第34話 光と闇の始動
「喰らえー!」
ザラクは二刀の短剣を振りかざして、モーランドへと飛びかかった。順手に持った右を振り抜き、避けられた瞬間、身体を回転させて逆手に持った左の短剣の突きを放つ。
モーランドはニヤリと笑みを浮かべ、その巨体からは想像できぬほどの速さでザラクの攻撃を次々と躱した。
「モハッ、遅い、遅すぎるぞ! そのような鈍重な動きでは、我に掠り傷一つつけられぬわ」
手ごたえがまるでない。空を斬ってばかりの自らの短剣に、徐々に苛立ちを覚えたザラクは、「くっそお~、何で当たんねえんだよ」と悔しさを風に流した。
モーランドは口に手を当て大きな欠伸をしながら、態と擦れ擦れで避け、人差し指と親指だけで把持できるほどの小さな斧を取り出した。
ブンッ、ペチッ、ブンッ、ペチッ、ブンッ、ペチッ──ザラクの持つ短剣よりもはるかに極小の斧。まるでミニチュアのような斧が、彼の空振りに合わせてペチペチと頬で音を鳴らす。
そのあまりにふざけた反撃に、ザラクは眉間を脈打たせ、
「ああ~もう、ふざんじゃねえ! 少しは真面目にやれよ。どっから持ってきやがった、そんなオモチャ」
と怒りを露わにする。
かたやモーランドは緩んだ口元を引き締め直し、研ぎ澄まされた眼差しで、さらにペチペチを加速させた。
「く、くう~、顔だけ真面目気取ってんじゃねえよ!」
そんな彼らから少し離れた場所では、アーリナもまた、ミサラと共に修行を始めていた。
「アーリナ様、その調子です」
ミサラは華麗な剣捌きで、アーリナの斧を連続して左右へと受け流す。響き渡る鋭利な金属音と、直後に飛び散る激しい火花が二人の周囲を華々しく彩る。
以前とはまるで違う──ミサラは絶え間ない彼女の攻撃から、確かな手ごたえを感じ取っていた。
「こ、これは……」
ミサラは思わず驚嘆した。アーリナの斧は徐々に輝きを増し、斬りつけるたびにその斬撃痕が、眩いばかりに大気中へと刻まれていく。まるで流れ星の残した流星痕のように。
ミサラはその眩しさに目を細め、
「これは厄介ですね。どうやらダメ―ジ効果はなさそうですが、視界を妨げられる。腐っても神器ということですか……」
そう独り言ちりながら、光と光の僅かな闇に神経を集中させた。
アーリナの攻撃によって宙に残る輝線は、その光によって彼女の姿をも攪乱する。眩い帯でアーリナを隠し、その光の切れ目からは突風のように斧の刃が牙を剝いた。
ブォン!──ミサラの頬を掠めて、斧刃が下へと通り抜けた。だが、これは読み切っていた。彼女は一糸乱れず、洗練された動きで躱し、同時に背中の鞘へと剣を収めた。そして踏み込みながら、抜刀からの光速の兜割りを叩きこんだ。
「はい、一本です。アーリナ様、これで五本目ですよ」
彼女が放った一閃は、アーリナの頭上で寸止めされ、その後、ポムッと弾むように優しく降ろされた。
アーリナは「ふうわあ~、また負けた……」と力なく肩を落としながらも、手に持ったラドニアルに不満を零した。
「ねえ、どうして? 神様ならもっと強いはずでしょ? 本気を出してよ、本気」
頬をプクッと膨らませた彼女に、斧神は刃についた口を大きく開き、「それは予の台詞だ」と切り返した。
「何度言えば分かる? 予の力を引き出せるかどうかは、全てお前次第だ。そっちこそ本気を出せ、この戯けが」
「き、貴様~! アーリナ様に向かってそのような愚弄、断じて許さぬぞ」
ラドニアルの返事に、アーリナに代わってミサラが噛みついた。斧神相手でも全く躊躇のない彼女にとっては、アーリナこそが神。そう言わしめるほどの気迫が斧神へと向けられていた。
