』と奮起したのである。
ガトリフの頬もその誇りによって緩み、弓を引く手にもより一層の力が入った。
「ガ、ガトリフさん! たたっ大変だあ~! う、海から!」
そのとき、海側の消火に当たっていた住民たちが、一斉に叫びながらガトリフの元へと逃げ込んできた。ガトリフは「どうした?! 一体何があった?」と、驚いた顔を彼らに向けた。
「騎士が、大軍で……」
「騎士だと? まだ残党が残っていたというのか……しかも大軍で?」
「ち、違うんだ。ありゃあ王国じゃねえ……帝国軍の騎士だ。見たこともねえ船で、波止場に突っ込んできやがったんだ」
その言葉にガトリフは眉間に険しさを寄せた。
(このタイミングで帝国ヴァイゼルシュタンの襲来──よもや仕組まれていたのか……。このまま上陸を許し、完全に陣を築かれてはマズいことになる……)
立て続けの窮地。頬を伝う大粒の汗を手の甲で拭い、ガトリフは「バスケス!」と大声で呼んだ。
「ガトリフ氏い、何かあったっぺかあ?」
「消火はもういい! 今すぐ港に向かう! 皆、何でもいい、武器を手に取ってくれ。この機に乗じて帝国は、我らラーズベルド王国を侵略するつもりだぞ」
ガトリフは声高にその場にいた住民たちに訴え、彼らもまたそれに応えた。
「よ、よし! ここで逃げたって、国がなくなっちゃあどこにも行く場はねえ。やるぞ」
「ああ、そうだ……オラたちの故郷をこれ以上踏みにじられてたまるかってんだ!」
勇気と恐れは表裏一体。震える膝を押さえながらも前に進む者こそ、どんな騎士より強い──住民たちは捕えた騎士達が身につけていた剣や槍、盾といった武器防具を手に取り、ガトリフの背に続いた。
ガトリフらが消火活動に当たっていた地点から港までは、良くも悪くも即応できない距離であった。良い点としては、反撃体制を整える猶予を得られたこと。一方悪い点は、敵にも同じ利点を与えてしまったということだ。
港にはすでに多くの船が横づけされ、黒褐色の鎧に身を包んだ騎士たちが物資を手に上陸していた。幾つかの天幕こそ見えるが、陣としてはまだ浅い。これならば、押し返す余地はある。
とはいえ、相手は百戦錬磨の帝国騎士。むやみやたらに攻め込んだとて、返り討ちに遭うのは火を見るよりも明らか──ガトリフとバスケスは港の光景を注視しつつ話し合う。
「どうすっぺか……ありゃあ、おいたちの手にゃあ余るっぺよお。応援さ呼びにいったほうが……」
「ダメだ、時間がない。ここで完全に奴らの体制が整っちまったら、領地抗争と変わらぬ規模の戦にまで発展するぞ。それに、後続が続かぬとも限らぬ」
「たすかに……ガトリフ氏の言うとおりっぺえ。んでもよお、ここにいる民たちに戦闘経験なんてないっぺさ。無駄に死にに行くようなもんじゃあなかがね?」
いつになく、バスケスの表情にも悲愴感が漂う。彼の言い分は、ガトリフも十分に理解していたが、町の皆も覚悟を胸にここにいるのだ。
故郷をここまで滅茶苦茶にされ、ガトリフ自身も町の皆も、怒りに任せて奮い立った一面を否定することはできない。だがそれを、無謀の一言で斬り捨ててもいいものだろうか。今この国を窮地から救う手だてがあるとすれば、ここにいる俺たちにしか成し得ない──ガトリフは遠くの敵に目を細め、重い口を開いた。
「……バスケス、ここにいる皆は覚悟の上だ……ここで退けば、この故郷は帝国に蹂躙され、国そのものすらも失われるかもしれん。たとえ命を投げ出したと言われようとも、我らは退かぬ」
ギシギシと歯ぎしりを立てるほどの気迫を見せたガトリフ。歯茎まで切れているのか、唇には血が滲んでいた。
バスケスはその鬼気迫る表情に、思わず生唾をゴクリと飲んだ。これはおいも覚悟を決めるっぺ、と、握った魔弓を強く軋ませた。
ガトリフとバスケスは二人して作戦に頭を悩ませる。けれども、着々と天幕が建てられる光景を前にすれば、とても冷静ではいられなかった。さらには追い打ちをかけるように、奥の海域には新たな船影まで見え隠れしている。
「くっ、増援が予想以上に早い……お前たちは下がれ。ここは私がやる。バスケス、皆を連れて離れていろ」
「んにゃっ?! なあに言ってるっぺ! たった今全員で戦うって話したばかりっぺがあ」
一方的なガトリフの指示に、バスケスが吠えた。皆に退けということは、自分ひとりで死地に立つと宣言しているようなものだ。
「言った……だが、お前にも見えているだろう、敵はあれだけじゃあない。奥にも続々と迫っている。もはやお前の言うとおり、無駄死にだ……」
ガトリフが力ない声とともに、その瞳を地に落としたそのときだった。
「ガ、ガトリフ氏! あいを見いっぺ!」
「いきなりどうしたんだ、バスケス……なっ?!」
突如としてそれは起こった。驚きの声を上げたのはバスケスだけではなく、その場にいた多くの住民、それに港にいる帝国の軍勢も同様だった。
氷撃一閃──今まさに彼らの眼前で、海は一瞬にして凍てついたのだ。
「お、おい……何がどうなってやがるんだ……バスケス、お前の目にもちゃんと見えてるよな?」
「も、もちのろんっぺ……海がかっちんこっちんっぺ……」
白く凍りついた海には、氷の結晶と化した帝国の船が沈黙の中に取り残されていた。岩壁に係留されていた船でさえ、海に縫いつけられたかのように微動だにしない。
ガトリフは「よし。増援がないのなら、やれる……」と魔弓を手に立ち上がり、バスケスに向かって退避ではなく攻めの指示を出そうとした──が、
「此方におられましたか、バスケスさん」
急に背後から訊き慣れない声が置かれた。かたや聞き覚えのあるバスケスは慌てて振り返る。
「うぇ……えええー! ど、どうしてミサラさんがおられるんでえ?!」
「ん、ミサラ? それって……あの光の魔剣士、ミサラ・グレイシアスのことか?!」
バスケスの言葉でガトリフもどよめく。ミサラは苦笑いで首を傾げるが、その背後から覗いたもう一人の顔にバスケスがさらに驚愕する。
「なっ、ななな、ないごて、リ、リアナ様まで……」




