第29話 仲間割れ
アーリナが驚くのも無理はなかった。目の前には服はボロボロだが、あれだけの深手を負ったはずのザラクが元気に立っていたのだから。
「え、えっ、え~! ど、どういうこと? 肩は? あんなに血が出てたのに、死ぬかと思ったのに、どうして?」
「は? お前ひょっとして、俺に死ねと?」
「ち、違うわよ! どれだけ私が君のことを心配して──」
「へえ~、そうなんだあ~。お前、心配してくれてたのか。そうか、そこまで俺のことを。だがな、聞いてくれ。俺はガキには興味ねぇんだ──悪いが、惚れんなよ」
「だ、だ、誰が惚れるか! ヴァーカ!」
すかした言葉を並べたザラクに、彼女は頬を膨らめ反論、両手を振って足をダンダンと踏み鳴らした。
「おまっ! いきなり人にバカとは何だよ!」
「バカに『ヴァーカ』って言って何が悪いのよ!」
互いに顔を寄せてイ~ッといがみ合っていると、ドタバタと忙しない足音が彼らの耳を打った。
「アーリナ様! 大丈夫ですか? お怪我などしてございませんか?」
「ええーい! キュートリクス! 我が愛し、いや、敬愛するアーリナ様に何たる横暴を。いつもの慈悲深き我だと思うなよ。その体切り刻んで、細切れにしてくれるわ」
必死の形相で駆け寄るミサラとモーランドを前に、アーリナはザラクを突き放すと、後頭部をポリポリと掻きながら、苦笑いを浮かべた。
「よかった、ミサラたちも来てくれたんだ。あと、そのね、モー君……。探してるヤツなんだけど、もういないの」
「モ? それは一体どういう──」
「ええとお~、真っ二つになっちゃった。ごめんね! てへっ」
「……」
彼女の言葉は現実の縁を越え、その場の時を凍りつかせた。彼らを包んだ静寂の間は、自らの鼓動だけが響く帳へと変わった。
かたや、ザラクは自慢の短剣をブンブンと振り回し、俺がやったと言わんばかりの猛烈アピールをしだした。だが、モーランドとミサラの目には彼の姿など一ミリも映ってなどいない。その瞳の奥にあるのは、全身を蒼く染めたアーリナの姿のみであった。
それから程なく、顎が外れるほどの二人の驚声が凍りついた時を打ち砕いた。
「え、ええー!」
「モハーッ!」
伝説とも呼べる、古の魔物を真っ二つ──それは俄には信じ難いものであったが、アーリナの背後に転がるものは紛れもないソレ。キュートリクスの亡骸に間違いなかった。
「え、あ、いや、いいんです! そんなことより、お怪我は──」
瞬間的に意識が飛びかけたミサラだったが、どうにか我に返り、すぐさま彼女の体を入念に確認した。
「くすぐったいよお~、ミサラ。大袈裟だって。この通り、大丈夫なんだから」
「そのようですね。多少の擦り傷はございますが、この程度であればすぐに私の魔法で──」
ミサラはそう言って右手を光らせると、アーリナの小傷に優しく触れた。彼女の顔や手足にあった擦り傷は一瞬にして消え、痛みどころか疲れさえも取れたかのような感覚がアーリナの全身を包んだ。
「これで良しです。さあ、早く外に出ましょう。まずは、お着替えをなさらなくては」
「うん。ありがとう、ミサラ」
ミサラは彼女の感謝に笑みで応え、優しく手を取ると、出口へ向けて歩きはじめた。一方、モーランドはあまりの衝撃に空いた口がいまだ塞がらなかった。自らの顎を両手で何とか戻した彼は、ガチガチと奥歯を噛み締め、「やれやれ」と安堵する。
「しかし危なかった。アーリナ様の雄姿に漏らすとこであったわ。して、ザラクよ。我が試練のことだが──」
モーランドは滴る汗を拭いながら彼の前へと立った──が、当のザラクはといえば、全身から滲み出る怒りのオーラとともに、積もりに積もった不満を牛に向けて爆発させた。
「こ、このバカ牛男が! 危うく死ぬとこだったじゃねえか! 何なんだよ、この試練はよお。まだ修行すらしてねえし、武器だって扱えねえ、なのにいきなりこれかよ。だいたい誰がお前の弟子になりたいなんて言ったよ。俺は降りるぜ、死んじまったら元も子もねえ。それに──」
ガッ!──モーランドは手に持った斧の刃を地面に突き立てた。彼はザラクの不満の波を断ち切り、「おい人間、我を愚弄するのも大概にしておけよ」と凄んだ。
ザラクは彼の気迫にたじろいでしまったが、踏みとどまって負けじと続けた。
「お前こそ、人の命を弄んでんじゃねえよ」
「我が人間を弄ぶ、だと? ふんっ、くだらぬ。では言わせてもらうが、アーリナ様は特別な方なれど、多くの人間は魔物を家畜のように見ておるではないか。お前達人間のほうこそ、我らの命を弄ぶ、愚かな生き物に違いはなかろうが?」
これまでの彼らはバカップルばりの仲良しムード全開であったが、現在は真逆。眼光で火花が散りそうなほどバチバチに睨み合い、互いに一歩も引かない状況となっていた。
◇◆◇
その頃、少し離れた場所で、アーリナとミサラはラドニアルを交えて話をしていた。
「ねえラドニー。斬ったら仲間になるって話ってどうなってんの? 全然違ったじゃん」
「はあ~。ま~た、予に責任を押しつける。最後まで話を訊かず、身勝手に振る舞うお前が悪いのだろうが。少しは反省というものを覚えたらどうだ?」
「そうですよ、アーリナ様。話も聞かず、先走ることだけはお止めください。このような愚神に賛同する私もどうかしておりますが、一理ございます」
「ミサラ、お前は相変わらず失敬なヤツだな。予を愚神呼ばわりとは。この冒涜者めが」
「冒涜者? いいえ、私は信心深いのです。特に剣神ソドア様。貴様こそ、ただ飯しておきながら、もっと私を敬ったらどうだ?」
「何がただ飯だ。食事は予への奉納品。お前がそのような考えでおるから、アーリナの非礼が続いておるのだぞ。まさに、お前の写し鏡そのものであるな」
「くう~、言わせておけば」
ミサラは腰に佩いた剣を抜くと、地面でぴょこぴょこと跳ねるラドニアルに向けて力強く振り抜いた。
ガギッ──怒りに任せて振るった剣を、斧神はその刃で受け止める。
「おのれ、小娘め。予に剣を抜くなど何とも無礼千万な。ミサラの分際で、明日には思い知らせてくれる」
「明日? 何を馬鹿なことを──今、だろ?」
刃を交える二人を前に、アーリナは「まただよ」と呆れたように両手を振って、その場を流して話を進めた。
「もういいからさ、で? どうしてアイツ死んじゃったの?」
ところが、彼女の言葉は空を切った。ラドニアルはアーリナの声には耳も貸さず、眼前のミサラの挑発のみに口を尖らせた。
「今だと? 予を甘く見るでないわ。その程度では刃こぼれ一つさせられぬ。それに猶予を与えてやるのは予の優しさ。お前が己が無力さに打ちひしがれぬようにな」
「ったく、神というより紙のように薄っぺらい心遣いには感謝するよ。まあ、減らず口だけは神業だが」
「予を紙きれ扱いするとは。ええーい! そこに直れ。その首今すぐにでも刎ねてくれるわ!」
続けられるミサラとラドニアルの不毛な争いに、アーリナの目尻は脈打つように唸りはじめていた。
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