「まあまあ。とりあえず休憩しよっか、ミサラ」
ここは私が落ち着くしかない。アーリナはいがみ合う彼らを宥め、木陰に入って腰を下ろした。
ここは魔晶の森中央部。ミノタウロスの支配領域であるダンジョン入口に広がったこの場所は、彼の魔法結界によって周囲とは隔絶されており、何人たりとも許可なく踏み入ることはできない。
そのお陰もあって人目に晒される心配もないし、ここでなら、思う存分斧を振るえる。もちろん魔力だってそう。外部に漏れることもなく、放った魔法もこの結界がしっかりと吸収。これぞまさしく完全なる魔法障壁──のはずだったが、彼らはまだ気づいてはいなかった。
すでにアーリナの力を狙い、世界の闇が着実に動き出していることに。
◇◆◇
コンコンコンコン──「入れ」
静けさの中、扉を打つノック音とそれに命じる男の声が響いた。
豪奢な木製扉をガチャリと開き、深々とお辞儀をした一人の剣士らしき男。胸には藺草を編んだような浪人笠を当て、黒い軽量の胴丸に真紅の袴姿。
そんな彼を迎え入れたのは、大きな黒曜のテーブルに両肘ついたジェルドマンであった。
「ライアット候、只今馳せ参じ候。帰還が遅れ面目次第もござらぬ」
「わかったわかった、お前は相変わらず重苦しいな。長旅、ご苦労であった。先ず、私の要件の前に報告から訊かせてもらおうか。彼の地はどうであった?」
男の名は、ヴェルモンド・ユーグリアス。ヴェゼナ領領主の一人息子であるが、その類まれなる刀剣の才を見込まれ、現在はジェルドマンが側近として重宝している。
彼の父であるヴァトスは過去、シュトラウス軍の敗北を理由にして、ジェルドマンに対し同盟破棄を突きつけた。
その後、魔力を取り戻し、復活を遂げたジェルドマンは、単独でヴェゼナ領を訪れ、何の前触れもなく多くの兵士を虐殺し、『血を以て贖え』とヴァトスに詰め寄ったのだ。
雷光迸る杖をヴァトスの頭に振り下ろそうとしたそのとき、両手を広げて庇うように彼の前に立ちはだかったのが、まだ15歳という若さのヴェルモンドであった。
ジェルドマンを見据えた切れ長な瞳。長い黒髪を情熱迸る赤い組紐で結い上げた精悍な顔つきは、今でもハッキリと憶えている。
『ライアット候。どうか……どうか刃をお収めいただけませぬか。我が父の非礼は、御身を以て如何様にも償いたく候、ですからどうか……』
誰もが畏怖するほどの強大な魔力を解放し、無機質で冷酷な魔物のような目で見下ろすジェルドマンを前にしても、彼は一切たじろぐことがなかった。
『ほう? お前は父とは違い、よい目をしておるではないか』
ヴェルモンドは若年でありながらも、剣術に優れ、王国騎士団への推薦状を得るなど、現王国騎士団長レイハルク・ロンギヌスからも一目を置かれる存在でもあった。
当然、ジェルドマンがそのことを知らぬはずもなく、彼がヴェゼナ領に執着していた理由も、実のところ、幼少の頃より彼の才に一目を置いていたことに他ならなかった。
ジェルドマンにとって、多くの兵や民など所詮は塵芥。自らの足下に平伏す、愉悦のための賤民でしかなく、彼はその弱者を捻じ伏せる力のみに耽溺する。
ジェルドマンは杖を地面に突き立て、声高らかに笑い、
『フハハハハ、いいだろう。お前が私に仕えるとここで誓うのならば、ヴァトスの命はしばし預けようではないか』
その後、ヴェルモンドを従え帰還した彼は、シュトラウス軍幹部を屋敷へと召喚し即刻体制を一新──ここにラーズベルド王国が誇る王国騎士団と並ぶ双璧、四闇刃を発足させた。




