第43話 王都の魔物
「なるほどなあ」
ガトリフは引いた顎を指先で撫でつつ、アーリナの話に耳を傾けていた。当然、彼女なりにクルーセル家での置かれた立場についても触れてはいるが、決して全てを話したわけではない。
というのもこの男、ガトリフが、領主どころか貴族連中とも繋がりがあったとしたら、ここで話したことも交流の場で広まってしまうかもしれない。そもそも会ったばかりの他人に深く話すなど、危機管理もあったものじゃないのだけれど。
でもそうは言っても不思議なもので、彼の目や、話を訊く態度を見ていると、何故か自然と口をついて出てしまう。話しやすい雰囲気というか、聞き上手というか、はたまた大人の余裕ってやつ? 別に自己紹介と、魔力はない事実だけ答えればいいものを、何で家での立ち位置まで話しているのだろうか。
アーリナはこれ以上は──と、心の中で口止めした。
「んで、ここに来たっていうわけか。そんな状況じゃあ、親の目を盗んで外に出るしかないわなあ。だが残念だ、パルフェはここじゃあ食えないぞ」
慰めの眼差しでそう口にしたガトリフだったが、猛烈な勢いで迫ったアーリナの顔に、思わず「おあっ!」と体を仰け反らせた。
「な、ないってどういうこと?! だって、ここ王都だよね? 期間限定、あるはずよね?」
彼女が焦燥感に駆られるのも無理はない。だってそのためだけに来たんだもの、こんな遠路はるばる王都まで。だがそこは一安心、ないというのはこの自治区内での話であって、実際にパルフェが食せるお店自体は、アイセルバーグ自治区にあるということだった。
目的の場所は、アーリナたちのいるドレイク自治区から二つほど跨いだ先。だったら問題ない、横に突っ切ればすぐにいける、なんて思ってはみたけれど、実際はまた広場まで戻らなければいけないらしい。こんな奥地まで来たというのに殺生な……。
各自治区は広場から伸びる道で厳格に分けられている。自治区間はそれぞれ水路によって遮られ、容易に行き来できるものではなく、その理由はどうやら王城にあるらしい。
ここは王都バルムトで、ラーズベルト王国を統べる王が住まう地だ。当然、全てが開かれているわけでもなく、王城は特に警備も厳戒、その経路も複雑に閉ざされているようだ。
「王のいる浮遊城への道は、毎日のように入れ替わる。ここドレイクから行ける日もあれば、明日はアイセルバーグ、明後日はクレストファレンスからしか行けないってな具合にな」
魔石によって宙に浮いた王城と各自治区の間には、特殊な橋がかけられているとのことだ。けれど、その橋は、日ごとにどの自治区と繋がるかが無作為に選ばれる。たしかに決まったパターンでもないのなら、簡単に城へと辿り着くのは難しそうだ。
この国の制度上、たとえ王都であったとて国内にも敵は多い。ここさえ落とせば、領主から一転、一気に王へと成り上がれるのだから。
「ていうか、城って浮いてるの? すごっ。領主って王様と謁見することも多いんでしょ? どこと繋がるか分からないのに、どうやって行ってるの?」
「ああ、お嬢さんは初めてだったな。王と直接の謁見は滅多なことではないのだ。大抵はアイセルバーグ、クレストファレンス、エルムガレドのいずれかの区役所内にある王命室で、魔石を介して行われる。あるいは、王の側近でもある王国騎士団長レイハルクが、その間を取り次ぐ」
王を直接拝見した者など、ここ数十年誰もいないと、ガトリフはつけ加えた。さすがに側近は別だろうけど、国を統べる者が公にその姿をみせることがないなんて、本当にありえるのだろうか。そう思ってはみても、ガトリフが嘘をついている風には見えないし、騙したところで、何ら得もないだろう。
アーリナは首を傾げ、ザラクは「そういやあ、俺もあったことなかったなあ」と独り言ちる。
「ん? あったことがないとは、君は何者なのだ? 一介の料理人ではないのか? まさか王級とか言わねえだろうな?」
この発言にアーリナはギクリとした。ザラクが元領主の息子とか、なんやかんやと過去を掘り返されれば、巡り巡って自分のことまで詮索されてしまいかねない。
彼女は、「ああ~、昔料理修行に来たっていってたねえ」と、口が滑りそうなザラクに代わって返事をし、彼には口裏合わせと目で訴えた。
「んっ、ああそうそう、料理の品評会ってやつでさ、それに王様も出てくるかと思って楽しみにしてたんだが、来なかったなあって思いだしたんだ」
ふう~ギリギリセーフ、と、アーリナは手の甲で額を拭う。むやみやたらに自分たちの内情にまで触れられたくはない。ましてや隠密で来ているのに、両親の耳に入っても困るし、今後のことも考えれば目立つことだけは何としても避けねばならない。魔技大会だって、名前も顔も隠して出場するつもりなのだから。
ここで彼女は大きく話を変えることにした。丁度、思い出したのだ。アーリナたちが外で揉めている最中に訊いたあの言葉のことを。
「あっ。そういえばさっき、また魔物、とか言ってましたよね? またってどういうことなの?」
ガトリフは、虚を突かれたように目を丸く、「あれほどの事件を知らんのか?」と驚きを零した。
「事件?」
「家では、そこまでの軟禁状態なのか……。まあ知らぬからこそ、今日ここに来ているのだろうしな。言っておくが今、この町は危険だ。あれは帝国側が解き放った魔物。私とて、容易くは仕留められぬ」
北大陸の大国、ヴァイゼルシュタン。過去何度もこの国へ侵攻し、王都へ踏み入ったこともあったが、現ライアット候が国境を強固にしてからというもの、その波は収まっていた。
がしかし、それはあくまでシュトラウス領を経由してのことであって、直接海路を使っての潜入は今でも度々起こっているという。
そしてここ最近では、兵に代わって海を渡る魔物の数が増大。それも元々この海域に生息する魔物ではなく、明らかにヴァイゼルシュタンのさらに北方の海にしかいないものが多いとされる。中でも恐れられているのは、
「バジリスクだ。あの蛇だけは絶対に封印を解くべきではなかった。寄りにもよって帝国は、北の海に沈んでいた棺を引き上げ、化け物を解き放ちやがった」
「バ、バジリスク?!」
アーリナより先に震える声を上げたのはザラクだった。バジリスクといえば確か、前世でも映画とか何かしらでよく訊いた名前だった。彼女は「そんなに驚くほどなの?」と、額に皺を寄せた。
「ば、馬鹿かお前は、あのバジリスクだぞ? 伝説級の大蛇だぞ?」
「はぇ? また伝説なの? キュートリクスだったっけ? あれみたいなもん?」
「んんっ? よもやその名をここで訊くことになるとは……」
アーリナとザラクの話に、ガトリフが口を挟んだ。アーリナは「え、あ、うん」と苦々しい表情で答える。やってしまった、つい、余計なことを──彼女は唇を薄くし、眉を顰めた。
「ま、そうね、本で読んだ、かなあ。それよりその、バジなんとかってそんなに危ないの?」
アーリナはどうにか切り返す。ガトリフはどこか納得いかない様子で、
「あれは禁書でしか語られないはずだが……まあいい。とにかく彼のいうとおり、巨大な蛇だ。だがな、ヤツはその体を自在に変えることができる。大きさには限度があるが、棒切れ程度の長さにだってなれたりするんだ」
こう語り、その後も詳しく教えてくれた。




