第18話 戦闘不向きの烙印
「そ、それって何のことよ」
アーリナは不思議に首を傾げ、ザラクの視線を目で追った。するとそこには、トコトコと階段を下りるモーランドの姿があった。
彼はこちらを見るなり、「話は終わったようですね、アーリナ様」と然もここにいるのが自然な態度でテーブルまで近づく。
「では、我は食事の続きを──ん? ない、ないぞ。ミサラよ、我の食事はまだ残っておったはずだぞ」
「ああ、食事なら台所にある。話の邪魔だから下げただけだ。ったく、いちいち喚くな。それに貴様、まだ出てきていいとは言っていないだろ」
子犬ほどの大きさへと体を小さくしていたモーランド。そんな牛とミサラのやりとりに、ザラクは思わず、
「な、なんて可愛い牛さんなんだ──」
と、強張っていただけの顔を柔らかくほころばせた。
いったい彼の目にはこの牛がどう映っているのだろうか? 頬には戦士傷が刻み込まれ、身体はゴツゴツしいまでの異形。たとえ小さくなってほんの少し可愛さが足されていたとしても、初めて見れば恐怖を覚えるはず──それに、まずは牛が喋っているという現実に驚くべきだ。
愛おしさを溢れさせたザラクと何食わぬ顔のモーランド。互いに歩み寄る光景を前にして、アーリナとミサラは何とも言い難い思いを抱えたまま、ただ呆然と眺めていた。
ザラクの眼下に来たモーランドは、彼を見上げて首を傾げ、「ところで、アーリナ様」と切り出した。
「うん? どうしたの?」
「ハッ、この人間のことですが、敵、ですか? それとも味方ですか?」
「ええと、そのことなんだけど、って、はぇ?!」
アーリナは彼の異変をいち早く察知した。鈍く重々しい光を放つモーランドの瞳が、穏やかな口調とは裏腹に明らかに殺気を帯びていた。
彼女は慌てて、「待って待って!」と両手を広げて二人の間に割って入った。
「モー君、彼は仲間! とりあえずだけど、仲間になったの!」
今にもザラクを消し去りそうなモーランドであったが、アーリナの言葉に納得したのか、鋭くした視線を丸く、いつもどおりの和やかな牛へと戻った。
(ふう~、あ、危なかったわ)
安堵したアーリナの肩には、疲れがどっと押し寄せた。これほどまでに緊迫した状況になりながらも、ザラクの表情は能天気なまま──正直代わりに殴りたくなった、危機感がまるでなさすぎ。
当然ミサラも気づいていて、彼のあまりの鈍感さには額に手を当て、首を振って呆れていた。
「なあ、貴様──いや、ザラク。お前いつまで笑っているんだ? それより、牛を見ていて何も感じなかったのか?」
ミサラの問いかけに、ザラクは「ん?」と満面の笑みで振り向き、
「何ってそりゃあ、めちゃくちゃ可愛いからなあ~。俺、動物好きだし、笑顔になるのは仕方ないだろ? なあコイツ、ここで飼ってるのか? 撫でても大丈夫かな?」
と答え、彼女はただ黙考した──彼の言葉やその態度には嘘など微塵も感じられない。そして何より、嘘を罰するための魔法も発動してはいない……。
(そうか……気になってはいたが、やはりな)
彼女はこの時、ある確信をしていた。ザラクにとって大きな欠点が、ここに隠されていたということを──。
「ザラク。貴様は今、どこを見ている?」
「はあ? どこって、お前だよ」
「それは分かっている。私のどこをだ?」
「ったく、何なんだよ。せっかく気分いいのに、そんなに凄むなよ。人と話す時は、ちゃんと目を見ろって言われなかったか? 目だよ、目。お前の目を見て話してんだ!」
彼がこの屋敷を訪れてから、ミサラはその一挙手一投足、細かな仕草に至るまで注意深く観察し、その中で気づいたことがあった──ザラクの視線が常に、僅か下へずれているということに。
(何度話しかけても同じ、それも一定のずれだ。周りから見れば気づかないほどの誤差だろうが、な)
ミサラとザラクは今、互いに手の届くほどの距離にいる──それなのに、二人の視線はこれまで一度も重なることがなかったのだ。
「いいかザラク、よく聞け。自分でも気づいていないんじゃないか? お前は相手の目を見ていない。ほんの少しだけだが、焦点が下にずれているんだ。これは戦いにおいて見逃すことができない、大きな欠点になりうる」
焦点が下にずれるということは、相手の目の動きに対しての反応が大きく遅れる、もしくは全く反応できないことを意味する──彼はミサラの真剣な眼差しに抗い、噛み締めた歯を剥き出しにして睨み返した。
「お前、何を言ってんだよ。欠点とか何とか、そんな深刻な顔で言うほどのことじゃないだろ? それにほら見てみろよ、ち~ゃんと目を見れてんだろ?」
「ああそうだな、確かに今はな。では、聞こう。私は左右のどちらかに視線を送っていた。そんなに短時間のものではない。今まさにお前と目が合う直前までに何度も送っていたんだ。どうだ、どちらであったか答えられるか?」
「ど、どっちって……」
ザラクは動揺し、答えることができなかった。彼女の目の動きどころか、動いたという認識すらもなかったからだ。
