(3)夏の誓い
久しぶりに手を握った。彼女の手は小さいけれどいつも強引で、魔王と狂気にそまりつつある俺を暗闇から引き揚げてくれる。
手と手を繋げ、心と心が近くで触れ合える幸せに高揚した。こうしていると何も怖くない。間断なく心の奥底からライカが誘っていても、シェヘラザールがいれば迷うことはないだろう。
移動先は勇者の塔の最上階だった。
「今すぐにというからフォレストパレスを脱出したのかと思った」
「勇者も奴隷だけど、聖女も同じような待遇よ。国王の支配と管理から逃れるのはとても難しいわ」
「三人集まれば文殊の智慧っていうだろ。聖女は長く生きて知恵もあるから、国王の弱点ぐらい知っているんじゃない?」
「知っている人はいたわ。四人目の聖女」
シェヘラザールらしくない深刻さだ。いつも元気で幼い感じはするが、歳を経た大人一面もあるようだ。年上好みの俺にとっては大好物。
「聞いたことないな」
「大昔、逃げようとして殺されてしまったの。星の間を作った大聖女。亡骸どころか生きていた証拠まで消されてしまったわ。あるのはアタシたちの記憶の中だけ」
「星の間は勇者召喚するための場所だろ。そこを作れるなんて凄い人だね」
「この際だから教えてあげましょうか。本当の聖女の真実」
真剣な顔で言うから沈黙してしまった。
シェヘラザールは勇者の剣を撫でながら微笑んだ。
聖女の最後は生贄にされる。貯め込んだ魂を星の間に散らして力の源になる。国王に逆えば明日死ぬかもしれない。こんなことを今の一翔に伝えたとしても、どうにもならないというのに。
「嘘、教えてあげない。ねぇ一翔も触れてみて」
シェヘラザールは手を引いて誘う。俺はすこし迷った。まさか卒業式させるつもりじゃないよな?
「大丈夫、移動しないから。この剣に向かってテイミングしてみて」
「剣って物体だろ。しかも転移ゲートに?」
「ええ? できないの」
「できるよ!」
挑発されたから宣言したが、本当にできるのだろうか。俺が剣に触れ、シェヘラザールが上から手を重ねる。
――心の無い物にテイミングだなんて……。
難しいと思ったがシェヘラザールが導いてくれる。彼女の祈りに、全てのものを従えさせる調教させる力を上乗せする。
「これから卒業する子たちは、みんな一翔の味方。そういうおまじない」
シェヘラザールの微笑みに俺は驚いた。
「バレたらまずいよ」
「ちょっとした悪戯だから大丈夫」
「あまり危ないことはしないで」
いつでも即断即決のシェヘラザールが苦笑いをした。
「何か悩んでないか? 話なら聞くよ」
「お気持ちだけ頂くわ。ありがとう」
俺とシェヘラザールの似ているところは一度決めたら譲らないところだろう。焦れるが、俺も諦めない。
「無理しないで話してみれば?」
「一翔はまだ知る必要の無いことよ」
そんなにバッサリ? 相談ぐらいしろよな。
「子供扱い?」
「まずは世界で戦える男になってから。そうでしょう?」
一翔は俯いた。そんなに情けないかな、俺って。
「じゃあ君が俺を男にしてくれよ」
シェヘラザールの腕を引いて、押し倒した。もちろん頭を打たないように左手で支えつつ、右手を引くだけ。背中は床について冷たいだろうが逃がしたくない。
覆いかぶさって、視界の全部が俺だけにする。シェヘラザールは少女のように恥ずかしげに視線をそらした。
――可愛い。
今ならシェヘラザールの全てを手に入れることができるだろう。こんなチャンス二度と無いだろう。
――俺だけのシェヘラザール
初々しい彼女と同じくらいドキドキしている。もっと触れたいが我慢。彼女の耳元で、吐息がかかる近さで囁く。
「愛しているよ」
甘い言葉に桃色になった耳朶。けれど憂鬱の全てを消すことができない。
「いつまでも一緒にいられたらいいのに」
手の甲を差し出される。まるで姫君だ。
聖女シェヘラザールであるかぎり、それは叶わない。万が一にも逃げ出したところで、誰かの傘下に入ることになる。ジータ国王から逃げきるのは難しい。国王を倒し、世界を変えなくてはいけない。もっと早く強くなりたい。最強になったら、きっと願いが叶う。
「将来は一翔の宿屋さんで働きたいわ」
俺は頷いた。
「大歓迎だよ」
