(5)乱戦
割れた瓶の肉片は一秒ごとに大きくなり、人の頭の形に近づいた。
小太郎は言った。
「まだ」
「もう斬っていい?」
さっさと終わりにしてしまいたい。面倒ごとは早く片付けるに限る。
「まだ!」
「首から何か出た。血管キモッ! 移動しちゃうから突き刺すよ?」
「まだ!! メンタル保持しろ」
赤黒い球体は毛が生え、耳が出来上がり、空洞だった穴が目鼻になった。奇怪な笑い声を上げた時には剣を振りかざしていた。
『ボンジュール! 一翔チャン』
俺の真剣な剣先がぐらついた。赤黒い顔のライカの目と呂律がおかしい。ジェットが吹き出して笑っている。
「泥酔だな」
「10年モノだしなぁ。本体が来るぞ」
小太郎は頭を掻くばかりだ。俺は改め、気を引き締めて待機した。狂気が押し寄せ、精神集中が阻害される。
――来た
ライカの生首が正気を取り戻した。顔をみていると、さまざまな感情が湧き出て、それは怒りとなった。長年の恨み、つらみはあるが、プロならば剣先が震えるなどあってはならないこと。これでは振り下ろせない。
『なんか嫌な空気。用件だけにしてくれよ』
あぁ喋られた。小太郎に怒られる。でも剣がダメなら、すぐに呪文だ。魔力を剣に込めろ。そして決別の呪文を放て。
「アブソリュート・アンコネクト」
ライカの顔はニヤリと笑った。呪文の効果は出ていない。
『修行が足らんなぁ! もっとこう刺激的に! 魂を揺さぶるような勢いがねぇとな、こんな感じでさ!』
空間魔法の魔法陣が現れた。白い魔法陣の光は二十を超えている。小太郎が貧乏ゆすりを始めた。
「何が卒業だぁ? 一からやり直せ」
「――ご、ごめんなさい!」
空間魔法の向こうには本物のライカがいる。その事実だけで、俺は五歳に戻ってしまった。ただ逃げ回るだけで、無力で無垢で、馬鹿な俺!!
「大きくなったのは身体だけか」
「違うよ!」
10年だ。その集大成だ。頭では理解しているし修行もした。こうなることも予測できていた。けれどそれ以上に身体の動きが悪いから自信がない。
――怖い
あの痛みと苦しみが来る。もし失敗したら陽翔はどうなる。
『憎いだろう! 吼え、猛るがいい!』
自分の弱さを隠して、怒りに狂ってしまえばライカの思う壺だ。そんな俺にジェットだけは微笑んでくれた。
「一翔、逃げずに戦え」
“兄さんの魂は俺が守るから。ほら、目の前に集中!”
陽翔の言う通りだ。陽翔だけでなくジェットと小太郎も応援してくれている。
「身体揺さぶって、ほらジャンプ!」
ジェットの身振り手振りに連れて、軽く身体を動かす。血とマナが巡って少しリラックスできた気がする。けれど時間が無い、小太郎も焦れて言った。
「翔けろよ、ほら飛べ!」
自身の内なる壁を突き破る。やるなら今しかない。
“ ※ ※ ※
『生首だからって舐めんなよ』
空間魔法を避けながら、呪文を放つタイミングを図る。
『一翔チャン、少しは立派になったか? 遊ぼうぜぇ』
ライカは生首ごと空間移動しているから、狙いを定めるのが難しい。白い魔法陣の数が百を超えた。
『うはは! オレの真似すんなよ!』
さらに赤と桃色の魔法陣が現れた。赤いイヴの魔法陣と愛しのシェラの桃色の魔法陣。魔法陣同士で打ち消し合って、三色の魔法陣が乱れ撃ちだ。
ところが白い魔法陣自体が打ち消し合っている。それは妙だ。もしかしてアリーだろうか。ライカも白色だから見分けがつきにくい。
「もう一人いるのか」
ライカでもアリーでもない。とんでもなく早く、白くて大きい魔法陣だ。
そこまでしか判断できなかった。天地左右関係なく、無数に出現する魔法陣の中だ。剣や拳ではとうてい太刀打ちできない。ジェットが叫んだ。
「逃げろ」
これは想定外だ。小太郎もジェットも本気になっている。よそ見していた俺は危なく腕だけ転移しかける始末だ。腕を引き抜く。足の踏み場も無い数だ。唯一の救いはシェヘラザールの念話で、右だと教えてくれる。
「小太郎、ベルを!」
ジェットの合図で小太郎はベルに体当たりをした。二人で桃色の魔法陣に突っ込み姿が消えた。それもジェットが囮になってくれたおかげだ。でも次第に白い魔法陣に囲まれて、逃げ道を失っていく。
「ジェット!」
“兄さん、領域を”
陽翔の応援は欲しい。だがライカがニヤリと笑ったのを感じる。
――出てくるな
魔王級の力で、空間にある魔力を全て奪い空間に干渉させない。無茶苦茶な手段だが、それしかない。
「フーッ」
息を吐いて外部のマナと意識を同調させ、息を吸って全ての力を体内に送り凝縮だ。力の拡散と集合を繰り返し、大きな波を作る。津波のように大きな破壊力が産まれるまでジェットは逃げきれるだろうか。
――間に合え!
出現する魔法陣の数が圧倒的に多すぎる。音もなくジェットが消えた。誰の魔法陣に捕らえられたのかも分からない。
「ジェッ……!」
次は俺だ。世界トップクラスの空間魔法使い四人に狙われた。先を争って俺をどこかに移動させるつもりだ。唯一安心できるのはシェヘラザールの桃色の魔法陣だが、数が少なく、すぐに打ち消されてしまう。
――シェラ! 俺はどっちに行けばいい?
念話が返ってこない。返事をする暇もないのだろう。
腕や足に魔法陣が描かれ、一斉放火でバラバラに転送される。身体が引きちぎられる痛みに死がよぎった。足元から現れた最大級の魔法陣が周囲一帯をまるごと転移させる。
洞窟内は何事もなかったかのように静かになった。音も光もない闇が世界を支配していくように、俺は意識を失っていく。