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桜の思い出

作者: 根室裕キ

初投稿です。

 公園に行くと、同い年くらいの知らない女子がブランコに座っていた。

 昨日の雨で桜は散って、水はけは悪く、土はぐちょぐちょだった。こんな日にボール遊びしに来るもんじゃなかった。

そのまま帰ろうとしかけた。が、なんか引っかかる。

 あいつ、おかしい。

 ブランコに乗っているのに、ブランコを漕がない。ただ座ったままおっさんのようにじっと足元を見つめている。ブランコの真下はみんながよく蹴って土がへこんでいるから、水溜りになっているはずだ。それでもあいつは靴を泥まみれにしながら、動かない。何? あいつ。遊びに来たんじゃねえの?

「おい」

 声をかけてみた。近づいてみた。やっぱり足がぺちゃぺちゃする。歩きづらい。

 そいつはのろのろと顔を上げた。どんくさそうな顔をしている。おろした髪がやけにぼさぼさで、腰くらいまで長さがある。クラスの女子とは、なんとなくちがう。

「なにしてんの? 今日は遊べねえぞ。水溜りばっかだから。だからみんな来てねえんだよ」

 そいつは黙っている。

「なにしてんのって聞いてんの」

 まだ黙っていやがる。いらいらしてきた。

「聞いてんのか?! だーかーら! なにして」

「桜。散っちゃったなあって」

 そいつは突然、おれの言葉を遮った。びっくりした。え、何? 桜? 振り返ってみると、確かに公園の入り口のほうに、桜の木が一本生えている。ブランコからまっすぐ見つめるとちょうどいい具合に見える位置に。

「桜好きなの?」

 そいつはうんともすんとも言わない。話が続きそうにないから、おれは持論を語ることにした。

「おれさ、桜きらいなんだよね。じっちゃんにお花見連れてかれるけど、そんなにきれいか? だって変じゃん。みんなが桜キレイキレイってもてはやしてさ。桜前線なんて放送しちゃってさ。枝垂れとか八重はまだいいよ? でもソメイヨシノはあまりにもおあつらえ向きじゃねえか。ソメイヨシノ見てると、『あなた、こういうのが好きなんでしょ?』って言われてる気がする。ぱっと見いい感じに装っておいて、『人間様はこういうのを求めてるんでしょ?』って。あいつら絶対腹黒いからね? 高括ってるからね? ウザいんだよ。よく見たら色うっすいよ? 不格好に咲いてるよ? 青虫ついてるよ? 全員毎年見てんじゃん。年取ればきれいって思えるようになるの? 死が近づけばなんでも補正されてキラキラして見えるアレなの?」

 のどが疲れてきた。おれは一息ついて、また言った。

「桜はいいよな。生きてるだけで褒められて、生きてるだけで愛されて。生きてるだけで、アイドルだ」

 そいつはやっぱり何も言わなかった。

 もう家に帰ることにした。案外面白くなかったし。

 おれは出口に向かって歩き出した。



 帰宅後、おれは母ちゃんに公園でのことを話した。

「公園行ったら、知らない女子がブランコ占領してた。散った桜を残念がってるっぽかった。だからおれ、桜嫌いだって言ってきた」

 これを言ったら、なぜかめちゃくちゃ怒られた。意味がわからない。


 アンタマタ人ニ嫌ナ口キイタノカイ?

 別に嫌味を言ったんじゃない。思ったことを素直に言っただけだ。

 モット言葉ヲ選ビナ!


 母ちゃん以外からもよく言われることだが、どうやらおれは口が悪いらしい。口が悪くて、何が悪い。正直であることの何が悪い。だが、「その女の子の好きっていう桜を、いきなり真っ向から否定するのは、あんまりよくないんじゃないかい?」というばっちゃんの意見はまだわからなくもなかったから、もし次に会ったら弁解しておこうと思った。

 次の日、公園の前を通るとまたあいつがいた。ブランコは小さいガキに取られていたから、ベンチに座っていた。何もせずにただぼーっとしている。

 目が合った。

 おれはぺこりとしてみた。

 そいつも目を丸くしてぺこりとした。

 おれはベンチまで歩いていって、また会ったな、と軽く挨拶してから、

「昨日のこと。気ぃ悪くすんなよ。別におまえが桜好きなのを否定したんじゃないからな。ただ、おれがミーハーじゃないってことを言いたかっただけだからな」

 それだけ言っておれは帰った。



 この春休みに、おれは雨の日以外、毎日公園に通った。二日に一回くらいの確率であいつを見かけた。見かけるたびにおれはそいつに声をかけ、日頃の不満をぶちまけた。長時間話し込むことはなく、だいたいおれが言いたいことだけ言ってそそくさと帰ってしまうから、持ってせいぜい五分のやり取りである。だがそいつは少しずつ、本当に少しずつだがそれでも少しずつ、しゃべるようになった。まずは頷くことから始まり、うん、うん、と相槌を打つことを覚え、ついにはおれの話を

