愛しき人の小さなお部屋
村はすっかり破壊され、焼け焦げた石の壁や木材が転がるばかりだ。
生き残った村人たちに挨拶をして、リオールの自宅へ向かい、父親の墓参を終えると地下室へ案内する。
じめじめした暗い階段を降り、何もない壁の前でリオールは立ちどまる。壁に軽く触れ、魔法陣が広がる。
可愛い装飾の扉が現れた。少し小さめで、腰を屈めないと入れない。
「ここはリズの遊び場で、秘密基地にしていたんだ。彼女はすごい魔法使いだぞ」
中に入ると、キュートな家具が並ぶ温かい部屋だった。窓から入る太陽光が眩しい。
「リオ!」
5歳くらいの少女が、駆け寄ってきた。歳の離れた妹だと聞いていたけれど、これほど幼いとは驚いた。
「リズ! メシは食ったか」
「うん、美味しかった! 怪我はない?」
「無いよ」
「良かった~♪」
リオールはリズをしばらく抱いたまま離さない。天使の温もりが荒んだ心を癒していく。
「リオ?」
リオールは頷いた。
「お客さんを連れてきたぞ。ハルトだ」
「あ! ご飯係さん!」
「やぁリズ、良い部屋だね~」
ハルトは部屋を見回す。
ここが地下室とは思えない。窓から見える水平線や、風に鳥が舞う港町の景色に心が熱くなる。昔に住んでいたアパルトマンによく似ていた。心を奪われたように、扉のガラスを見つめる。
「外だ」
衝動的に扉を開け、暗いキッチンの壁に突き当たる。ゆめから覚めたように、美しい景色はどこにもない。ハルトはがっかりしたのをリオールは笑う。
「それは空間魔法じゃない。ガラスに景色を投影しているだけだよ」
「また騙されちゃった」
リズが純粋に笑っている。
「ハルトっておもしろ~い!」
「さっきも天井に頭ぶつけていたんだぜ?」
リオールとリズは慣れていて違いが分かるのだろうが、理解不能だ。
「どこにでも繋がれるんじゃないの?」
太陽がまぶしかった。風が吹いていた。花が咲いて鳥も飛んでいた。
この家具も、この食料も 全部幻?
――違う。ちゃんと存在している。幻を食べて生活できないし!
ハルトは頭を抱えた。
「もう! 分からないよぉ……」
「だから空間魔法は難しいと言っただろう、リズ、芋探してくる」
リオールは笑う。
「空間魔法は、こうだ」
リオールが正面に手を翳すと、大きく白い魔法陣が空中に輝いた。まるで鏡に紋様が描いたようになって、ハルトの顔が映っている。
リオールが一歩進むと、リズがハルトの手を取った。
「一緒に行こ!」
魔法陣をくぐると、真っ暗闇で瞬いた。足元が柔らかく、下を見ると土だ。よく探すとしなびた葉が永延と続いていた。
「照明施設が破壊されてしまって、技術者がいないから修復不可能なんだ」
リオールが長い間床をまさぐって、ハルトの足元に小さな芋が飛んできた。
「水は地下水をくみ上げて、光さえあれば芋は出来上がる。空間魔法でここに移動してきたが、ここは遺跡の空間。俺たちの畑だった」
リズが笑う。
「空間を人間が移動するのが空間魔法なの!」
「でも遺跡に空間を作ってる。太陽も、風だって……」
リズの手が光り、ハルトは再び魔法陣を通ると、恐ろしいほど高度で、大きな機械が火花を散らしていた。
「大昔に作られた空調設備と汚水処理場だ。-------ここを壊された時点で、終わったんだ。もうすぐ備蓄エネルギーが尽きて止まる。そうなればここも滅びる」
「――そんな」
「だから、なんとか生き残る場所を見つけてやらないとな」
部屋に戻るとすぐにキッチンの前に立った。水道の蛇口は飾り同然で、近くに水ガメがあった。なんとも原始的で見るのも辛い。
ハルトは芋を置いて、ほろ苦いコーヒーを入れながら考える。
「甘いものが欲しいなぁ」
よく考えなければいけない。そうなると糖分とカフェインが欲しい。
リオールが見せてくれた空間魔法は距離をゼロにして移動するものだ。本来は外の世界と繋がれるはず。けれど遺跡や森の中を移動するばかりだった。空間魔法は結界の中で有効であっても、エルダール郊外に出ることは無い様子だ。
いくら村を出ることが制限されているからといって、あまりに厳しい環境だ。ひょっとして誰かが邪魔をしているのか?
