第47話 石像
「はあ、はあ、えらい目にあったぜ」
ザラクは頬についた埃を払い、「それより」と続けた。
「おっさん、さっきのは何だ? バジリスクに矢はきかないとか言ってなかったか?」
「ん? ああ、確かに言った。だがな、私は仕留めるのは至難といったまでだ。対抗する手段がないとは一言も言っていないぞ」
「あ~、ったく、ああ言えばこう言う」
ザラクは腕を組み、誇らしげに目を眇めたガトリフを嫌味で刺す。だがこうして、話し込んでいる場合ではなかった。バジリスクはあくまでも吹き飛ばされただけ。毒の粘液に守られた体はほぼ無傷のまま、彼らの元へと忍び寄っていた。
「君たち、無駄話は終わりのようだ。私が時間を稼ぐ、ここから急いで離れなさい」
「え、それじゃダメよ。今のままじゃ、この町自体が無くなっちゃうよ。騎士団だって来てないし。ねえ、どうして助けに来ないの?」
逃げろと告げたガトリフに対し、アーリナが訴える。ザラクもその横で同じ気持ちだと、顔を並べた。けれども、その返事を訊く間もなく、彼らに向かって鋭い牙を剥き出しにした蛇が襲いかかる。
「どけ!」
ガトリフは二人を突き飛ばした。彼は即座に蛇の牙を掻い潜り、腹側へと回り込んだ。そこから弓矢を三本同時に弦にかけて狙いをつける。
「喰らえ、三叉矢」
しなる魔弓。限界まで引き絞った弓から放たれた矢は、バジリスクの横腹へと眩い光とともに突き刺さった。これには蛇も堪らず「グギャアー」と、悲鳴じみた響きで闇夜を切り裂く。
「むっ? どういうことだ」
矢が腹に突き刺さったまま、その場から逃れるように顔を背けたバジリスク。ガトリフは追撃の手を止め、不思議に眉を顰めていた。
「おい、何で止めを刺さねえんだよ。きいてんじゃねえか」
立ち尽くしたガトリフの前に、ザラクが飛び込む。さらにアーリナも、
「ガトリフさん、刺さってたよ、矢」
そう言いつつ、慌てて駆け寄る。
「いや、どうも変だ。あれは紛れもなくバジリスクではあるが、前にここを襲った奴とは違う。おそらくはまだ子供。衝撃の魔石が発動せず、吹き飛ばす前に突き刺さるとは──成熟個体であれば、そんなこと、決して有り得ない」
ガトリフは言う。バジリスクにしては毒の粘液がまだらで薄い、それに、体が小さく、首元には魔石のようなものが光っていたと。しかもあれは、明らかな人工物。
「──ということは、あれはまだ子供で、誰かが魔石の首輪でもつけたってこと?」
「ああ。それもただの首輪ではないようだ。何やら瘴気のようなものが漏れ出ている。呪いか何かの類かもしれんな」
「んん? じゃあ、アイツ、誰かに操られてるとかか? 襲うように嗾けられてるとか」
「ああー!」
そのとき、アーリナはあることを目撃した。彼らの周囲にあった人の形をした石像と全く同じものを、一人の男が荷台の上から落としているのを。
「何してるの、あの人!」
彼女は思わず大声を上げた。気づいた怪しい男は動揺し、荷車を放置したまま、町の入口方面へと走り去った。
「おい、どうしたっつうんだ。誰かいたのか?」
ザラクが見たときには人影は消え、ガトリフも同様に首を傾げた。アーリナは、
「話は後、ガトリフさんはバジリスクをお願い。ザラク、行くよ」
と、彼女にしては的確な指示を伝え、その後を追った。
砂塵に黒煙が混じり合う中、アーリナとザラクは必死に何者かの姿を探した。けれども、この視界の悪さに加えて夜間、それに加えて逃げ足も速い。彼女たちは息を切らし、両膝を手のひらで覆って、「はあ、はあ」と顔を落とした。
「なあおい、だから何なんだよ急に。説明しろよ」
ザラクは言われるがままについてきたはいいが、訳も分からず、その理由を問う。アーリナは尚も答えず、「今は人影を探して」──が、そのときだった。
「アーリナ様あ~、ようやっと見つけたっぺよお。ガトリフ氏もおいを置いていくっぺからあ。そいよりおめえ、ないごて逃げる。いきなし殴りかかってきやがってよお、そいでも正義の騎士っぺがかあ?」
唐突に、彼らの前に現れたのはバスケスだった。その太い腕で、騎士の襟首を掴んで武骨に引き摺っている。
「あっ、バスケスさん、その人!」
「んあっ? ひょっとしてこやつ、アーリナ様の知り合いっぺ? そいならそうと──」
「違うの、その人が荷車から石像を落としていたの」
アーリナがここにきてようやく追跡理由をポロリとすると、ザラクは「石像?」と眉間に皺を刻む。
「アーリナ、石像って、そこらへんに転がってるあの人間のやつか?」
「うん、そうそう。この人がばら撒いてたのかな? でもなんで?」
アーリナは頭を悩まし、ザラクは横たわる石像に近づくと注意深く目を凝らす。バスケスは何がどうなってこうなっているのか、まあいいっぺ、で落ち着いていた。
「おいアーリナ、こっち来いよ」
さっそく、彼は何かに気づいたらしくアーリナを呼んだ。
「これって、人じゃなくてただの石像だぞ」
「ねえ、何で人じゃないってわかるの?だって、バジリスクに睨まれたら石になるんだよね?」
アーリナの疑問はごもっともだが、ザラクには確信があった。
「だったら何で、ここに印まで彫ってあるんだよ。これって芸術家の証だろ?」




