ホテル・ルーカス
小太郎と一緒に出掛けることになった。
これまで二人きりで出かけるなんて滅多になかったことだ。ついでだからと一緒に買い物と食事をした。
時間があったので、マジナイ付きのタトゥーを入れてもらった。親子で揃いのブレスレットを買ったが、緩すぎてアンクレットになってしまった。食事は俺の趣向を尊重してくれた。気品ある店でドレスコードと予約が必要だったのに元勇者の顔パスで特別待遇された。
そしてホテル「ルーカス」に泊まった。そこの主がディスカスという太った男だった。小太郎とディスカスは友人で、その夜は遅くまで語り合っていた。
俺たちは先に寝た。
夜も更けると、小太郎がベッドに侵入してきた。
――仕方ないなぁ。またベロベロだよ。
“隣のベッドに移動しようか。明日も早いだろうし”
陽翔も起きたみたいだ。
小太郎の腕は重くて動かない。ちょっと蒸し暑いし、酒くさい。だけど今夜は拒否する気になれない。最近の小太郎は忙しい上に修行が厳しかった。一緒のベッドで寝るのは久しぶりで、やっぱり俺たちは小太郎の子供。だからこれは特権だ。
――まぁいいだろ。
“誰の邪魔も入らないし、いいよね?”
見たい夢はいつも一瞬で、目覚めれば現実と戦わなければならないのが生きているということ。
早朝に小太郎に揺さぶられ、俺は寝ぼけていた。
「ちょっと待っていろ」
小太郎は部屋を出ていった。
それきりだ。
小太郎が帰ってこない。
ちょっとって、どれくらい? 普通は数分、または近所。数日、一週間たてばちょっとの範囲ではない。
俺たちは置き去りだ。
雑踏の中で迷子なら、お互いに探し合うだろう。難破して大海原の小島なら、脱出して小太郎を探す。でも、そういうのじゃない。 小太郎はキャラバン隊で普通に仕事しているという。
捨てられた?
何の予兆もなく、別れの言葉もない。理由も分からない。
俺は揃いのアンクレットを眺め、何度も考えた。あの夜の素敵な出来事は餞別だったとしか思えない。
何があった?
どうして相談もなく?
荒くれたちが集う安宿が冒険の終末の地?
ベランダから見る街並みは賑やかなのに、全てが色あせてみえた。何を食べても味がしない。ここは空も土地も狭いし、人々の往来はあっても、知らない人ばかり。
我慢も限界だ。俺は立ち上がった。
「リリー!」
空色の荒鷲が窓から入り、雄々しく降り立った。器用だからちょっと小さめに変身してくれて、気の利く相棒だ。背中に乗ろうとすると、陽翔が叫んだ。
“待って! 小太郎は待っていろという指示だ。命令無視したら怒られるし、追い返されるだけだよ”
身体の主導権は俺にある。でも陽翔の言葉だから無視できない。
「キャラバンに戻ろう」
“だめ”
「こんなところにいたって、何の価値も無い」
“分かってる。俺だって気持ちは同じだよ”
バン!
強く扉が開いて、ディスカスが部屋に入ってきた。
太い腹でいつも笑っているだけの、ただの宿屋の主。そういう印象しかなかったので、殺気めいて剣をもつ姿はまるで別人だ。
その狙いがリリーに向いていた。
「空帝! 貴様の誇りはどうした! 低劣なモンスターと同等なことをしてうちの宿に手を出すとはな。恐れを知らない野郎だ!」
「だめ!」
俺は慌てて庇った。リリーには一般人を攻撃しないでと約束している。
でも俺の背丈はあまりに小さく、両手を広げた程度では意味がなかった。怒り心頭で、目もくれないし聞いてもくれない。
「うりゃあ! 去れ!!」
あぁ、剣が振り下ろされていく。スローモーションのように時が遅く感じた。目まぐるしく、思考が回転している。後悔とか反省とか責任。愛情とか思い出とか期待とか。全部に圧し潰され、頭の中はぐちゃぐちゃだ。
陽翔と交代して魔法で阻止してもらう。そういう余裕はなかった。俺がどうにかするにしても、頼れるのは魔法だけ。
――俺が呼んだばかりに!
もっと魔法の修行をしておけばよかった。実力が足りない。どうすれば……嫌だ。失いたくない。失うのはたくさんだ。助けて。
――誰か助けてくれ!
陽翔の叫び声がした。
“心のままに! 俺のリリーだろ?”
俺は電撃を受けたように痺れた。
そうだ。俺が飼い主で、リリーは俺だけのもの。リリーを狂刃に触れさせることは許さないし、リリーの生死も俺が決める。俺自身の力で、ありとあらゆる力を使って、全細胞、全能力、全身全霊で君を守ろう。
ディスカスは魔法の発動を感知し、剣を振る勢いが少し緩んだ。
漏れて大量に溢れた魔力は青白さの中に黄金色が混ざっている。床に描かれた魔法陣は部屋の大きさを超え、全貌が掴めない。魔法陣は回転しつつ渦となる。まさに光速で、球状となる。
俺は想いと共に力を解放する。
愛しているよ、リリー!
また一緒に空を飛びたい。
だから俺はこの最悪な状況は否定する。リリーは決して死なせない。
『ノー!!』
剣がリリーに触れる瞬間、光の球が爆発した。
不思議なことに爆風もなく、何の圧力もなかった。強い光が拡散し、宿どころか周囲一帯を青白く照らした。
振り下ろされる剣は消え、リリーは宿の上空に瞬間移動している。
静けさが戻った。おだやかな風が吹いている。
リリーはひと鳴きすると、翼を広げて空の彼方へ消えていく。
恐ろしいまでに静かだ。一翔は表情を緩めたが、寂しさでいっぱいになる。
「……。」
――陽翔、大丈夫か? 怒ってないで、返事をしてくれよ。
前から疑っていた。
俺がいつも眠くてだるいのは、魂と身体の繋がりが強い証拠だ。それって、本当は俺の肉体に、陽翔が憑依しているだけなのかもしれない。
だから怖かった。陽翔が魔力を使い、俺の意識が消し飛ぶことは何度も体験した。それ程度で済んだのは俺の身体だからで、立場が逆になって俺が全力で魔法を使ったら、陽翔は無事でいられるだろうか。
万が一にも陽翔の居場所がなくなって、消し飛んでしまったら。そう考えると、怖くて全力で魔法なんか使えなかった。
でも今回はどうしようもなかった。
クソ、目が熱い。
泣かない。泣きたいのは陽翔の方なのに、俺が泣いてどうするんだ。
自分を必死に保つが、焼けるように胃が痛む。
――陽翔。生きているよな?
何度も呼んだが返事がない。
俺のせいだ。俺が至らないばかりに陽翔を殺したかもしれない。そう思うとキリキリと胃が痛む。自分に対する嫌悪感もあってムカムカする。
俺は嘔吐し、床が赤く染まった。息が苦しくて、涙と鼻水が出た。
「――あ」
拭うとそれも血だった。よく見れば爪も割れ、肌は痣のように内出血痕が酷い。
「――え? 何」
ディスカスがすごい形相で駆け寄ってきた。その時になって自分の身体がどうなっているか分かった。
痛いけれど、ちょっと赦された気がして笑えた。横暴という名の罪を償えるなら、代償があったほうが心は軽い。
俺はリリーを助けたかったし、陽翔はきっと大丈夫。返事がなくてもそこで心配しているのは分かったから。
――ごめんな。欲張りで……
俺はそのまま卒倒した。