第20話 リアナ・クルーセルと執事レイン
リアナ・クルーセルは疲れていた。大人たちに混じっての交渉など、難しい話ばかりに身を置く日々に。
今日も早くから親睦会が執り行われており、歳の近い他領のご子息らも多く参加している。とはいえ、こちらからは特段話すこともなく、口を開けば表面だけのくだらぬ世辞の応酬には冷めた眼差しで応えるほかなかった。
リアナにとっては、こうしてレインと二人、喧騒から離れて体を動かしているほうがよほど心地がよかった。それに、彼女には果たさねばならない目的もある。
「リアナ様、よろしいのですか? せっかくのパーティーですよ?」
「ええ、構いません。あのような大人に毒された子供と話をしたところで、何が得られましょう? それに今のままでは体も鈍ってしまいますし、そろそろ、あなたにも私に倒されて欲しいですしね」
「フフフッ、ご冗談がお上手になりました。私も堅苦しいパーティーよりもこちらのほうが性に合っておりますので、お相手は構わないのですが。ただクルーセル家執事として、次期当主が長い時間席を外すことをお許しするわけにもいきません。ですので、早めに戻ることにいたしましょう」
ここはフィットリア東部に隣接するドーランマクナ領。領主ルゼルアが主催する社交パーティーが行われる中、彼女たちは『魔闘館』と呼ばれる魔法の訓練施設を訪れていた。
「では、長話は無用です。さっそく始めましょう」
「はい承知いたしました、リアナ様。でもここって、す、凄いですよね? 空は青く、風に乗った草木の匂い、それにこの岩も土埃も、とても屋内なんて……うん? ほお~、なるほどお~、あの壁に埋め込まれた魔石で環境を変えているのですか。そうですか、そうですか。ということは、あれは合成された──」
「ふう~」
魔闘館の設計に興奮し心躍る彼女の声に、リアナの呆れた溜め息が重なる。その様子にレインも気づき、「も、申し訳ございません、つい」と後ろ頭をポリポリと掻き苦笑いを浮かべたかと思えば、すぐに緩んだ頬を引き締め直した。
「では、気を取り直しまして──吹き荒べ風よ、茨の如き刃を舞て、彼の者に突き立ち狂い咲け、 風棘刃」
クルーセル家の執事レイン・ルックウッド。エルフの出であり、風の魔力に長けた彼女は、次代の領主となるリアナを守る盾としての役割をも担っている。
「初っ端から上位魔法ですか。容赦がないのもあなたらしいですね」
リアナは怜悧な眼差しで彼女を見据え、レインは唇の端をニヤリと吊る。
魔法とは知識と感覚の融合。歴史ある魔法書に綴られた古代文字を読み解き、各々が思い描いた詠唱によって発動すると、術者の目の前に幾何学的文字の羅列となった『魔法陣』が現れる。
そして、その文字の一つ一つに神経を研ぎ澄ませ、解放された魔力を注ぎ込むことで、大いなる力を発現させるのだ。
レインの周囲を吹き荒ぶ深緑の魔力が、あらゆる方向から吹き込む風となりて互いを研磨し、まるで薔薇の棘のように細かな風刃を無数に生み出していく。
命の息吹すらも感じられる数多の棘。それらはレインの姿を覆い隠すまでに膨れると、今度はその尖端をリアナへと向けた。
「さあ、リアナ様。鬼ごっこの時間です」
彼女の声を合図に、一斉に放たれた棘の群れ。だがそれでもリアナは動じなかった。迫りくる無数の棘をただ見つめるだけの彼女。その姿にレインは、不安ではなく違和感を覚えていた。
前回までとは明らかに雰囲気から違う──レインは自ら放った魔法の後を追って距離を詰めると、眉を顰めて目を凝らした。
「あ、あれはまさか──」
彼女はその視線の先に驚愕した。憂いすらも感じさせる冷ややかな瞳に浮かんだ、小さな魔法陣。瞳孔を一周するように青白い光が時計回りに宿ると、リアナの前面が一瞬にして凍りついた。
レインが放った数えきれないほどの棘は彼女の瞳で凍てつき、氷の壁に閉じ込められたのだ。
この光景を前にしたレインは声を震わせ、「リ、リアナ様はまだ7歳ですよ、無詠唱魔法なんて、あり得るわけが……」と半ば怖れに満ちた目で彼女を見た。
そこへリアナも視線をぶつけ、レインに対し右手を翳すと、
「──氷結槍」
と、流れるように反撃にでた。
眼前の凍てついた大気の壁は彼女の言葉で渦を巻き、ドリルのように回転を始めると、天をも穿つ巨大な氷槍へと形を変えた。
これには流石のレインは大慌てで、両足に風を纏って体を浮かせると、すぐさま横へと跳んだ。
ザシューン──鼓膜を突き破るような甲高く激しい音とともに、大地に突き刺さった氷の槍。その巨大な氷槍から溢れ出す冷気は、大地を這って侵食しだした。
「これは、まずいわね……」
そう感じたレインは、魔法による回避速度をさらに引き上げた。地中から芽吹く新たな氷槍は、次々と竹槍のように突き上げ、執拗に彼女の後を追った。
「はあ~、容赦がないのはリアナ様のほうじゃないですか。少し汗を流すだけだとおっしゃっていたのに……。私でなければ、とっくにあの世行きですからね!」
不満を漏らしながらも、右に左に、時には上空へと高く跳び、リアナを中心にして華麗なステップで避け続けるレイン。ようやく凍結エリアを脱した彼女の顔には、再び笑みが戻っていた。
「リアナ様。貴方の宿した属性は末恐ろしいもの。ですが現状では、まだまだ魔力量が追いついてはおりませんね」
彼女の言葉に耳を傾け、リアナは周囲を静かに見渡した。
「そうですか。やはり、私の周囲で避け続けていたのもわざとでしたか」
「さあて、どうでございましょう? では、なぜそう思われるのですか?」
レインはただ答えを出すことはせず、彼女の考えを引き出すための質問を返した。リアナは考える間も無く即答した。
「簡単なことです。あなたならすぐにでも凍結範囲からの離脱ができたはずです。しかし、それをしなかった。何故なら、私の魔法が魔力を消費し続ける特性だと見抜いたからです。どうです? 違いますか?」
「ええリアナ様、その通りです。では、ここからいかがなされますか?」
レインは誇らしげに両手を広げ、その場でクルっと回転すると、満面の笑みを二人きりの魔闘館内に振りまいた。
かたやリアナは肩を落とし、ポーカーフェイスに悔しさを滲ませていた。
「今日こそは勝てる自信がありましたのに、また負けです。このような魔法まで仕掛けていたとは、ね」
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