「どうだ、答えられないだろう? 今のお前は確かに私の目を見ている。だが、それは意識してからの話だ。お前は無意識に人の顔を見る時、焦点が下眼瞼辺りに落ちている。ゆえに相手の目の微細な動きには気づくことがない。はっきり言わせてもらうが、戦闘には向いていない。戦いにおける相手の目から得られる情報はとてつもなく大きい。特に魔法戦ではな」
突きつけられたのは『戦闘には不向き』という名の烙印。魔技大会に出ることだけを目的とする彼にとって、それは絶望でしかなかった。
ザラクは両手で髪をぐしゃぐしゃにし、彼女たちの前で不満をまき散らした。
「あーもう、何なんだよそれは! 俺が相手を見れていない? はあ~? そんなことがあってたまるか! 現に今こうして──?!」
その瞬間、スッと首筋に冷たさが走った──ミサラの剣が、彼の右肩に静かに下ろされていた。
「どうだ? こうしてお前がぎゃあぎゃあと、みっともなく反論している間も、私の目を追えていなかっただろう? 剣を取るとき、視線をあからさまに落としたのだがな。普通なら、何を見ているかと思うだろ? それが剣ともなれば、咄嗟の防御姿勢くらいは取るものだ」
「こ、これは……どういうことだ? 俺はちゃんと見ていたはずだ……」
「だから言っただろう。お前の視線は人よりも下にある。通常、目の動きだしで気づけることも、下の瞼に動きが伝わらなければお前は気づくことがない。ゆえに対処が遅れるのだ。言わんとしていることはわかるな?」
ザラクは、腰を抜かしたように床にドサッと座り込んだ。ミサラの足元を茫然と見つめ、口元には不釣り合いな笑みを浮かべていた。
「ダメだ、全然分からなかった……気づいたときには、剣が肩に乗っていた……。本当に戦いの才能ってやつが、俺にはないのか? 俺は戦うために、今度こそ守るために、ここに来たのに……」
「ああ、残念だが。意識的に視線を逸らしているならともかく、無意識下で行っていることだ。これを克服するのは難しいだろう」
ミサラは表情険しく、ゆっくりと顔を背けた。ザラクの肩に暗い影が降りる中、モーランドの前足が彼の膝を軽く叩いた。
「おい人間、何を嘆いておるのだ? 話から察するに、お前は強くなりたいのではないのか?」
牛の尋ねに、彼は涙を隠すように服の袖で拭い、「あ、ああ、もちろんさ」と閉じ込めかけた気持ちを吐き出す。
「でも、俺って相手の目を見れてなかったんだ。戦いで目を見れないなんて、どう考えても──」
「うむ。どう考えても勝てない、か? お前はどうなんだ? たしかにミサラの言い分にも一理ある。だが、我はそうは思わぬ。たとえ目が見えずとも感覚を研ぎ澄ませ戦う者達だっておるのだ。それに比べお前は、まだ見えておるのだろう?」
モーランドは彼にそう言いつつ、アーリナの顔をちらりと見た。彼女がコクリと頷くと、モーランドは静かに瞼を下ろし、元の姿へと変体させた。
「な、なな、何だー?!」
顎が外れるほどに驚愕したザラク。彼が見たのは屈強な巨体のミノタウロスの姿であった──がしかし、ザラクはキョロキョロと辺りを見回し、「え? ええ~?」と目を丸く何かを探し始めた。
「あれ? おい、どこだよ! どこに行ったってんだ、可愛い牛さんは?!」
「え、そこー?!」
アーリナがすかさずツッコんだが、逆にザラクは「だからどこだよ?」と真顔で切り返した。
しばらくして、ようやく事態をのみこんだザラク。モーランドは彼を見下ろしながら、「まだ諦めるには早い」と口を開く。
「そうは言っても、教えを乞おうと思っていた相手に無理だと言われたんだ」
「教えを乞うか、ならば我が試してやろうではないか。もし、お前に見込みがあるならば鍛えてやる。ミサラよ、貴様には悪いが、その時はこの人間を我の弟子とするぞ」
「ふん、まったく。勝手にすればいいだろう。私は弟子にするなど一言もいっていない」
「モハハハハ、相分かった。 おい、人間! 貴様の名は何という?」
「俺か? ザラクだ。ザラク・アルハザル」
「よし、ザラクよ。ここでは手狭だ。早速行くぞ」
モーランドが意気揚々とザラクの手を取ったそのとき、ミサラの剣が彼の頬に強く押し当てられた。
「なあおい、その姿のままどこに行くつもりだ? ここは町中だぞ? 貴様の軽率な行動のほうが脅威そのものだ。外に出るならこれに入れ、この異形の牛が!」
ミサラが開いたアーリナのポーチに、彼は一言「──はい」と零して心を縮め、スキルによって体も縮めると、粛々と言われるままに入っていく。
はみ出した部分を無理やりねじ込まれるも声には出さず、グッと我慢した。ここで「痛い!」なんて悲鳴を上げれば、より一層の苦痛を与えられる。そんな恐怖がモーランドの脳裏をよぎっていた──いや、よぎり倒していた。
「う、牛……」
ザラクは威風堂々とした姿から一変した彼に対し、少し離れて侮蔑の目を向けていた。
こうして新たに『仲間?』として加わったザラク。ミサラの禁呪の試練を乗り越えた矢先、今度はモーランドの弟子認定試練が始まるのか、はたまた始まらないのか──すべてはミサラの機嫌次第で決まるのだろう。
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