第14話 ザラクの思惑とその真実
「はい、承知いたしました。こちらのことはご心配なく。アーリナ様も──」
プシュン──急に、会話が途切れた。
ミサラは魔伝機に翳していた右手を下ろし、ふうと一つ、溜息をついた。
「最近はとんと調子が悪いですわね……。これは完全に壊れちゃう前に、早めの新調が良いかもしれません。要相談ですかね」
彼女は独り言ち、ポンと魔伝機の表面を叩いた。
実は衝撃で治ったりするのかしら?──とミサラは首を傾げる。
その魔伝機であるが、魔石鍛工学の粋を集めた『魔器』の一種であり、この世界の重要な連絡手段の一つである。魔器とはいわゆる魔力が籠った道具のことだ。
魔伝機は内部構造はどれも同じ。外観は様々なデザインがあって、インテリアとしても親しまれているし、携帯可能な小型のものだってある。前世でいう携帯電話みたいなものかな。
使い方についてはいたって簡単。手に取る受話器などはなく、筐体そのものに手を翳して話すことで、内部に仕込まれた魔石が声の振動を吸収、光へと変換し、相手方の魔伝機へと飛ばす仕組みとなっている。
原動力は魔石。そのため滅多に壊れる物ではないが、このところ話が途切れることが多くなってきた。
「さて、と。準備をいたしましょう」
ミサラは壁に掛けてあったエプロンを手に取り、調理場へと向かう。その様子を二階からこっそりと覗き見していた謎の影、もといザラクとモーランドの二人。
彼らは急いで階段を駆け下り、モーランドが「領主様は何と?」と彼女に尋ねた──が、ミサラの視線はモーランドではなく、その背後のザラクに突き刺さっていた。テーブルに置いてあるフルーツに、そろりと手を伸ばす、彼の姿に。
「ザラク、貴様! 私の目の前で盗み食いとは、いい度胸をしているじゃないか」
圧倒的重圧。とても麗しき女性とは思えない威圧的な声に、ザラクは伸ばした腕をピタリと止めた。
「あ~、その、なんだあ~」
彼の頬には大粒の嫌な汗が一筋、ゆっくりと流れ落ちた。ザラクは恐る恐るミサラの顔を見上げる。彼女の体からは、怒りのオーラのような、得体の知れない悍ましいものが沸き立っていた(ザラクの妄想)。
「はあ~ったく、なんだもすんだもないだろう。支度ができるまでお前は大人しく、そこに座っていろ。ダルヴァンテ様は本日、ドーランマクナ領に滞在されるとのことだ。かといって身勝手な振舞いは慎めよ、お前たち」
ザラクはミサラに戦々恐々としていたが、モーランドは目を丸くし、口元を朗らかに、
「モハッ、そうであるか。では今日のところは、この窮屈な体のまま過ごす必要はないってことだな」
と、喜びに満ちた顔で腰に手をあて、大きく息を吸いこんだ。体はみるみるうちに巨大化し、元のミノタウロスの姿へと戻った。
「ふう~、やはり、自然体が一番である」
一息ついた彼はテーブルへと近づき、ザラクの隣の椅子を引いた。何の気なしに座ろうとしたモーランドだったが、
「待てよ、貴様。そのような図体で、人様の椅子に座れるとでも思っているのか?」
ミサラの制止の声に、彼は一瞬動きを止め、首を傾げて椅子を見つめた。
「うむ……。たしかにそのようであるな。ミサラよかたじけない。破壊の前に問うてくれて助かったぞ。危うく、アーリナ様に面目立たぬところであったわ」
彼女は「やれやれ、これだから牛は……」と首を振り、モーランドは腰の袋をまさぐると、取り出した古紙に目を落とした。
ザラクはその様子に、「まさか!」と目を燦燦と輝かせた。
「おいひょっとして、魔法で椅子をデカくするつもりか?!」
モーランドはザラクの興奮に鼻息をフンッと鳴らし応える。そして何かを思い出したかのように屋敷の裏口へと向かっていった。
当然の行動だった。ミサラは声荒げて、
「モーランド、何を考えている! そのまま外に出るなど、私が許さないぞ!」
と警告した。何といってもここは人目の多い町だ。魔物が出入りするところなど目撃されては家名に関わる。
彼女は尚も止まらぬモーランドを止めるため、床を蹴りだし、飛ぶようにしてその背を追った。しかし彼は、扉を開けると同時に体を縮ませ、ミサラの掴みかかった両手を盛大に空ぶらせた。
「大丈夫だ、ミサラ。お前の心配はわかっておる。人目につかぬよう出入りするから安心しろ」
モーランドは彼女を振り返りそう言い残すと、裏手の小屋へと入っていった。
「まったく何なんだ、あの牛は」
ミサラは憮然とした面持ちで裏口の扉を閉じると、調理場へと歩みつつ、ふとザラクに目をやった。
彼はミサラの視線に気づくと、丸まっていた背筋をピンと伸ばして座り直した。
「──ザラク」
彼女が名を呼ぶと、ザラクの肩はビクッと揺れた。ここのところ変だな、とミサラは思う。けれどそれは違う。元々、彼は女性というものに免疫がなく、これは至って平常運転だった。
ザラクの出自はここフィットリアであり、幼い頃は両親とともに過ごしていたが、あるとき母は病に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
それからというもの、彼は父との二人三脚。途中、領地を追われて捕虜になったりもした。憎きシュトラウス領での監視下の生活は、日々息苦しさもあったが、男二人、支え合って何とか生き抜いてきた。
