第42話 七師
「君たち、何かあったのか?」
神妙な面持ちで、外のバスケスに尋ねる男。その様子を小窓からこっそりと覗き見たアーリナは、焦りを抑えつつ、
「モー君、早く小さくなって」
と小声で訴える。モーランドは口を結んでコクコクと頷き、大きく息を吐いて体を縮めた。
「ん? 馬車の中に病人でもいるのか?」
吐息の音に男が反応した。モーランドの変体は、腹の底から息を吐き出すし、結構響く。車内では大慌てで、小さくなった牛をこれまた小さなポーチの中へとぎゅうぎゅうに押し込んでいた。
「う、い、痛い……ア、アア」
漏れ出る悲痛な声。当然、これにはオーバーオールの大男も、「お、おい、大丈夫じゃねえだろ」と声を上げ、馬車のドアノブを力任せに掴んだ。
バンッ──扉は盛大に開かれ、
「はえぇぇー?!」「うおあー!?」
車内へと突き出した大男の険しい顔に、アーリナとザラクは絶叫した。これには男も動揺し、「落ち着け」と三又鍬を地面に置いて、両手のひらを上げ下げした。
「君たち、大丈夫か? まさかこの男に監禁でもされているんじゃないのか?」
男はそう言って、自身の背丈半分ほどのバスケスを見下ろした。
「そげなことやんねっぺ」
「じゃあ、これは何だ?」
当然、犯罪者に見立てられたバスケスは反論。胸をムンッと張り、顎を突き出して男の顔を見上げた。
「おいは送迎してるだけだっぺ。こちらはフィットリアのご令嬢アーリナ様だっぺよ」
バスケスは男に強気に言い放ち、アーリナは「はぇ」と呆気に取られてしまった。そもそも王都訪問自体が秘密のはずだった。もちろん彼にもそのことを伝えていたし、『わかってるっぺよお、ミサラさんからも口酸っぱく言われたっぺ』って感じに満面の笑みで答えてくれていた──にもかかわらず、この失態は何?
アーリナはムッと頬を膨らめ、バスケスの耳を抓むと、
「あのお、すみません。私たちは大丈夫ですので、少しだけお待ちいただけますかあ?」
大男に対しては、礼節を弁えた言葉を口にした。
バタン──馬車の中へとバスケスを引き摺り込み、扉が固く閉じられた。置き去りとなった大男は、「やれやれ」と後ろ頭を掻き、
「じゃあ、後でそこの宿にきてくれ」
こう一言だけ置いて、馬車を離れていった。
説教を終え、アーリナたち三人は宿屋の入口に立った。寂れた雰囲気のある町並み、というより寧ろ村。そんな立地からすれば、この宿屋は立派なほうだった。
夜風に靡く髪も冷たく、彼女たちは体をブルブルと震わせつつ、扉をぎいと古びた音を鳴らした。中には質素な木のテーブルが二つ、それに椅子が数脚。煙突が天井を貫き、暖炉は暖かな火を揺らして迎えていた。
アーリナとザラクは暖炉を見るや否や、急いで駆け寄り、
「はえぇ……い、生き返るわあ」
「ああ~、あったけえ」
手のひらを火に翳して暖を取った。その間にもバスケスは、カウンターに立つ先ほどの男に声をかけた。
「んだあ? おめえ、こん宿の主人やっぺか?」
「ああ。あの様子じゃ、俺の早とちりだったみてえだな。すまなかった。だがな、店の前であんな大声上げられちゃあ、誰だって飛び出しちまうだろうが」
大柄の男は素直に謝罪しながらも、苦言を呈した。バスケスは自前の髭を指先で撫でつつ、「すまねえっぺ。それはわいらの落ち度っぺ」同じく頭を下げた。
彼ら二人が話をし、アーリナたちの身体が温まった頃、男が暖炉前のテーブルへと温かい飲み物の入った容器を並べ、「さあ、こっちだ」と勧めた。
椅子を引き、アーリナとザラク、それにバスケスと宿屋の主人が四人で座る。それぞれが飲み物を片手に、改めての挨拶を交わす。
はじめに素性がバレてしまったアーリナ、続けてザラク、バスケスが言葉を置いた。
「ああ、よろしくな。俺はガトリフだ。この宿『七本の矢』をやっている」
青いデニム地のオーバーオールを着た大男の名は、ガトリフ・エイモール。焦げ茶の短髪に無精髭。琥珀色の光彩がどこか神秘的だが、片眼は古傷があり閉じている。机の上に置かれた両腕は丸太のように太く、自分の宿に入るときだって、入口を屈んで入るほどの巨躯だ。とても同じ人間とは思えない。
宿屋を始めて早数十年。元々は魔猟師で生計を立てていたとの話で、これにバスケスが、
「ガ、ガトリフって言ったっぺ? も、もすかして……あ、あの七師の一人やっぺ?」
と羨望の眼差しで食いついた。ガトリフは、バスケスのあまりの豹変ぶりに唇の端を引き攣らせながらも、「七師?」と首を傾げるアーリナとザラクへ分かりやすく説明をした。
王都バルムトには、アイセルバーグ・クレストファレンス・エルムガレド・モンタレス・ラウリード・ドレイク・ルミタスと呼ばれる、七つの自治区が設置されている。
王都入口にあった広場、あの場所で見た複数に枝分かれした道こそが、各自治区への入口になっていたらしい。そしてアーリナたちのいる現在地は、ドレイク自治区であり、主に貧困層が多く集う地域のようだ。
とここから、話を七師へと繋げると、要は七つの自治区があり、それぞれに腕の立つ魔猟師が存在していたという単純な話だ。中でもこのガトリフは、歴戦の魔猟師の中でも群を抜いた実力を持ち、今なお彼のことを伝説と呼ぶ声も決して少なくはなかった。
バスケスは魔猟師の一人として、そんな彼を心から尊敬し、今まさに恋焦がれた少年少女のように瞳を爛々とさせていた。
「でもさ、何でそんなに好きなのに、顔も知らなかったの?」
アーリナは首を傾げて彼に尋ねる。すると、バスケスは両手のひらを上に向け、
「アーリナ様、ガトリフ氏はまさしく伝説。押し寄せるヴァイゼルシュタンの騎馬隊相手に、一撃の魔矢でその全てを薙ぎ払った。怪物そのものだっぺよ」
氏?って、何? いきなりのオタク文化再来? まあいいわ。とにかく、何ら答えになっていないけれど、凄いことだけはわかる──アーリナは「へえ~」と目を細めて相槌を打った。
「ところで、俺からもいくつか訊いてもいいか?」
今度はガトリフが質問をはじめた。手のひらを組んで頬杖をつき、その眼は真剣さを増していた。
アーリナはなぜかゴクリと喉を慣らし、背筋に緊張を走らせた。ひょっとして、あれを訊かれる?──彼女の予想は見事に的中し、
「失礼を承知で伺うが、貴方があのクルーセル家の長女、噂の──」
そう、噂のそれです。おそらく彼は、クルーセル家という名を知っているのだろう。現最強と目されるシュトラウス領に対抗できるだけの魔力を持った領主。その娘にもかかわらず、魔力のない長女が生まれたということは、領主間では特に有名な話だとも訊いていた。
(まあ、結構凄い人っぽいし、領主との繋がりもあるはずだから、知ってるのかも)
正直、ここで否定したところで意味はないだろう。だって、じゃあ何者?って扱いになるし、もうすでにバスケスが口を滑らせてしまっているし──アーリナは眉を顰めつつ、正直に、自らの身分を明かしたのだった。




