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四季を彩るアルビノへ  作者: 夜月 真
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空色

 実家で過ごさないお正月は初めてだった。レターセットの封を開けて紙を取り出すも、何を書けば良いのかわからない。年賀状は一枚だけ送り、家族にはスマホで済ませた。

 ペン先を叩くように走らせ、何も考えずに文字を作るもどこか味気ない。頬杖をつき、頭を指先で叩きながら働かせるが、思いつくようなことなどなかった。

『明けましておめでとう』

 年賀状に記載した文字の使い回しのようだった。手元のボールペンを寝かせ、身体を動かせば何か浮かんでくるかもしれないと、服を着替え、スニーカーを履いた。朝紛いの夜だった。

「そうか……この時間はまだ夜なのか」

 月の存在がまだはっきりとわかるような空模様。坂道とは真反対の方へ足を運ぶ。住宅街の影から灰色の猫が道を横断し、夜が終わるのだと錯覚する。人の住処を見渡しながら徘徊し、白く空に馴染むような息が一掃に体を冷やしているようだ。


 住宅街を抜けて、気がつくと見覚えのある公園が、僕を待っているようだった。白昼色(はくちゅうしょく)の冷たい光がベンチの存在を際立て、誘われるように座り込む。東側が段々と街を照らし始め、自動車が煙を吐き散らしながら過ぎていくのを見守った。何か良いものはないか、そんなことばかり考えてしまう。今日は小説でも書こう、そう決めて立ち上がり、見慣れた道を俯瞰しながら何も思いつかないままアパートへ到着してしまう。すると階段を上がる人影がチラついた。隣人だろうか。

 僕が階段を上り切ると、玄関横のインターホンに指先を押し付ける姿が映る。

「どうしたの? 朝早くから」

「ごめんなさい。迷惑をかけるつもりはなかったの」

 僕は彩音を家の中へ招いた。その視線は初めて出会った日のように、俯く先に向けられている。指先を丸める姿に、緊張が走る。部屋に招き入れ、僕らはまだ暖房が効いていない冷えた床に座り、唾を飲み込んだ。


「何かあったの?」

 彩音は膝元に置いた手でズボンをギュッと握りしめ、ようやく言葉を吐き出した。

「母親が……家に来たの」

「彩音のお母さんは……」

 震える肩を見て、声が詰まる。明らかな動揺に、僕は立ち上がりキッチンへ向かう。お湯を沸騰させ、二つのマグカップを両手にテレビの正面の場所へ戻る。

「ココアだよ。ゆっくり体を温めてからで良いから、話してみて」

「……ありがとう」

 彩音はマグカップを両手で持ち上げ、湯気を優しく吹き飛ばす。一口喉へ流すと、力んだ身体が解れるように見えた。僕は自分の分のマグカップに目を向ける。湯気のせいで内側に張り付いた水滴が、ココアの中に滑り落ちた。

「私は母親から、よく叩かれた」

 その声が耳に入ると、吸い寄せられるように顔を向ける。何かを決心したような、強い口調だ。


「家のことは、ほとんど私がやらされていた。その間、本人はどこかへよく出かけていた。私が何か間違える度にあざができた。高校には、いけなかった。だから家を出て、働いた。ひとりでアパートを借りるのはとても大変だったけれど、なんとかできた」

 伝えられる本人の過去は、嘘混じりではないことを本能で感じ取れる。普通の家庭では到底考えられない出来事だ。

「あの人は一度逮捕されたから、良いタイミングだと思って住所は伝えなかった。伝えたらまた叩かれると思ったから……なのに……」

 握られた拳が震えている。掛けられる言葉が見つからない。

「ねぇ、どうすればいいかな。こんなことで貴方を巻き込むのは本当に申し訳ないとは思ってる……」

 時計の秒針が一定のリズムで進む音だけが部屋に残る。僕に向けられた白いまつ毛を見て、意を決して自分の考えをを話した。


「会って、彩音の意思をはっきりと伝えるべきだと思う」

 非常に危ないかもしれないが、このまま逃げ続けるような生活になるのなら、それが良い方法だと考えた。

「そこでこれから自分がどうしたいかどうか、お母さんとどういった関係になりたいのかを話すんだ」

 俯いて溜め息を一つ溢す彩音に、僕は顔を覗き込むようにしてもう一言分、口を開く。

「大丈夫、僕も行くよ」

 母親が来ると言われた時間まで僕らに会話はほとんどなかった。昼下がり、この日初めて彩音の自宅へ出向き、二駅先へと足を運ぶ。隣を歩く存在は、張り詰めた表情を隠せていなかった。

「ここだよ」

 正面に建てられたアパートは、お世辞にも清潔感があるとは言い難い。築三十年は経過しているだろう。割れた石造の段差を一段上がり、彩音はドアノブに鍵を差し込んだ。

「家賃の関係で、ここ以外には住めないの。中は見た目ほど汚くないから、入って」

 お邪魔します、と室内へ足を踏み入れながら言う。廊下の奥に見える部屋は彩音の言う通り、生活感の溢れる色とりどりの家具が配置されている。僕はそれに玄関に立ったまま見入ってしまう。


「いつの日か色が見えたら、と思って白と黒は避けた家具を揃えたの。まあ、まさか本当に色が見える日がくるなんて思っていなかったけど。適当なところに座って」

 僕は靴を脱ぎ、膝を折って靴のつま先を反対側に向けた。彩音の後を追い、六畳余りの部屋に萎縮した身体を運ぶ。

「荷物はそっちの方にでも置いて。麦茶で大丈夫?」

「うん、ありがとう」

 テレビの置かれた向きは、僕の部屋とは反対で左から右向きだ。廊下に背を向ける形で座り、隣に置かれたベッドの、畳まれていない掛け布団が生活感を表す。ガラスのコップに注がれた麦茶が波を打ち、コトン、と音を二つ立ててテーブルに乗せられる。

「ありがとう」

「たぶん、あと一時間くらいで来ると思う」

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