ほぼ全ての財を奪われ、手元に残った資金はごく僅か。食べていくのすらやっとだった彼は、生き抜くために狩りや採集をし、料理下手な父に代わって毎日の調理までこなしていた。
『こりゃあ旨い』と子供みたいに口いっぱいに頬張る父の顔を見て、幼心ながらに、人を幸せにできるのはこれだ──と、ザラクは思った。
(俺は必ず、世界一の料理人になる)
料理の道以外に見向きもしなくなった彼は、自己流をひたすら磨き、今のままでは一流になれないと知れば、様々な店での弟子入りを重ねた。
徹底的によいと思うものは取り入れ、ダメだと思えばすぐに見限ってきた。その繰り返しだ。
そんなこんなで走り続けた数年間。修行の末に勝ち取った、一級料理人認定試験を史上最年少で合格するという栄誉まで獲得した彼であったが、多感な時期全てを料理一つに捧げてきた。
要は、物言わぬ料理と心で対話し続けた結果、あまり人と対面で話すことには慣れていなかったのだ。特に女性とは。
厨房では度々、仕方なく男とは話していた。だって料理長が全員男だったし、選択肢はない。真に必要なのは技術であり、食材や使用器具の目利きがあって、これらを盗むのはトップの長だけで十分だからだ。一緒に働く下っ端のことなど、心底どうでもよかった。
ザラクが人の目を見れないのも、幼年期を過ごしてきた環境も去ることながら、『一日も早く、一流に』と、そのことだけを心に決めて邁進し、周囲を遠ざけ続けてきた結果なのだろう(そのうえ料理長、顔怖えし、まともに見れねえし……)。
──全く、人生とは思い通りにはいかないものだ。
試験合格後、ザラクは職探しを始めた──が、すぐにそれどころではなくなってしまった。ついに、王国評議会での審議結果が出たのだから。
王国主催の魔技大会──その優勝者にフィットリアの統治権を委ねる。
このまさかの事態に彼は職探しを中断、包丁を戦闘用のナイフに持ち替え、故郷を守るための行動を起こした。
今やライアット候も彼ら親子には関心を示さなくなっていた。すでに屋敷からは追い出されているし、審判が下れば猶のこと干渉される心配もない。
親父には悪いが、これは修行だ──ザラクは奥歯を噛み締め、父親一人を残して、隠密の旅に出た。
当然、孤独だ。仲間なんていないし、父親とも離れ、誰とも口を利くことがない。独り言ちるか、はたまたナイフを振る際の吐息に混じって気合の声を発するだけで、もはや言葉を忘れてしまいそうだった。
そんな時だ。アーリナとミサラを森の中で目撃した。ザラクはすぐに彼女たちに気づいた。ミサラの顔には覚えがあったし、連れの少女は魔力なしの落ちこぼれと噂の領主の娘、アーリナであるということに。
それからというもの、暫しの間、彼女たちの修行を遠目に見続けていた。『やっぱ、すげえな』と感嘆しつつも、彼は眉を顰めて思い悩んだ。
料理だって一流の下で修業したほうが覚えも早いし効率がいい。戦いだって一流の騎士に稽古をつけてもらったほうが勿論いいに決まっている。だがそれでも、彼が声をかけるまでには相当の時間を要した。
理由は単純だ。どうやって声をかけたらいいのか、何を話せばいいのか。対話に慣れていないザラクにとっては先ずそこが障壁となって立ちはだかった。
とはいえ、ずっとこのままでは何も変えられない──彼は覚悟を決め、命を削るかと思うほどの緊張感を背に、勇気を振り絞って声をかけた。
以降、どうにかこうにか会話を乗り切ってはきたものの、こうも怒鳴られてばかりでは正直げんなりしてしまう。アーリナはまだ子供故に、そこまで扱いには困らない。けど、大人の女性であるミサラの場合はどうしても意識はしてしまう。
何をすれば喜んでもらえるのか、機嫌を損ねるとどうなるのか──女心の全く分からない彼にとって、クルーセル家での生活は、心底不安でしかなかった。
「一々何をビビってやがる。そういえば、料理人なんだろ? それも一級の。私も今日は少しだけ、羽を伸ばしたい。牛の分はお前がやれ。師匠の分くらい、弟子が用意するのが筋ってもんだろ?」
ミサラの口元がようやくニッコリ緩んだ。彼女は元々、王国騎士団でも小隊の指揮を任される士官、それに騎士養成所の教官でもあった。規律の中で生きてきたミサラとっては、男勝りな裏の顔もまた、本当の自分と言えるものだ。
強い口調も悪気があってのものでもなく、厳しい指導の延長線──のはずだったが、ここ最近、本心から「斬り捨てるぞ」と言い放つこともあり、彼女は都度、心の中で反省をしていた。
騎士団時代の口癖が、強烈に表立ってしまう──現在は使用人として働いているミサラ。親愛なる主君であるアーリナに、どこの馬の骨とも分からない男や意味不明な神もどき、さらには図々しい牛までもが絡んでくるとなると、どうしても抑えきれない衝動に見舞われてしまうのだった。
アーリナの前では清楚な使用人を演じ続けてはきたものの、彼らと出会って全ては砕けた。でもまあ、アーリナ様への礼節さえ重んじれば、他はどうでも──などと最近では隠すことすら諦めたようだ。
そんなミサラは、調理場に立つと「さて、作るとしようか。どっちが旨いものを作れるか、勝負だ」とザラクに向かって声をかける。
「ミサラ、お前バカなのか? 一級料理人である俺に勝てるわけがねえだろ? 包丁と剣じゃ捌き方が違うんだぜ」
「何をっ!」
彼の体にドンと肩をぶつけたミサラ。かたやザラクは「痛えよ」と言いながらも頬を赤らめ、二人の間に穏やかな時が流れだしていた。