悪役
「ダメだよ! いかないで!!」
陽翔の声にジェットは幻を見たかと思った。青白い煙のような塊、あれは絶対に一翔だ。
一翔が魔王になることを決める一秒前のことである。そのまま気絶したようにハルトは眠った。
キンタは何が起きたか分からない様子で、立ち上がりハルトの様子を見ている。
「おおよそは毒抜きと修復しましたから、しばらく眠れば治癒するでしょう」
ジェットは頷いた。
何か妙なことが起きたが、特に問題はなさそうだ。
「さすがだね。素晴らしい血筋だ」
「誰にも言わないでください。特にコイツには」
ジェットは頷いた。
「友とは良いものだな」
ジェットはまるで見越していたかのように笑った。驚きもせず、思惑通りに進んだことを喜んでいるようだった。
「これが友達というものなんでしょうか」
キンタは友達を持ったことが無かった。
「ジュンタは友達じゃないのか」
「あれは部下の息子で、好きで一緒にいるわけではありませんから」
「へぇ。つれない事を言うね。どうしてチームに誘わなかったんだい?」
「……。あいつに苦労かけさせたくなくて。この前ハルトに言われて、ちょっと傷ついた様子でしたから、一緒にさせたくなかったんです」
ジェットは笑う。
「そういう気遣いをしていくのを友達っていうのさ」
キンタはハルトを見た。
「じゃあ、やっぱりこいつは友達じゃないかもしれませんね」
眠っている姿があまりに子供っぽく、まるで別人のような感じがする。
※ ※ ※
それから数日経った。
ハルトは魔の森に入り、湖畔で星を眺めている。時折モンスターや虫の声が響く、至って静かな夜である。
ハルトといっても中身は浅利陽翔。今は岸辺の倒木に腰かけて思案中だ。
異世界転生して10年。そのうち後半の5年は孤独だ。身体の負担を考え、夜のわずかな時間だけにしていたのに、ここ数日はやむを得ない状況だ。
別人だと露呈するのは面倒なのでログハウスで過ごし、学校は病欠した。チームメンバーが見舞いで食材を置いていくと、一翔が皆に愛されていることを実感する。
ポケットから一本の葉巻を出した。
ジェットの引き出しから盗んだものだ。病弱だった昔ではできなかった。一翔は味覚がおかしくなると嫌っていて吸わないから、この身体では初めてになる。
――文句があるなら、一翔、起きてみろ
闇に蛍火が灯り、煙を深く吸い込む。
シェヘラザールは二度と目覚めないかもしれないと嘆いている。一翔の魂は完全に壊れてしまった。三人で頑張るつもりだったのに、俺たちはすっかり破綻している。
葉巻の煙に我慢していたが、限界がきて散々咳込む。
「まっずい!」
葉巻を湖に投げ捨てて、それで終わりだ。一翔のいない世界など、生きる意味もない。それ以前に、俺はとっくの昔に死んでいるのだから、もともとこの世に未練などなかった。
倒木に座り直して、アブソルティスの紋章に指が触れた。そしてじっと待つ。
一翔を救えるのは俺だけだ。
※ ※ ※
兄は時々、限度を知らない馬鹿になる。その結果、生と死の一線を九割以上越えてしまった。これで何度目か。本当にやりきれない。目覚めたらたくさん怒るのは当然だが、それだけでは満足できない。
どうせ一翔はまたやらかしてしまう。これは対策が必要だ。
今度こそ魂を一翔と合体してもらうというのはどうだろう。けれど前回は一翔が本能的に拒否した。今回挑戦しても、同じ結果になる確率が高い。シェヘラザールがもう一度魂を分け与えるという手もあるが、それでは彼女がもたない。それに一翔の魂に干渉させる人数を増やすのは良くないし、できる能力者も限られている。
できれば一翔を元に戻すのではなく、より強く復活させたい。理想は高いが、どうやってと考えると非常に難しい問題だ。
魂とは何かと質問すると、シェヘラザールは根源の力だと説明した。生命力、気力、体力、魔力。全ては魂から生まれてくる。一翔がその根源の力まで壊されてしまった原因はひとつしか思い当たらない。ライカに襲われた時だ。
発狂しないほうがおかしいほど精神と魂を攻撃された。俺を守るという一点だけで、兄として抗い続けた。満身創痍で逃れたので、その後の異変に気付けなかった。根源にある魂は目に見えず、感じ取るのも難しい。
抗った時の傷がどれほど酷くて深いものであったか、今更ながら思い知らされる。
一翔は生きることに耐えられない。
そう思うと、過去にそういう兆候は何度もあったといえる。
キャラバン隊を救うためとはいえ、自殺行為とも思えるほど魔力を解き放った。そのあと俺と魂を合体させることになった時も、自らが消えることを選んだ。今回も俺が身体にいたから、あっさり死を受けいれた。
俺に全てを譲るつもりになっている。
生きるのに存在が邪魔だというなら、俺は出て行く。雪崩で死んだのだから、この世界に未練は無い。けれど一翔にはそれも耐えられないだろう。
幽体の俺は本来なら不安定だ。なのにこれほどまでにしっかりと身体に繋ぎとめてきたのは、一翔の未練だ。死霊よりも生霊の執念のほうが百倍強い。一翔が限度を知らないというのは、そういうところだ。
「兄としてか」
遠い過去の過ちを責めるつもりは無い。それよりもずっと長い間、一翔は兄としていようと償い、俺を宿屋にして、自分の人生も好きなものも全部譲ってくれた。そういうことでしか、自分を保っていられないのだ。
自分の人生なのに、自分のために生きることができない。それが一番に気に食わない。
わずかに残った魂は身体の中を漂うだけで、身体を維持することもできない。風を受けた蝋燭の火のように、これを一時的なものとしたいなら、今すぐにでも行動すべきだ。魂が再び力を取り戻すのを黙って待っているだけでは、本当に一翔が死んでしまう。
陽翔はシェヘラザールに問いかける。
――生きる意味や魔力や体力が与えられたら、魂はどうなるの?
