君の面影を探している。
ゆきや紺子様よりファンアート頂いております!
詳しくはあとがきにて。
「陽向……?」
妻が息を引き取った。
妻は『陽向』という名前のとおり、とても明るく温かな女性だった。
まだ、三十歳だった。
なかなか子供が出来なくて俺は焦っていた。
陽向はそんな俺をくすりと笑いながらも、ゆったりと頭を撫でて、大丈夫だと言ってくれていた。
そして、「そんなことはどうでもいいから、子供の名前は何にしようか? 『陽』の字は絶対に入れたい!」なんて、キラキラとした笑顔で言っていた。
つい、先週までは。
葬儀が終わり、火葬場から陽向の遺骨とともに家に帰った。
葬儀社の方々が初七日の祭壇を用意してくれていたので、そこに遺骨、遺影、仮位牌を置いた。
「陽太、お坊さん来るまでまだ時間があるから、少し食べておきなさい」
「ん」
久しぶりに母親のおにぎりを食べた。少し塩っぱくてギュッと硬く握られている。
陽向のおにぎりは、ふかふかと柔らかくて、温かい味だった。
おにぎりの横にあった胡瓜の塩昆布和えをボリボリと噛む。
いつだったか俺が好きだと言ったら、次の日には「お義母さんから教わった!」とドヤ顔をして出してきた。
辛党の陽向は、かなり多めに鷹の爪の輪切りを入れてたから、全く同じ味ではなかったけれど。それでも母親の味になっているかとわくわく顔で聞くから、笑って頷いた。
初七日のお経が終わり、玄関でお坊さんを見送った。
最近は葬儀の当日に初七日もやってしまうものだと初めて知った。共働きも増えて、何度も休みを取るのが難しいからと聞いて納得した。
玄関を閉め、靴を脱ぎながら家の中を見る。
そんなに大きくはないが、わりと新しめの中古の一軒家。この4LDKにするか、同じくらいの値段で少し古めの6LDKの一軒家にするかで軽くケンカをした。
「陽太」
「へ? なに?」
母親の呼ぶ声にハッとしつつリビングに向かった。
精進落しは外に食べに行くことになっている。
たぶん皆飲むだろうから、タクシーかレンタカーで行こうという話をしていた。
「俺、飲まないから運転するよ?」
「陽太くん、無理したらいかんよ」
「っ……」
陽向と同じイントネーションで、お義母さんがそう言った瞬間、俺の息が詰まった。
「車、怖いんやろ?」
◆◆◆◆◆
「はい、米嶋です」
火曜日のお昼前。仕事中なのに、あまりにもスマホのバイブが鳴るので、ふと画面を見た。
そこには『○△□市警察署』と表示されていた。
『私、○△□市警察署の――――、ご家族に、米嶋陽向さんという方はいらっしゃいますか?』
「……」
『米嶋さん?』
「あ、はい。陽向は妻ですが……」
電話口の警察と名乗る人物から、すぐに家の近くにある救急病院に行くようにと言われた。
陽向が交通事故に遭い、その病院に運ばれたから、と。
上司に事情を説明すると、現金の持ち合わせを聞かれた。
微かに震える手をズボンの後ろポケットにいれ、財布を掴んだ。
「あ……一万はあります」
「おい、山浦っ! タクシー呼べ! 米嶋、取り敢えず持っとけ。すぐに荷物まとめろ。仕事は何も気にしなくていい。急げ!」
「っ、はい。ありがとう……ございます」
上司が三万円も貸してくれた。
同僚はタクシーを呼んでくれ、仕事を引き継いでくれた。
感謝しかない。
部署の入り口で頭を下げて、会社の玄関に急いだ。
ピッ……ピッ……ピッ……と、規則正しくゆっくりと鳴る電子音。
ヒューヒュー……ヒューと、どこから鳴っているのか判らないような呼吸音。
包帯まみれの陽向。
目までも包帯で覆われていた。
辛うじて見えている鼻や口は、酸素マスクに覆われていて判り辛いが、赤紫色をしていた。
「――――、――――」
執刀医の話を真っ白になっている頭でどうにか理解した。
陽向は、死ぬらしい。
全身の打撲、何よりも脳挫傷が酷く、今夜持つかどうかだと言われた。