リオールに勧められて芋を茹で、ハルトは味見をする。
「! これは甜菜っぽいな。これだけでも甘いや」
「そうだろう? 栄養もたっぷりだ」
しかしあまりに素朴な味でリオールは食べ飽きているし、感動も薄そうだ。
ハルトは不満だ。芋だけで生活しているなんて、味わう醍醐味がないではないか。
「質素な生活に不満を持っている人もいたんだろ?」
「もちろんだ。村の外に出ようとして、みんな死んだ。聖女の結界は俺たちよりも複雑で理解できない。しかもあの騒ぎで何人も使い手を殺された」
――聖女の結界は世界一。逆に忌々しいな
仮面が見せたあの呪いの瞬間から千年以上。数え切れないほどの村人が一生、閉じ込められたまま亡くなっていた。自分が学校に閉じ込められた五年など、話にならない。
拳を握って堪えたが、それでも殺気と魔力が溢れた。リズが小さく悲鳴を上げてリオールの後に隠れた。
「ごめん。びっくりさせちゃったね」
ハルトは床に膝をつき、リズと視線を合わせた。
「ほら、もう怒ってないよ? 俺が怒ったのはリズたちが酷い目に遭っていたのに気付けなかったからだよ。もう奴らに酷いことはさせない。約束する、みんなが自由に生きれるようにする」
リズはリオールの陰から顔を出す。
「リオ、この子、偉そうなこと言ってる!」
リオールはブブッと噴き出して笑う。
「でも料理の腕は天才なんだ」
ハルトは頭を掻いて笑う。
「リズにびっくりするような美味しいものを作ってあげるね」
それが俺の覚悟だ。
シェヘラザールが何と言おうとも、俺はマラ族を解放する。
ハルトは手早く料理しながら、リオールに聞いた。
「リズとは十五歳差だな。すごい離れているね」
「実は婚約者なんだ」
「ええ!?」
「幼女趣味は無いぞ。才能のある子が村長の息子と結ばれる。リズが大人になった時には、という前提だ」
リズは憤慨する。
「前提ってやめてくれる? あと8年ぐらいしたら、立派な大人ですからね! ホントにリオは浮気性なの!」
ハルトは芋を潰し、アイテムボックスから生クリームとバターを取り出して加える。バターの良い香り、生クリームのまろやかさ、芋の優しい甘さ。
「俺はこれをママの味って、呼んでいるんだ」
「――ママ」
リズは少し切なさで幼い顔に戻った。
「ほら、あ~んして」
小さな口にスプーンを入れると、リズがショックで震えた。
「リオ! たいへん!! お芋が凄い事になってる!!」
ハルトは面白くて仕方ない。
「じゃあ、もっと凄いの出してあげるね?」
アイテムボックスから調理用の具材を取り出す。学校の生徒にも特別な客にもあまり出さないとっておきの食材、チョコレート! カカオ豆からチョコレートを作る工程はものすごく複雑で時間がかかる。人類が長い時間をかけてたどり着いた、理想のデザート食材だ。
パティシエでもないが、昔の記憶だけを頼りに何度も試行錯誤してきた。ある程度満足できるところまで仕込んできたものだ。
これを使って出来上がったデザートの感動はこの上ないものだろう。
予想通り、リズは無言でジャンプしながら驚喜した。
「うわ!うわ! ――うわぁ 何コレ、美味しい!」
チョコも生クリームも彼らにとっては未知の食材だ。リズはスプーンひとくちだけでは満足できない。もうボウルごと舐めてしまいたい。
リオールも美味さに驚く。
「ハルト、君はいったい何者なんだ……」
――いや、俺にとっては普通なんだけどな。
甘いものを食べ、くつろぐことは大事だ。追い詰められて目先のことしか見えなくなってしまう時ほど、一度立ち止まる必要がある。
自分の国から一度も出ることなく、そのまま満足できた村人もたくさんいる。だから千年以上、この暮らしが続いた。聖女に感謝を捧げ、祭を楽しむ。穏やかな生活だったとリオールは語った。
「俺は親父の判断が正しかったと思う。平和が続いて欲しかったし、村人を戦わせたくない気持ちもあったんだ。そうして俺たちは長い時間をかけて腑抜けにさせられた。偽りの平和の中で、剣や牙を奪われてしまった。
でも俺たちは戦闘民族。だから親父は俺に修行をつけてきた。いつかこういう日が来るって分かっていたんだ。
ここ百年、爺さんの代あたりから、王宮との関係が悪い。でも俺たちには王に対して交渉するだけの実力がなかった。
ただ空間魔法が使えるという理由で生かされていた。シェヘラザールが守ってくれなければ、俺たちはとっくに滅亡していた」
リズは椅子の上に立ちあがり、リオールの胸を撫でた。
「ここが痛いの?」
「大丈夫だ、リズ。ありがとう」
「リズは聖女さまになるから、痛いところがあったら言ってね!」
「あぁ、その時はお願いしよう」
ハルトはリズにケーキのデコレーションをお願いした。これからの話は子供には聞かせられない。
ぬるくなったコーヒーのように、苦くて不味いだけの話だ。リズが聖女になることはもう無い。王宮は村を処分したものと思っている。
――どうにかならないものか 俺にできることは何だ?
「リオールは戦うつもりなんだよな?」
「一人でも戦うぞ。これ以上、勝手にはさせない」
「村長なんだろ。リオールがいなくなったら、村人はますますどうしていいか分からないよ」
「家族を殺されたんだ!」
強い口調にリズが震える。
「危険すぎる。リズはどうする」
「……」
リズはリオールに駆け寄って離れない。
「嫌! リズはリオールと一緒がいい。戦うならリズも連れて行って」
ハルトは頭を抱える。
――ここがマラ族の最前線基地で、戦士一名、治癒師と捕虜が一名。
たった三人で何ができる?
いや、三人だからこそ、俺は自由に動ける。
「方法はある」
これは自分にとってもかなり危険な賭けだ。全てが上手くいくとは限らない。それでも達成できたなら、俺はもっと自由になれる。
これはチャンスなのだ。
「計画通りにいけば、リオールは旅に出ることができるし、マラ族全員が救われる。敵に一矢報いることもできるだろう」
「そんな旨い話!」
「もちろんリスクがある。失敗すれば全員、命は無いよ。 でも成功すれば、晴れて自由で、自分たちの国が持てる」
「国だって!?」
「独立するんだ。やるか、やらないかだ。申し訳ないが時間が限られている。今、村長リオールとして決めてくれ」
「やるよ。何事にもリスクはつきものだし、どうせ全滅しかけた村だ。村長として誓う」
ハルトは頷く。
「じゃあリオール、頼みがある。魔王になってくれ」