“心と心が通じ合えば……魂は力だから”
シェヘラザールは一翔を愛し、絆を保とうとする。この世に未練が湧いてたまらないほど、生きたいと執着するきっかけが必要だからだ。けれど一翔はシェヘラザールの問いかけに反応しないほど弱ってしまった。
――なら、やるしかないな
手段は択ばない。悪役でも何でもやってやる。それが一翔の人生を大きく変え、騙し、心を偽ることになろうとも、生きていることに価値がある。
――シェラ、いざという時は俺よりも一翔を選んで
“何のこと?”
本当の悪役はいつも静かだ。派手に立ち回る端役たちの奥で王の椅子に座っている。じっと戦況を見つめて、チャンスがあれば、配下を使って攻撃してくる。
安らかに眠る一翔を抱き、浅利陽翔はその王座に座る。
俺は悪になると決めた。
震える指は少し恐怖しているが、勇気を振り絞り、アブソルティスの紋章に触れた。
――ライカ、聞こえているか? 取引しょうじゃないか
すぐに返事がきた。ねっとりとした黒い魔力を感じると、ゾッとする。
“おやおや、これは珍客だな。プレゼント、よほど気に入ってくれたようだが、それは一翔チャン向けだったんだぜ?”
――プレゼントなんて知らない。だが一翔の状態は分かっているだろう?
“兄想いの弟だねぇ。心配することはないぜ。俺さまがすぐに頂戴しに行ってやろう。今からでもいいぜ?”
――できないことぐらい分かっている。一翔がこんな状態では、今まで苦労して待った意味がないと思わないか? 条件を言おう。一翔の魂を返してくれ。半分だけでもいい。生きて目覚めるための力と魂、貴様なら持っているよな
“敵に頭下げるだけで、俺が動くと思ってんの?”
――何がほしい?
“一翔そのもの”
――分かった。無理すぎることを言うなら、交渉決裂だ。こうして歩み寄ることも二度とないだろう。
“冗談だって! いやいやホントのことだが、それはさておきだ。釣れた魚をわざわざ逃がしたりしないぜ”
――早く言えよ
“じゃあ、出ていけ。邪魔なんだよなぁ。お前がいると! さっさと消えちまえよ”
――それでは俺が一翔の無事を確認できない。信用性の無い奴にそこまでする義理は無い。
“俺だって、二人が元気になったところで厄介払いされるのはゴメンだぜ? しかしいくら一翔でも、あまり保てないのは事実だし、方法も無いな”
――わかった。貴様に声をかけたことが間違いだった。俺は一翔と共に滅ぶことを選ぶ。できないことを頼んでしまったな。
“できないわけあるか!”
――やってくれるのか?
“これは貴様に対する重大な貸しだ。一翔の魂は戻してやる。一翔が死んだら意味がない。
ただしそのために使う力まで、俺が出す義理はない。貴様の魂を利用してやるよ。ごっそり弱るだろうが、知ったことか”
これこそ陽翔の狙いどおりだ。
ライカから一翔の魂を取り戻し、自らが消えてなくなる危機も避けた。これ以上ライカを利用するのはリスクが高すぎる。
ソウルブレイカーを送り付けてきたのはライカで間違いない。一翔だったら恐ろしくて、ライカと接触できないだろうが、真実にありつけた。