白い手袋でも細い指だ。そっと唇を充てると柔らかい。切なくて痺れた。俺にはもったいない女だ。
――今の俺ではダメ、そういうことか
「陽翔に代わる」
シェヘラザールは首を傾げる。一翔が瞬いた後、表情が陽翔になっていく。
「シェラも言いたいことは言わないとね? けっこう傷ついたみたいだよ」
シェヘラザールも苦笑いだ。
「アタシだって傷ついているの。一翔って無自覚でモテるでしょう。ヴァネッサ王女はどうしても会いたいみたいだし、将軍の話では、前の世界では毎晩女の人が違っていたそうよ」
「フランスでの話かな。あっちは恋愛に積極的だし、お客さんかもしれないよ。特定の人はいなかったみたいだよ」
「本当? 彼、たった一度の出会いでも女の子を夢中にさせちゃうのよね。これからは訓練生として世界に出るから心配なの」
「外の世界に出ても、一翔には君だけだと思うよ」
「それは契約があるから。もし契約が無くなったら……」
小さな震える拳を陽翔は両手で包む。
「これから一翔はどんどん強くなるわ。世界へ羽ばたいていくたびに、アタシだけ置いて行かれる。分かっているのよ、頭では……。もう聖女、やめちゃいたい」
こんなにも弱気な彼女を見たことがない。陽翔はシェヘラザールと小指を絡め合わせ、額と額をすり合わせた。
「約束する。必ず宿屋になる。誓うよ。でも俺たち十五歳だし、訓練生になったばかりだ。やっと宿屋になるための準備ができる。あと三年待ってくれ。俺と兄さんで力を合わせて、必ず君を救う」
シェヘラザールは小さく頷いた。
「国王を倒し勇者を解放する。聖女が召喚しなくてもいい時代にする。そうしたら一緒に世界各地を回って、いろいろな人と出会う旅をしよう」
「外に世界に出るのって、やっぱり大変ね」
「俺たち、もっと強くなるから」
「そうね、ここは二人だけで頑張ってもらうしかないのよ。彼らの言う通りにするわ」
「彼ら?」
「正直納得がいかなかったの。だってあまりに危険だと思って」
「何のこと? 何で悩んでいたの?」
シェヘラザールは謎の微笑みで空間魔法を展開する。大事な話とはなんであったのか、ひとつも分からないままだった。
※ ※ ※
気配の消えた塔の最上階でシェヘラザールは悩み続け、最後に呟いた。
「絶対に奪われたくない」
陽翔は三年待って欲しいと言ったけれど無理だ。この危機をチャンスに置き換えるなら今しかない。
天へ手をかざすと小さな光が産まれ、彼方へ飛んでいく。もう後戻りはできない。
しばらく待つと背の高い男が後方に立った。ディルムは側近でありながら、国王に魂を奪われていない貴重な人材だ。
「姫、ご英断に感謝します」
「魂での契約をできるのは一人だけ。アタシの紋章を消してライカにくだった貴方だもの。完全に信用したわけではないわ」
「欠片でも信じて貰えるだけ幸せです」
「……。」
まだちょっと信じている。それを言葉にしてしまうと、捨てられたのに未練がましい女みたいだ。
「まさか、わざわざ断りの為に呼び寄せたりはしないですよね。私、忙しいのですが」
「やるわよ。でもハルトをアスラケージ国に送ったぐらいで、アタシは国王の支配から逃れられるの?」
「どれほどの強者であっても、ほぼ同時に出没することは不可能です。国王とライカ様が争う間、フォレストパレスの警戒は限りなく緩むでしょう」
「分かった。じゃあ貸して」
シェヘラザールは眼帯に魔法陣を刻んでいく。
「アタシを裏切ったことは絶対忘れないから。凄くすごく悔しかったのよ。自由になりたかったなんて言い訳にならない」
「申し訳ございません」
ディルムは眼帯を受け取ると、膝を折る。
「装着を手伝っていただけますか?」
シェヘラザールは唇を噛みしめながら、ディルムに触れる。
「さぁできた。魔力を込めるわよ。貴方もアタシもこれで自由。本当にさようならね」
シェヘラザールの手をディルムは遮った。最初から報酬の全てを渡してしまうなんて愚かすぎる。口では信頼していないと言うが、可愛い嘘だ。
「成功報酬ということで」
「そう、じゃあまた会えるわね!」
シェヘラザールの微笑みで、ディルムは久しぶりに心から微笑むことができた。契約はなくなってしまったが、姫と勇者の関係であることが懐かしい。
「次の段階に進みましょう」




