第25話 即断のアーリナ
鼻息を荒く、ザラクとの距離を素早い動きで詰めていく古の魔物キュートリクス。
このエリアから抜け出すためには、おそらくこの奥へと続く石畳の通路を進む以外に道はない。
ザラクは何度も隙をみては走りだそうとした。けれど、まるで心の中を読まれているかのような魔物の動きに翻弄され、彼自身、思うようには進めなかった。
烈火の如き乱撃が辺り一面に砂埃を巻き上げる。ザラクも必死に追撃を躱してはいるが、立ち並ぶ多くの石柱は魔物の槍による鋭い突きで穿孔され、今にも倒れそうだった。
アーリナは防戦一方の戦況にハラハラしつつ、モーランドに尋ねた。
「ねえ、モー君。あの柱、ヤバそうなんだけど……。これって、大丈夫? 崩落したりしない?」
「ええ、そうでございますね。一、二本程度であれば問題はないかと思いますが、それ以上ともなると崩落の可能性は十分にございます。いやはや、怪我は大したことはないでしょうが後片付けのことを考えると、今から溜息がでますな。モハハハ」
「はえ?」
彼の返事は、アーリナにとって軽く流せるものではなかった。ミノタウロスにとっては片付け程度のことでも、人間にとっては決してそうではないからだ。
天井が落ちれば、その下にいる者は確実に死ぬ──魔物と人間の大きな価値観の違いに彼女は唖然とした。かたや、彼は顔色一つ変えずに平然としたままだった。
「いやいやいや、後片付けなんかどうでもいいよ。天井落ちたりしたら、ザラクの命が危ないじゃん! あの感じじゃ逃げれそうにないし、どうすんのよ、これ?」
「まあまあ、落ち着いてください、アーリナ様。キュートリクスに捕まらぬ限り、この試練に命の危険はございません。仮にここで瓦礫の下敷きになったとしても、彼の体格ならば隙間を縫って抜け出せるでしょう。それに崩落によって多くの死角が生まれます。きっとこの窮地を脱する手助けともなりますよ」
モーランドの答えは、到底理解の及ばぬ境地であった。一度天井に潰されてから這いずって脱出? 何言ってんのこの牛。押し黙り、静かに耳を傾けていたミサラも、これには口を挟まずにはいられなかった。
「おい、モーランド。貴様、正気か? 魔物がどうかは知らんが、人は死ぬぞ。あんな天井の下敷きになれば、跡形も残らない」
彼女の言葉にモーランドは、あたかも初耳のように驚いた顔を見せた。
「そ、そうであったのか……。てっきり、我は大丈夫なものと。人間とはそれほどまでに脆いものだったとは。確かに思い返せば、我が部下の一振りでも容易に顔が潰れておった気が……。う~む」
「そんな下賤な回想などどうでもいい、時間がないんだぞ。それでどうするんだ? このままでは試練どころの話ではない。キュートリクス以前に岩に潰されるぞ!」
ミサラとモーランドは頭を抱えて腐心する。猶予がないことは分かっている──だが、考えずにはいられなかった。彼らが悩むのも、相手がキュートリクスであることに他ならない。
たとえすぐに救援に向かったとしても容易に倒せる相手ではないからだ。それに、戦いが激化すれば天井の崩落を早めてしまうことにも繋がる。無策で突っ込んでどうにかなるものではないということを、この場の二人は理解していた。
ただ、一人を除いて──。
「アーリナ様?」
ミサラがアーリナの方を振り向いたときには、すでに彼女の姿はなかった。座っていた椅子は無人のまま、風に揺られてキィキィと侘しい音を鳴らしていた。
「えっ? アーリナ様?! どこですか? どこにおられるのですか?!」
彼女は慌てて辺りを見回した。深い思案に落ちていたモーランドも、さすがに気づき声をかけた。
「一体、どうしたというのだ? ミサラよ。何か……、いや、アーリナ様? アーリナ様はいずこに?!」
「だから、それが分からないんだ! 貴様も探せ、モーランド!」
アーリナが忽然と姿を消した。ミサラとモーランドが血眼になって探すも、どこにも見当たらない。
モーランドは眉をひそめて口を開いた。
「もしや、ダンジョン内に入られたのでは……」
◇◆◇
「まったく、あの二人は。こういう時は『考える前に動け!』って言ってやりたいわ。あんなにうだうだ考えてたら、間に合うものも間に合わないわよ。ね、ラドニー? あなたもそう思うでしょ?」
モーランドの予想通り、アーリナは彼らが口論している間にもコッソリと抜け出し、ダンジョン内部へと入り込んでいた。
「アーリナ、ようやく予を呼んだかと思えば、ここは一体どこなのだ……」
「だから説明したじゃん。というか、どうせ初めから覗き見してたんでしょ? だったら分かってるはずだけど」
「誰が覗いておるだと! 予がそのような無粋なことをするわけがなかろうが。とはいえ、ぐだぐだと言わずとも粗方は分かっておる。して、キュートリクスか……。懐かしい名だ」
アーリナは右手に斧神ラドニアルを持ち、走りながら現状について説明をしていた。
「ほ~ら、やっぱり。大体分かってるなら覗いてたんじゃん」
「ええい! こざかしいわ。それでお前はどうしたい? ヤツを斬るのか?」
「え? うん、そのつもりだけど。ラドニーならできるでしょ?」
「無論、答えるまでもないが、お前の方こそ覚悟はできておるのか? 簡単にはいかぬ相手だ。それに斬れば──」
「そうそう、斬れば仲間になるんだよね? 」
以前目を通した、世界魔装具図鑑。そこに記されていた〝断ち切った相手を支配する力を持つ〟という言葉が、アーリナの記憶に深く刻み込まれていた。
「ああ、確かにそうだ。だが──」
「やっぱりそうなんだ、最高じゃ~ん! 命を奪うわけじゃないならどんどんやっちゃおうよ!」
「だからアーリナ、その前に予の──」
「あ、あそこだ、もうすぐ着くね。ラドニー、臨戦態勢だよ!」
「いいか、予の話を──」
「よ~し、張り切って行っちゃおう! 」
ラドニアルの伝えたかった言葉は、最後の最後まで訊き遂げられることはなかった。
アーリナは心が躍っていた。魔技大会に挑むこと以上に、これから多くの仲間を得て、必ず自分の領地を手に入れる。
その第一歩が今、始まったことに。
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