意識は、ない。
呆然とベッドの横にあるイスに座っていると、紺色の作業着のような警察の制服を着た男性と女性の二人組に話しかけられた。
事故があった場所、原因、巻き込まれた人々の話だった。
「新町の交差点……」
「はい」
家から歩いて一分のところにある、少し大きめの交差点。
左折し損ねた大型トラックが、交差点にいた人々に突っ込んでいったそうだ。
交差点の横断歩道を渡れば大きなスーパーがある。家から歩いて行けるね、と陽向は喜んでいた、のに。
警察は今は取り敢えずの報告のみで帰っていった。
「あ……」
――――陽向の両親に連絡しないと。
看護師さんにスマホを使える場所を聞き、鉛のような足を動かして移動した。
「お義母さん…………」
『陽太くん?』
「っ、陽向が交通事故に――――」
心の中はぐちゃぐちゃで、頭は相変わらず真っ白で思考停止しているような気がしているのに、義母への説明は淡々と時系列通りに出来ていた。
電話で現状を伝えることに迷いはあったが、伝えることにした。
「――――夜まで持つか、微妙だそうです」
義母が電話口で泣き崩れていた。
そして、すぐに義父と合流してこっちに来る、と震える声で言った。
近場に住んでいる自分の両親にも電話で伝えると、俺たちの家の方で待機していてくれることになった。
ベッドの横のイスに座り、陽向の手を握ってぼーっとしていた。
合間合間に看護師や医師が来て、治療なのかよくわからない何かをしていた。
サイドテーブルの上には、色々な書類が置かれていた。時間が出来てから確認でいいと言われたので、何も見ていない。
擦り傷だらけになっている、陽向の痛々しい手をそっと撫でていると、陽向がギュッと握り返してきた。
「陽向? 陽向?」
希望を抱きながらそっと呼びかけたが、何の反応もなかった。
ただ、たまたま手に力が入っただけのようだ。
意識を取り戻せば痛みだけが待っているのに。俺は、起きて欲しいと、声を聞かせて欲しいと願ってしまった。
夕方になり、義両親が飛行機や電車を使い病院に到着した。
義母は泣き崩れ、義父は目頭を押さえながら窓の外を見ていた。
俺は陽向の手を握りしめて、二人を見つめているだけだった。
夜、義両親は俺たちの家で休むことになった。
俺は病院に泊まり込む。
こんな状態の陽向を一人になんてさせられない、したくない。
陽向は、夜を越えた。
奇跡が起こるのだと思った。
またいつか、いつもの日常に戻れるのだと。
だが、俺の希望は打ち砕かれた。
事故から二日後の夕方、陽向は静かに息を引き取った。
まるで眠るように。
陽向は、免許証の裏の臓器提供意思表示やカードに記入していた。
移植のコーディネーターからの説明を淡々と聞き、同意書にサインをした。
陽向の亡骸は、すぐさま手術室へと運ばれていった。
移植のための手術が終わり、病院で陽向を葬儀社に預けた。
病院から自宅に帰るとき、父親が俺の車で迎えに来てくれた。
父親は乗り慣れていない少し大きめのファミリータイプだったので、運転を変わろうとした。が、運転席に座りハンドルに手を添えると、手がブルブルと震えだした。
陽向が入院中、陽向が巻き込まれた交通事故がずっと報道されていた。
最近は町中に監視カメラが多く存在しているし、スマホの発展も著しい。生々しい映像や写真が大量にテレビに映し出されていた。
ハンドルを握ると、それらの映像が頭の中で再生され、陽向の苦しむ姿を想像してしまい、痙攣してからすぐに呼吸困難に陥ってしまった。
◇◆◇◆◇
義両親がその時の光景を思い出したのだろう。タクシー二台で行こう、と義父が背中を擦ってくれた。
両親、義両親、義父の妹、その五人だけが俺たちの親族だった。
陽向がいつか行きたいと言っていた料亭で精進落しの食事をしながら、陽向の話をした。
陽向の子供の頃の夢を聞いて笑った。
