第37話 冒涜者の決意
斧神ラドニアルを手のひらに浮かべたアーリナと、不思議に眉を歪めたリアナ。アーリナは「実は、ね……」と気まずそうに唇の端をひくつかせ、
「わ、私ね、昔、ミサラと実験をしたの」と話を切り出した。
「実験、ですか」
「うん。でね、その結果、この精霊さんが生まれてきちゃったの」
「は? それが精霊?」
精霊とはあらゆる属性を司る信仰の象徴。火の精霊や水の精霊と言った感じで、ある意味この世界での神に近しい存在だが、書物によっては人工的に生み出されたというお伽話まであったりする。
この世に存在する草木や水、石ころなどからの自然属性の抽出、その混合精製の過程で、稀に妖精と同等の性質を持つエレメントが誕生するという話──アーリナは、以前に読んだ本の記憶を思い起こしていた。
ただ一つ、この内容には大きな問題もある。
「冒涜……。仮にそれが人の手によって生み出された精霊だというのならば、あなたは一体何ということを。冒涜者の烙印を、我がクルーセル家に焼きつけようというのですか!」
そう、神と並ぶ存在を生み出すことなど冒涜以外の何ものでもない。けれど、そんなことより信じてもらえるかのほうが問題だった。
まさかここまで……。冷静に考えればそんな話、空想の産物でしかないと思うのだが、やはり相手はまだ幼い子供だ──アーリナは脳裏にかいた冷や汗を、安堵の布の拭った。
まあ目の前に光の球が現れてこんな話をされれば、それはもはや世迷言ではないのかもしれないけれど。
「で、でもね、態とじゃないんだよ。私だって分かってるの。これが周りにバレたりでもしたら、お父様の立場も危うくなる。だからこうして長年、隠し続けてきたんだ」
手のひらで光るラドニアルには「喋るなよ」と暗黙の視線を鋭く突き刺し、とにかくこの場を精霊逸話で乗り切ることを心に決めた。
「……」
無言のまま下唇を噛み締めたリアナを見ていると、すっかりこの話を信じ込んでいるようだ。破れかぶれで言ってはみたけれど、本当に助かった。こうなってしまえば、わざわざ領主家の名に傷がつく行為を自らするはずもない。他言などするはずもないのだ──優勢とみたアーリナは、ここからさらに畳みかけた。
「ねえリアナ。このことは誰にも知られるわけにはいかないの。たとえお父様やお母様にだって、ね」
「い、言えるわけがないでしょう。だいたい何なのですか、精霊なんてどんな実験をしたら生まれるというのですか。そもそも人が生み出せる精霊なんて、王都の叡智を注ぎ込んだとしても限りなく不可能。奇跡ですよ、奇跡──っていえ、これは愚かなる邂逅なのです」
リアナは前歯をギリギリと噛み、眉間に険しさを寄せた。いつもの冷静かつ怜悧な彼女の姿は、もうこの場にはなかった。よもやここまで真実味を与える話だったとは、童話ながらにおそるべし、ありがとう精霊たちよ。
それはさておき、ここまで信じきった彼女が誰にも言えるわけがないことは初めから分かっていた。というのも精霊には、ある迷信までついて回っているのだから。
──精霊とその生み出し者。この絆を他言した者は、精霊によって命を刈り取られる。
ある意味、恐怖映画の様相まで呈した話は多くの童話で語られていた。リアナがどの話を読んでいたかは定かではないが、アーリナが持っているいくつかの本には共通して書かれていた。
リアナは口を閉じたまま、カタカタを歯を鳴らした。精一杯の平常心を装いながらも内面では、恐れを抱いているのがはっきりと分かった。きっと、彼女が読んだ本の中にも同じことが記されていたのだろう。
「それで、あなたはどうなさりたいのですか?」
しばらくして、落ち着きを取り戻したリアナとこれからについて話を進めていた。偶然にも精霊を生み出してしまったことに対する今後のこと。アーリナは領の外がどうなっていて、家族の他領への遠征が次はいつになるのか。魔技大会の件についてどう向き合っていくつもりなのか。これらをどのようにしてリアナから聞き出そうかと、頭の中で作戦会議を繰り広げていた。
「──というわけで、とりあえず精霊さんのことはこのまま屋根裏の秘密として、実はね、私聞いちゃったの。魔技大会のこと……」
「そう、ですか」
結局のところ、回り回って直球で訊いてしまった。一応は家族なんだし別にいいかなって。リアナは意外にも驚くことなく、真剣な眼差しをこちらへと向けた。
「あなたはどの程度、現状についてお知りになるのですか?」
「まあちらっと話を訊いただけで、そんなに深いことまでは。お父様もお母様も、それにリアナ、貴方だってこの家でそんな話はしないじゃない」
「ええそうですね。所詮、あなたに話したところでどうにかなるものでもありませんから。魔技大会には私たち家族三人で出場します。あなたは何も考えず、ここに居ればいいのです。足手まとい、なのですから」
そう言って、リアナは氷のように冷たい瞳をゆっくりと外し、アーリナは「家族三人、ね……」と寂しげに肩を落とす。
私は家族にとっての爪弾き者──そんなことは生まれたときから分かってる。それでも、面と向かって言われるとやっぱり心にきてしまう。自分だけが家族じゃないって、そう改めて突きつけられているようで胸が痛むんだ。
たとえこの先、領地を奪う強い信念を抱いていたとしても、こんな想い、あと何度噛み締めることになるのだろう。
「そうだよね、わかった……。ねえリアナ、最後に一つ、訊いてもいい?」
「一つ? もうすでにいくつも訊かれておりますが、まあいいでしょう。それで何なのです?」
アーリナは彼女と語り、普段、醜悪な目を向ける父と母にはないものをリアナからは感じ取っていた。だからこそ、最後に確認したかった。本当に敵なのか。アーリナは彼女の本心を知りたくなったのだ。自らの決意を真に固めるために。
「リアナ、貴方は心から私のこと、嫌いなの?」