「面白い」

と言ってくれるようになった。

 おれの話を嫌がらずに聞いてくれる人は、久しぶりだった。

 だが一つ思うことがある。

 あいつ、なんかちょっと臭い。



「日曜、夜八時、ここにきて」

 空耳かと思った。

 家に帰ろうと一歩踏み出しかけたおれは、とっさに振り返った。

 鳥肌が立った。

 そいつは今までのどんくさそうな顔からは想像できないくらい、真剣な表情をしていた。大きな真っ黒の生きた目が、じっとおれを覗いてくる。油断すると空中に磔にされてしまいそうだ。実態はわからないが、なにかそんな気迫を感じる。

 そいつはもう一度言った。

「日曜、夜八時、ここにきて」



 おれは日曜、夜八時、ここにきた。始業式の前日だった。あいつ曰はく、雨が降らなかった隣町に、桜がまだ残っている公園があるらしい。それをおれに見せたいというのだ。夜は冷えるから、寒がりのおれはあまり乗り気じゃなかったが、派手なオレンジのジャンパーを羽織って結局ここにきた。あいつは先にきていて、ろくに防寒もせずにベンチに座っていた。おれはそいつに連れられて、公園の外へ歩き出した。

 歩いている途中、おれたちは何の会話もしなかった。おれは基本おしゃべりなはずだが、予想外なこの状況はなんとなく居心地が悪く、変な感じがして、話すにも何を話せばいいのかわからなくなってしまったのだ。こいつは相変わらず黙っている。はなからおれと会話する気がなさそうだ。だからおれも黙っていると、いつのまにか、話題を見つけようという気も居心地の悪さも、うそのように消えていた。

 目的地に到着した。

 やりやがったな、と思った。

 悔しい、と思った。

 闇の中に所々、ぼおっと灯りが浮かぶ。『桜まつり』の期間中で特別に電灯が立っていて、そのうす暗い灯りがまわりの淡い桃色を照らす。おれの知っている桜じゃなかった。なにか別の、知らない幻想的な空間のように思えた。

「おれ、桜は嫌いだ。でも、夜桜は文句なしにきれいだから、嫌いじゃないかもしれない」

 隣からクスクスと笑い声がきこえた。おれはびっくりした。こいつが笑っているところなんて一度も見たことがなかったから、笑わないやつなんだろうと思っていたのだ。

 そいつはおれに顔を向けて言った。

「前にも言ってたね、桜嫌いって。でも私、もし生まれ変わったら、桜になりたい。そうすれば、みんなに愛されるから」

 そいつが今までしゃべった中で、いちばん長い言葉だった。

 満面の、笑顔だった。



 新学期が始まったが、あの日からあいつに会わなくなった。公園に行っても見かけなくなった。

ま、しょうがないか、と思っていた。友達というにはうすっぺらいし、仲が良かったわけでもない。そもそも毎度まいどのあいつとの付き合いは、すべてその日限りだと思っていたのだ。だいいち、お互い名前すら知らない。

 おれはだんだん、あいつのことを忘れていった。



 数か月たったある日、緊急の全校集会が開かれた。みんなは何か知っているようだった。おれだけが何も知らないみたいだった。体育館に全校生徒が集められる。マイクスタンドの前に重々しい顔つきをした校長が立ち、口をひらいた。

 うちの学校の生徒が、暴力による虐待で死んだらしい。

 四年二組、内田雪華。享年、九歳。

 家に帰ってからテレビをつけてみると、その日の夕方の一大ニュースになっていた。顔写真も見た。

 あいつだった。

 悲しくはなかった。

 ただ、あれ以上に胸糞わるかった瞬間を、おれは知らない。



 そんなこともあったっけ。

 ふと、あの思い出が、おれの脳内をよぎった。

 目の前には、ソメイヨシノの淡い色が、視界いっぱいに広がっている。快晴四月の空の下、西ノ山公園の一本の桜は、今ちょうど最盛期を迎えていた。

 生まれ変わったら、桜になりたい。そうすれば、みんなに愛されるから。

 おれは少し離れて、あらためて桜の木を眺めた。空っぽの口をあけて、

「きれいだな」

とつぶやいた。


最後まで読んでいただきありがとうございました!

この物語はフィクションです。ですが、私が一時期桜を冷めた目で見ていたのは事実です。

桜の美しさがわかる時が来たとしても、男の子はこれからも、感慨に浸りはしないだろうけれど、桜を見るたびにあの思い出がちらつくんだろうと思います……。

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