夢はケーキ屋さんで、理由はケーキが食べられるから、だったらしい。陽向らしすぎる。
何かのイベントでケーキを買って帰ると、踊りだしそうなほどに喜んでいたのをふと思い出した。
数日間、両親と義両親が泊まり込み、様々な手続きや申請などを手伝ってくれた。
「一旦戻るけど、手伝いが必要だったら言ってね?」
「はい、ありがとうございます」
義両親が一旦地元に戻り、同じ日に父母も隣の市にある実家に帰って行った。
警察や保険会社とのやり取りなどはまだまだ残っているが、取り敢えずは一段落だと思う。
「ふぅ…………」
明日から、会社に出る。
明日から、日常に戻る。
明日も、陽向はいないままなのに。
風呂に入ろうと思い、クローゼットから寝間着を出そうとした。
同じ段に入っている陽向の寝間着。そっと触れた。
胸が――――痛い。
風呂から上がり、タオルでワシワシと髪を雑に乾かしていた。
『もぉぉ、ちゃんとドライヤー使いーよ!』
「っ⁉」
慌てて振り返るが、そこには誰もいない。
耳に残る陽向の声。頭の中で口を尖らせる陽向の顔。
喉がぎちりと締め付けられ、嗚咽が漏れた。
死に顔も見れなかった。
鬱血し腫れた唇しか見えなかった。
「う、あ…………あ、あぁぁ」
陽向の葬儀が済んでから十日。
ずっと、泣けなかった。
陽向が棺桶に入れられ、焼かれ、骨になり、小さな壺に収まっても、現実に感じられなかった。
今、やっと一人になり、陽向が家にいないと分かって、もう二度と大きな口でケラケラと笑う顔が見れないんだと分かって、やっと理解した。
陽向が、死んだ。
仕事に復帰して、半月。
どうにかこうにか生活している。
もともと自炊は出来たし、掃除は及第点だと思っている。
ザクリザクリと音を立てて、ゆっくりと白菜を切る。
今までずっと当たり前に聞こえていた、タンタンタンという軽快なリズムは聞こえない。
白菜と豚肉のオイスターソース炒めを作る。
スープは玉ねぎと溶き卵と鶏ガラの素で簡単に。
一人で食べる夕食にも慣れてきた。
『うんまっ! よーた、うんま!』
陽向はいつも美味い美味いと食べてくれた。
白ご飯のおかわりを取り合ってしょうもないケンカをしたりした。
――――君がいない食事には慣れたけど、味気ないよ、陽向。
陽向が死んで二年。
義両親から再婚を勧められたり、会社で告白されたりと、色々とあるが、それでも俺は陽向と暮らした家に一人で住んでいる。
歯を磨く、顔を洗う、朝ごはんを作り食べる、寝間着を脱ぎ散らかす。そんな、日常生活をするたびに、ふわりと陽向が浮かんでは消えていく。
そのたびに、心臓が締め付けられたり、温かくなったりする。
――――俺はこの家で、君の面影を探している。
縋っている、取り残されている、執着している、心を病んでいる。色々と陰で言われているらしい。
俺はそうは思わない。が、当人なので説得力はゼロだろう。
ただ、この家が好きで、陽向のことがまだまだ好きなだけだ。
だから、俺はこれからもここに住み、日常を過ごしていく。
――――君との思い出と共に。
―― 終 ――
読んでいただき、ありがとうございます!
短編、長編、諸々あります(*´﹀`*)
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ブクマ、評価、いいね、感想なんて書いてもらっちゃったら、作者が小躍りして喜びます((o(´∀`)o))
上記ファンアートですが、陽太をゆきや紺子さんに描いていただきました。
(※さらに新たに頂きましたぁぁ!2023.6.21)
紺子さんには、『お見合い相手に釣書を送ったら、間違えてノリとネタで書いた方の釣書だった。』や『おやすみ、チェスカ』も描いていただいています。
過去の活動報告などに諸々の情報がありますので、よかったら覗いてみてください!